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トップ > アビシニアン ラディ > アビシニアン ラディ - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年10月12日 8時)

菜園

5月連休前に夏野菜をプランターで栽培した。
オクラ、プチトマト、みず茄子、小玉西瓜、ゴーヤ、青紫蘇、山椒。
思ったより美味く育って食卓を賑わせてくれました。
たった一つ、苗を買ってきて3回植えたのに3回ともへたったのが、キウリ。原因は解らない。
ゴーヤは作業場事務所の西日対策が主たる目的だったが獲れた獲れた、2本の苗から30個以上、
其れから,みず茄子も20個以上取れた。お漬物が美味しい。




8月24日、秋物野菜の収穫を目指してポットに種まき、画像右から水菜、小松菜、ほうれん草、大根、オクラ.
 


乾燥ねぎは買ってきてそのまま寝かせた状態で植えました。後日他のブロガーさんのブログを見ると、外の余分な皮をとり、長さもそろえて植えると書いてありました(汗!)。それでも5日もすれば確りと立ち上がってきました、健気なものです。
 


青じそは以前のままですが、次からつぎえと葉っぱが出てくる感じです。
 


白菜は2つのプランターに2つずつ植えましたが、少しプランターが小さかったかも知れない。
 


玉ねぎはえらい勢いで芽が出てきました、

 菜園を少し広げて、栽培する野菜も増やそうと思います、幸い作業場の奥に使ってないスペースが有るので明日草刈をして、伸び放題の木の枝も打ち払って、手入れをすればスペースは確保できる。
「物」を作ると言う作業は人をワクワクさせてくれます。

作者:

更新日:2008年9月7日 12時12分

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西国33ヶ寺観音霊場巡拝  -5-


西国33ヶ寺観音霊場に就いては、既に皆様の方が先達であったり、或いは文献等でよくご存知だと思うので僕はお参りした感想だけを綴って参ります。 なを詳しくお知りになりたい方は http://www.saikoku33.gr.jp からどうぞ。

 8月31日。今回は日本海側の2ヶ寺をまわりました。
前回,8月13日、南都5ヶ寺めぐりは酷暑であったが、お盆が過ぎて朝夕めっきり凌ぎ易くなりました。
ただ先週後半は雨つずきで、天候のみが気がかりでした。一応折りたたみ傘とカッパを用意して行きましたが杞憂に過ぎた。

第28番札所 成相山・成相寺 (高野山・真言宗)



 
 波の音、松の響きも 成相の、かぜふきわたす 天の橋立。
と御詠歌に歌われているとおり成相寺の展望台からは、日本三景の一つ、天の橋立を一望する事ができます。
大変険しい山中に建立され、リフトもしくはケーブルカーで展望台まで行き、そこから山門までバスに乗り、山門からは曲がりくねった上り坂を歩いてお参りするのですが、今では車で本堂の横まで直接行けるようになり、僕も横着かましてそのコース、願い事全て成相って下さると言う御本尊,聖観世音菩薩さまの慈悲に甘えた。
 
 副山主・石坪広眞師のお話、
私の子供の頃、彼岸になると寺に伝わる「地獄絵図」を子供たち皆で恐る恐る眺めた、何よりも恐ろしいかったのは、嘘をついて舌を引き抜かれる人の恐怖の顔、嘘をつくと地獄で舌を抜かれると聞かされて育ったのに、子供ながらやはり嘘もつくし,誤魔化しもする。だから怖くてしょうがなかった。
今も本堂で「地獄絵図」を展示している、子供の頃と違う意味でその絵を見るのが怖い。それは、軸の中の絵図がまるで今の世の中を映しているように思える時。 
私は観音様にそっと手を合わせお顔を見ると、観音様は私の肩越しにお参りにこられ一心にお勤めを為さっておられる人々を、幼児のような無垢なお顔で見ておられます。
今でも縁日には多くの方が遠路,観音様に合いに来られる、毎日巡礼の方々は途絶えません。観音様は私に語り掛けて下さります、「まだ、大丈夫ですよ」と。

慶雲元年(704年)真応上人の開基。


第29番札所 青葉山・松尾寺 (真言宗・醍醐派)




 そのかみは 幾夜経ぬらん 便りおば、千歳もここに 松の尾の寺。
西国33ヶ寺観音霊場中唯一「馬頭観世音菩薩」を御本尊としてお祭りしており、牛馬畜産、車馬交通の守り仏。また松尾寺がその中腹に位置する青葉山は「若狭富士」と称される秀麗なお山であります。富士なくば 富士とやいわん 若狭なる 青葉の山の雪のあけぼの。と歌われています。

 山主・松尾心空師は、此処18年間、西国札所徒歩巡礼を行い、既に5周、四国遍路も合わせると7000キロ余の道のりを徒歩で巡って居られるそうであります。
右足は鍬、左足は鋤、左右の歩みは、この鍬と鋤で心田を耕す。
一つの鉄片を砥石にかけて針を作るように、歩行で煩悩をすり減らして仏心を研ぎだす。
禅で言う、一寸坐れば一寸の仏、二寸坐れば二寸の仏、の言葉の如く、足は彫刻のように一歩歩めば一歩の仏、二歩歩めば二歩の仏を我が心中に刻んでゆく、その仏との出会いこそ意義があると。

和同元年(七〇八年)と伝えられる。 千二百九十年・唐の僧、威光上人の開基。

作者:

更新日:2008年9月1日 12時45分

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淮胝堂炎上


西国巡礼、第11番札所、上醍醐・淮胝堂。 (真言宗醍醐派総本山醍醐寺内)

 24日午前0時5分ごろ、京都市伏見区と宇治市西笠取と大津市国分の寄り合う上醍醐寺観音堂に落雷があり出火、木造平屋の約150平米と隣接する休憩所が全焼。安置されていた本尊の「淮胝観音坐像」が焼失しました。
 
 なを本尊の「淮胝観音坐像」は2体有り、1体は今回焼失しましたが、もう1体は ドイツ・ボンで開かれている醍醐寺展に出展中で難を逃れた。
 
 僕は今年6月1日に淮胝堂にお参りしている。 
 http://blogs.yahoo.co.jp/nenbutu02/9910324.html ←クリック

 お参りしたことのある人はお分かりかと思いますが、京都市伏見の三宝院側から急な山道や階段約2キロを登らねばならない、宇治市西笠取側からでもアップダウンの山道や階段である。消防自動車など当然通れない。国宝、重文数多有る中、当然消火設備は整ってはいたのでしょうが、自然災害に為すすべも無かったと言う事でしょうか。淮胝堂の屋根が銅版ぶきのため雷を呼び込み易かったとの指摘も有ります。

 今回焼失したお堂は昭和43年に再建された比較的新しい建物でしたが、寺側は再建を急ぎ、当面は9月にドイツから戻ってくる「淮胝観音坐像」を「如意輪堂」に安置し、納経も受け付けるそうであります。

作者:

更新日:2008年8月26日 15時19分

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男の涙



 英語では「男泣き」に当たる言葉は無いそうです。
五輪,22日の男子400リレー、塚原選手のあんなに明るくて朗らかな[涙]、
五輪始まって直ぐの競泳男子100平泳ぎの北島康介の、「何にも喋れねェ!」[涙]。
日本には[泣きの文化]と言う物があるのかも知れない。

 「男の涙」で思い出すのが、1997年11月24日午前11時30分から始められた、山一證券の自主廃業発表の記者会見で、社長の野澤正平氏がマイクを握ったまま突然大声を上げて泣き崩れた。
これを報じた海外メディアは「さよなら日本企業」と揶揄したと言う。

 世に出て今年で1000年という「源氏物語」、全編54帖これ涙なみだの物語。この物語りは男の涙で濡れている。
 また「今昔物語」では、時代は醍醐の帝,宇多上皇のとき、(菅原道真が大宰府送りと成った頃)。
時の左大臣藤原時平の側近で、衛府司の尉、平の定文という当代随一のプレイボーイが居た。
本院に使える女房(女官)の一人に目をつけた定文は、たやすくなびかない女に対して、部屋に設えられてあった硯の水差しを袖に隠して、目の周りを濡らし、そら泣きをして思いを唱えた。
ところがそれと気ずいた女が、水差しに墨汁を入れておいたのを知らなかった定文。その後また訪れて、女を泣き口説いた。女はなびくと見せかけ、定文がならばと手を取ろうとした時、さっと鏡を差し出した。鏡の中の我が顔を見て、慌ててうろたえる定文へ、とどめを刺すように女が詠んだ。
    われにこそ つらさは君が 見すれども 人にすみつく 顔のけしきよ  
[私に対して大変深いお心が有るように見せかけていらっしゃいますが、他の人のところに心を住み着かせている事は、墨にまみれた顔が示していますよ]

作者:

更新日:2008年8月23日 15時22分

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京都 五山の送り火






「慈舟山 瑞泉寺」  前関白、豊臣秀次の墓所であるこの寺は、京都三条小橋木屋町下がった東側にひっそりと存在する、べつに寺そのものがひっそりとしている訳ではなく、周りの喧騒に比べそう感じるだけなのだが。近くには祇園の芸妓、舞妓のレッスン場である「先斗町,歌舞練場」があり、新撰組が勤皇浪士を襲った「池田屋」や「旧長州藩邸」にも近い。この寺の 盂蘭盆会追善供養 に参加させて頂くようになり20年になる。  
 
  僅か20年のうちにも町は変化し続け、鴨川の東に添って走っていた京阪電車は地下に潜り、古都の環景保存と言いながらもビルは建ち、「大文字」の「大」の字の右上部しか寺からは見ることは出来ません。 一辺、或いは一点でも燃え盛る炎を拝む心根が有れば それで気持ちは充足致します。 何所其処のビルの屋上であれば、五山すべての火文字が見れる、などと唯、火の祭典として楽しむ事も悪いとは言えませんが。
 
生きている限り毎年知人縁者の誰かを送って行かねば成らない年齢に達した。
そしてこの一年も僕は亦、複数の知人を送った。彼等の魂が 都の夜空を風に舞うが如く 天空に昇華していく、 送り火の幽かな煙の彼方に はっきりと彼らの笑顔を見て取った。
 万感の想いを込めて、大文字に手を合わせ、私は生きねばならない、生きなければならぬ義務がある。若くして先に逝った人の分まで。

作者:

更新日:2008年8月18日 16時51分

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マハトマ・ガンジー曰く 「七つの社会的罪」


一 原則の無い政治   (永田町)
二 労働を伴わない富  (ホリエモン2審でも有罪)
三 良心の無い快楽   (通り魔)
四 個性の無い知識   (wikipedia)
五 道徳心の無い経済行為(偽装)
六 人間性の無い科学  (核開発)
七 犠牲を伴わない信仰 (結婚式は教会で、葬式は仏式で、初詣は神社へ)

カッコ内の例、他にも色々有ると思います。コメント欄に書き加えてください。

作者:

更新日:2008年8月14日 15時18分

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秋たちて


心あてに それかとぞ見る白露の ひかりそへたる 夕顔の顔。

この暑さ 過ぎ行く夏と 想いつつ 愛しさ伴に 秋待つ今日。

毎年同じ思いを60余年。 4季それぞれに 花は咲き 鳥は歌う、人は季節の恵みを堪能する。

秋立ちて、週末には五山の送り火、栗の実が,青いながらも大きくなって、鉄漿蜻蛉が飛び出した。

北京で、甲子園で、若人たちの汗が眩しい。

作業場向かいの稲穂たちも、すこし頭をたれだした。

一ヶ月後、泉州辺りでだんじり囃子が聞こえる頃には秋本番。あと少し、あと少し。


稲穂

作者:

更新日:2008年8月11日 11時40分

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鬼オヤジの咆哮


「無駄」 「働き」 「動き」 「作業」 「正味作業」 「付随作業」

=動きを働きに変える=
 例えば夜中に雨が降った、現場によっては水が溜まっている可能性がある。朝8時稼働と言いながら水が引くまで、全員で2,30分待っていては「無駄」である、職長が30分早く来てポンプのスイッチを入れれば済む話である。
 一連の作業の中には「動き」と「働き」が錯綜しており、「動き」の何割かでも「働き」に変えることが出来れば生産性は十分あげる事が可能だ。
 工事現場の作業を細かく観察すると、作業者の動作は「作業」と「無駄」に分かれる。さらに「作業」は「正味作業」と「付随作業」に分かれる。
このうち「無駄」は作業をしていく上で、何等必要が無く、原価のみを高める動作を指し、直ぐに省いていく必要が有る。改善は先ず此処から進めていく事になる。
 そして「付随作業」は、付加価値の付かない作業を指す。本来は「無駄」と言えるが現在の作業条件ではやらなければならないものも多い。例えば、設計変更の伝達ミスによる手直しや、そのために生じた不足資材の運搬と言った作業であり、これらは作業条件を改善すれば「無駄」として省く事が可能になるし、また「付随作業」の発生そのものを止める事が出来る。
 「正味作業」は付加価値を高める作業であり、作業全体に占める「正味作業」の比率をいかに高めるかが重要になる。どんなに作業者が忙しく働いた積りでも、「正味作業」以外はただの「動き」であり、「働き」とは言えない。「無駄」や「付随作業」を減らして、「正味作業」の比率を高めていく事を =動きを働きに変える= と言う。

=無駄とは何か=
 現場の職長の役目は何かと言えば、作業している人の動きをよく見て「無駄」な「動き」を「働き」へと改善していく事だが、その際「無駄」とは何かをきちんと理解していないと本当の改善が出来なくなってしまう。ダメ押し作業の甘さの手直しを一つの工程と見ると、「働き」に成るが、甘いダメ仕事を「無駄」と考えれば、それはただの「動き」に成る。明日使用する金物が不足なので、倉庫へ取りに寄ることも、正確な「材料拾出し」が出来ていれば不必要な事なので「無駄」な「動き」となる。 「働き」とは工程が進み、仕事が出来上がっていくことを指し、それ以外はすべて「無駄」となる。
 汗を流して忙しく動き回っている人や、朝早くから夜遅くまで働き、時に休日出勤も厭わない人を見て私たちはしばしば『良く働いている』と感心するが、大切なのはそれが「動き」なのか「働き」なのか見極める事であり、よく「動く」ことは決してよく「働く」こととイコールではない。

=片付=
 倉庫や置き場で、モノを捜す事を「仕事の内」と考えているうちは整理と整頓を徹底するのは難しい。
要らないモノを処分する事が「整理」であり、欲しいモノがいつでも取り出せることを「整頓」と言う。ただきちんと並べるだけなのは「整列」であって現場の整理は「整理整頓」でなければ成らない。
 此処で言う「必要なモノがいつでも取り出せる」は「見習いの新人でもできる」と言う意味であり、モノは「必要なモノだけを必要な量だけ」保管し、かつ誰でも簡単に何が何処に幾つ有るかがわかり、しかも直ぐ取り出せることが必要だ。
 仕事には絶対に守るべき基本がある。品質と安全を第一に、そして整理整頓。こうした確りした基本が出来てこそ、その上に強い「現場力」を育むことが出来る。

作者:

更新日:2008年8月6日 15時51分

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「 勿体無い! 」


 自然や物に対する敬意、愛などの意思(リスペクト)、消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、再生利用(リサイクル)、修理(リペア)の概念、これらを一言で表せる言葉として日本語の「MOTTAINAI」を世界共通の言葉として広めているという、ケニアのノーベル平和賞受賞者、環境活動家・ワンガリ,マータイ女史。
 無駄な公共工事の削減(東海道新幹線新駅建設や大戸川その他のダム工事の凍結)を訴え、キャッチコピー「勿体無い!」で2006年7月滋賀県知事に当選した、嘉田由紀子さん。(以上Wikipedia参考)

 29日に決裂した世界貿易機関(WTO)多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)。国内業者保護の為の輸入品の高額関税の比率で欧米は4%~6%を主張、日本は8%を死守したい所だが、日本の8%の枠に入っているものは全て食料品である。それでもわが国の食料自給率39%に過ぎない。

 使い切れずに腐らせてしまった野菜、食べ残しのおかず、賞味期限のとっくに過ぎた調味料。後ろめたさを感じながら捨ててしまった事はありませんか?
家庭の廃棄食品は年間1000万トン、捨てられる事の多い食材は野菜(44.1%)、調味料やスパイス(26.2%)、おかず(23.4%)、乳製品(19.2%)、果物(8.0%)、魚介類(7.2%)、肉類(6.2%)、乾物(6.2%)の順です。(対象、20~60代の女性401人、複数回答)
野菜だけで見ると、捨てる事が多い順に、キュウリ、青菜、葱、キャベツ、モヤシ、大根、白菜、レタス、キノコ類。 傷みやすい野菜や、まとめて安く買った野菜、一個が大きい野菜が捨てられる。
対策としては ①必要なものを必要なだけ買う。②週一回は食材の在庫一掃を。③調味料の使い方を広げよう。などである。

 食品製造、流通、外食産業での食品廃棄物は1100万トン。
例えばコンビニ弁当、食材の多くは外国からの極安の農産物と加工食品で保存料や消毒剤の添加物が使われ消費期限が切れた弁当はどんどん捨てられます、買われるかどうかわからない弁当まで店頭に陳列せざるを得ないシステムは大量の廃棄食品を出す宿命です。
フード,マイレージとは食品が運ばれてきた距離の事です、生産地から食卓までの距離が長いほど、飛行機や船などの輸送に掛る燃料や二酸化炭素の排出量が多くなります。また海外からの長旅で疲れ果てた野菜は栄養素も損なわれています。
国産や地場作物を意識して旬のものを選ぶ事、旬のものは栄養価も高く安価です。(以上赤旗7月27日号より抜粋)


作者:

更新日:2008年8月1日 16時11分

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近江と南都を結ぶ仏の道


 昨日は他のブロガーさんの記事に出ていた「石山寺と湖南の仏像展」を大津市歴史博物館へ見に行った。
博物館は京阪電車なら別所駅、JR湖西線なら大津京駅下車だが、車だったので唐崎まで足を伸ばして「鶴喜」の蕎麦で昼にした。
女房が一緒なので運転は彼女に任せられる、「蕎麦焼酎の蕎麦湯割り」と鰊を頼んだ。
「沢山頂か無くて良いのよ!」
「朝(飯)が遅かったさかいにナ」
「そうじゃない、お酒の方!」
「♪,あァ~サヨカ!」
帰りがけ、レジの横で「宝くじ」を売っていた。レジの女性はふくよかで、まるで福の神のように見えたので、
「オカン、宝くじ10枚だけ買っとこ」
「そんなもの買って、もし当たったらどないすんのん」
と言いながら食事代に3000円プラスして払っていた、当たる積りでお金払ろてるから、恐ろしい。たとえ幾らかでも当たったら、
「私がお金を払ろた!」と言うだろうし、当たらなかったら、
「あんたが要らん物,買を言うて、えらい無駄使いやわ」とボヤクだろう。

 三井寺近辺に行く機会があれば見ておきたいところが有った。それは大津歴史博物館と三井寺の間にある「総本山円満院門跡」境内に「大津絵美術館」成るものが有るのをナビで見つけていたので一度行ってみたいと思っていた。
結論から言えばガッカリ!、と言うより腹が立った。そこは畳8畳ほどのスペースで20幅ほどの「大津絵らしき物が」並べられていた、しかも全てに値札が付いている。展示品に値札か付いてる美術館はおそらく此処だけだろう。門跡寺院の威光を語り、みやげ物売り場に仰々しく「大津絵美術館」の木札を掲げ、どう言う積りなんだろう。
僕のような大津絵ファンや、大津絵に携っている人々をバカにしているとしか言いようが無い。何も知らない人があれを見て「大津絵ってこの程度のもの?」と思われたら大変だ。

 何はともあれ「大津市歴史博物館」に向かう。
おおうみ、琵琶湖より唯一流れ出る川、瀬田川、京都に入り名を宇治川と改まり、京都府八幡市で、三重県名張から来る木津川と、上鳥羽で加茂川と合流した桂川の三河川が淀川として一本にまとまる。これらの川の流れは、都(飛鳥、平城)と近江を結ぶ大動脈として認識されてきました。
おおうみの出口、瀬田川の畔の石山寺から、瀬田、田上、大石、宇治田原、宇治市、城陽市を湖南地域として近江と南都の親密な交流を、現存する仏像を通して遡ろうと言う意図の下企画されたもので有ります。
100を越える仏像との小一時間に渡る対面は、疲れました。圧巻は、石山寺多宝塔の本尊・快慶作,大日如来像。と、宇治田原町・禅定寺所蔵の,木造四天王立像。大津市大石・若王寺所蔵の,同じく木造四天王立像。
大日如来像は正面に向かい合うと全体像に比較して、大変お顔が大きく感じられたが、人間の背の高さほどの所へ安置させると、拝観者は下から見上げるようになるので、この大きさのお顔が丁度良いそうである。恐るべしは快慶さん、視野の遠近まで計算してのお仕事ぶり、伊達に名を残していない。

 さて此処で思いもかけない嬉しい出来事と遭遇した。博物館の2階で「石山寺と湖南の仏像・企画展」を開催していたのだが、1階では「絵変わり大津絵の世界」をやっていました。此方の方は撮影もOKと言うことでバチバチ写してきました、整理が出来れば画像UPします。

作者:

更新日:2008年7月29日 14時39分

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