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トップ > ソマリ > ソマリ - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月5日 11時)
「時間を省く」 「スロー・・・」4
著者はこう述べる。
「『時間がかかる』ことはいつから問題となったのだろう。文明批評家で環境運動家のヴォルフガング・ザックスによれば、『時間と空間は克服されるべき障害』とするところにこそ近代という時代の特質がある。(中略)
そういう時代の中で人々は常に時間的、空間的な制約に対して闘い続けることを強いられる。(中略)時間を省くことで、その省いた分の時間をもっと有意義なことのためにとっておくため。しかし、だ。ハイテクが省いてくれたはずの時間は一体どこへ消えてしまったのか。」 P94
まさにそうだ。私自身は長年にわたって、「時間管理」をすごくするタイプであった。それは生活習慣になってしまっている。常に計画的にやってきた。その計画は日々の時間管理から成り立っていた。だから時間の無駄を省こうとし、電車のなかで読書するのは当たり前だった。
その時間管理がだんだん「おおまか」になってきている。ここ3~4年、交通機関のなかで読書するのはやめにしている。地下鉄では、まわりを観察することが多い。ケータイ、読書、睡眠でたいていの人は過ごしている。時間を節約しているともいえよう。
私自身、こうした時間に「追われる」生活から抜け出してきたのだが、「時間管理」の癖からなかなか抜けきれない。でも、時計を見ることが大変少なくなってきた。そして、「今」を味わいながら行動することが増えてきた。
著者はこうも述べる。
「『時間がかかる」ことの中でも、直接生産や金に結びついていないように見えるものは「雑事」とか「雑用」とか「野暮用」とか呼ばれる。家事全般がそうだ。それは『できることなら無しですませたい』厄介事であり、それに携わることは一種の無駄だと見なされ・・・」P102
「我々は『留まること(ステイイング)』の価値を忘れがちだったようなのだ。(中略)「雑事」の数々はどれも「留まること」に関わる、『留まる者』たちならではの技術(アート)といえるだろう。」P103
その通りだ。最近、散歩もウォーキングと呼ばれ、かなりのスピードがあることが健康にいいとされる。私の散歩はまさに散歩。「留まる」ことが多い。人に出会えば話し、動植物で印象深いものがあれば、そこに留まり、海や空をながめてぼんやりする。コースはその日次第だ。決まりきったことをだんだんしなくなってきた。
こうしてコンピュータに向かっている時も、向かいたくなったときに、向かうということが多くなった。無理をしてでも向かうということがなくなってきた。
ということで、カミキリムシ?を見つけたら、おもしろいと思って、写真にとり、ブログに載せるなんてことをしてしまう。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月5日 14時38分
カミキリムシ?

ベランダのブーゲンビリアにとまって、じっと動かない。昨日からだ。
名前を知ろうとおもって、図鑑を探す。
昆虫にはまったくうとい私には難しい。
でも一番近いのは、屋比久壮実『いちむし』のなかのカミキリムシ(カラジクェー)だ。
この仲間で一番大きいオオシマゴマダラカミキリは体長4㎝近くとあるが、写真のものは、4㎝は越えそうだ。
柑橘類を食べるという話は、先日の字共同作業でも聞いた。かって中山は柑橘類が多かったが、カミキリムシにやられてしまったとのこと。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月5日 13時36分
コンクリートほこりを浴びて、日頃の空気のきれいさを再確認
昨日あたりから、どうも鼻がグズグズして、鼻水・鼻づまりが激しい。
最初は急に寒くなって風邪気味なのかと思った。
そのうち、コンクリート「はつり」工事が大量のコンクリートほこりを出しており、それが鼻を強烈に刺激していることに気づいた。
はつり工事は、防御板をたててやっているが、どうしても外にはみ出してくる。
それを吸った私の鼻が強烈に反応したようだ。
私は10代前半から呼吸器系統、とくに気管支炎で悩んできた。
沖縄に来てずいぶんよくなったのだが、それに加えて鼻うがいが症状を改善させ、毎年何度も悩んできた気管支炎での高熱は、もう忘れるぐらいの出来事になってしまった。玉城に引っ越してきてからは、それまで毎日していた鼻うがいを、時々するぐらいになっていた。アメラジアンスクールインオキナワに通勤するときは、どうしても排気ガスを浴びるので、時々鼻うがいをしたが。アメラジアンスクールインオキナワへの通勤がなくなって以来、鼻うがいはしてなかった。だから、鼻うがいの必需品アロエも使っていなかった。
でも、今回のコンクリートほこりは、鼻うがいを必要とするもので、今夜、鼻うがいを久しぶりにした。
工事をしている人は、防塵マスクをしているが、よくぞこの仕事をしているものだ、と感心している。
近く東京にいくので、また都市のほこりを浴びて、鼻うがいが欠かせないなあ、と思う。
ということで、我が家周辺のふだんの空気がいかにきれいかを再確認する機会となった。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月4日 21時47分
いじめられている外国人の子ども アメラジアン
28日のブログ記事で、ジャパンタイムズ記事のことを紹介した。
しかし、その記事は英文なので和訳してみた。わかりやすくするために、意訳に近いことを予め断っておく。
まず私なりのコメントを加えよう。
私がかかわっているアメラジアンスクールインオキナワの生徒たちは、この記事でいう、日本人、非日本人ということでいうと、日本人でもあり非日本人でもある。だから、この記事でいう外国人(非日本人)の場合と共通する問題と異なる問題とが以下のようにある。
1)国籍は日本とアメリカという二つをもつことが多い。この例は世界的にみると別に珍しくもない。しかし、日本政府は国籍は一つだけという発想なので、22歳から、どちらの国籍を選ぶのかと迫られるのだ。日本人でありアメリカ人であるというのでいっこうに差し支えないと思うのだが。ここには「単一民族信仰」が存在しているのだ。
2)日本国籍をもっているので、日本の公立学校への就学義務がある。だから、アメラジアンスクールインオキナワに通学する生徒は、公立学校に籍をもち、その学校を「不登校」になっていて、「代替施設」としてのアメラジアンスクールインオキナワに通っているという解釈なのである。
3)両親が異なる国籍をもっているなどの事情で、二つの国籍をもつ、ないしは二つの文化・言語にルーツをもつ子どもは激増している。「国際結婚」が、15組の1組の時代だから当然だ。だから、アメラジアンスクールインオキナワは先駆的存在ともいえよう。
4)外国人の子どもだけでなく、こうした子どもたちに対しても、日本の行政・教育界は適切に対応する構え・蓄積がきわめてない。だから、「逃げ」になる。「不登校」になれば「追いかけない」。
5)公立学校に就学することが保障されたとしても、大きな問題が存在する。日本の公立学校は単一文化・言語の学校なのだ。これは国際的動向からいうと、きわめて「立ち遅れた」事態だ。複数の文化・言語で教育を行う公立学校をどうつくりあげていくか、という課題に、日本の公立学校は取り組んでいないというべきだろう。
国際協力・国際交流というが、この問題を避けて通っているのだ。
6)かりに、二つ以上の言語・文化をもつ子どもも「国際児」と呼ぶことにしよう(私個人は余り好きではないが、いまのところやむをえない)。その「国際児」は、外国人同様、日本の公立学校では、いじめにあう確率がかなり高い。では、もう一つの言語・文化の学校ではどうだろうか。そのことについては、私は書けるほどの情報をもっていない。しかし、それに類したことがあるかもしれない。その結果「どっちつかず」になってしまう、苦労をなめることがあるかもしれない。
この「いじめぜろ」プロジェクトは、記事にもあるように、日本人の教育関係者の参加を求めている。記事のなかに記されたHPは日本語でも書かれている。是非ともアクセスしてほしいと思う。
私のブログ記事、メーリングリストでの記事で、外国人の子どもに対応している現・元公立学校教員二人の方からの反応があった。深く御礼したい。
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ジャパンタイムズ 2008年11月28日記事 和訳(意訳)浅野誠
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いじめられている外国人の子どもにNGOが支援の手を伸ばす
いじめが日本の子どもたちを襲っている問題だということは、広く認知されている。しかし、同じように困っている非日本人の子どもや親にとって、自分たちの母語で共感を得たり、実際に役立つアドバイスを得たりするのは大変な難しいことだ。
現在、群馬県にあるNGOの多文化教育研究所は、日本中の非日本人の親や生徒に支援の手を伸ばしている。同様に、外国人の子どもに対するいじめをやめさせたいと心配している日本人にもだ。
「いじめゼロ」キャンペーンは、電話ホットライン、英語・日本語・ポルトガル語・スペイン語でのアドバイスをしているホームページなど、たくさんのことをしている。
「いじめのなかの『外国人嫌い』的側面については、日本の教育では誰も視野に入れていない。」と、このNGO責任者で、群馬にある国際コミュニティ学校代表のカイラン・ミックメーヒルさんは語る。
政府は、いじめられた日本人の子どもに対しては支援するが、外国人の子どもに対する母語によるサポートはほんの少ししかしない、とメーヒルさんはいう。この空白を埋めるために、このNGOは、三つの支援をする「いじめゼロ」キャンペーンをしている。
第一に多文化フォーラム。そこでは、外国人の子どもと家族は、かれらの懸念を表明し、お互いに助け合うことができる。第二に、外国人の生徒を教えている、日本人非日本人を問わず全国の教育者が、いじめ対処のための情報と支援をえることができる。第三に、いじめを扱っている多言語による文献・DVDを送料負担だけで借りることができる。約3000のものを貸し出すことができる、と彼女は語る。
全国的にいうと、25000人以上の外国人の子どもが在学している。大多数はブラジル人、ついで中国人だと思われている。「違う」「日本語を話さない」といった理由で頻繁にいじめられている外国人の子どもの不登校は、とくに群馬や中部地方のように大量の外国人居住者がいる地域で、最近重大な懸念事項になっている。
地方自治体も中央政府も、外国人の子どもを日本の学校に統合することがますます不可欠になっているという。しかし、現実に行われていること、そして誰がリーダーシップをとるべきかということでは、食い違っている。中央政府は地方自治体に対して、もっとやりなさいとせきたててきたが、財政緊迫の地方自治体は、政府が国の政策をきちんと設定し、資金や支援を提供しなければ、自分たちでできることは少ないという。
人権活動家はこう指摘している。外国人の子どもの不登校の基本的理由は、公立学校への登校が法律によって求められていないことにある。いじめや他の理由でドロップアウトしたものは法的には学校に戻る義務はないということなのだ。文部科学省の立場は、公立学校が外国人の子どもから目をそらすことはできないが、教室にいるようにきちんとやる必要はない、ということなのだ。
「外国人の子どもにも確実に行き届くように、義務教育にかかわる法を修正することが、日本にとっては第一順位のことだ」とミックメーヒルさんはいう。
昨年の政府調査によると、日本にいる少なくとも1%の外国人の子どもが通学していないが、外国人登録をしている日本にいる子どもの17.5%が所在不明で、不登校の本当の数ははるかに高いだろう。
「外国人の子どもが話す多様な言語は、解決すべき問題なのではなくて、日本社会全体を豊かにしていく資源と見る必要がある。教室に外国人の子どもがいれば、日本の子どもはもっと多文化的になり、子どもたちが成長し世界に出ていく時に、大変有益なことになるだろう。」と彼女は語る。
「いじめゼロ」キャンペーンについての情報、そして国際児およびその親への支援については、多文化教育研究所に訪問するか、ホームページhttp://www.ijimezero.org/をご覧ください。
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作者:浅野誠
更新日:2008年12月4日 19時8分
生コン注入

超うるさい「はつり」工事が終わり、エレベーターを載せる基礎部分に生コンを注入だ。
この工事は19日間かかる。結構な大工事だ。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月4日 15時49分
エレベーター工事
オオゴマダラ

畑作業をしていると、目の前をオオゴマダラが飛ぶ。私からの距離20センチといったところ。
オゴマダラは、人も恐れず悠々と飛ぶ。
しかし、その時、ケータイもデジカメをもっていない。
研究室に戻ると、隣の森のすぐ近くを飛んだり、とまったりしている。
そこで、早速デジカメで撮影。ズーム拡大しているので、鮮度はいまいちだが。

囲った網のなかの飼育しているオオゴマダラは容易にみられるが、自然のなかを自由に飛んでいるオオゴマダラを身近でみるのは、田舎暮らしならではと思う。
偶然だが、我が家のオオダマダラの食草の手入れを昨日したところだった。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月4日 15時5分
佐敷富祖崎のイルミネーション

「祝百年」とあるから、集落百年なのだろう
このところの卓球練習場所がある富祖崎体育館からの帰り道に写す。
すごく大きい。多分、公民館とそのまわり全体をイルミネーションにしている感じ。
写真の左側も右側ももっとイルミネーションがあるのだ。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月3日 23時1分
夕焼けシリーズ6−森と太平洋
夕焼けシリーズ5−月と

南西の方向に月が見えはじめた。
月の右下には、金星と木星が見えるはずだ。
この時間ではまだ無理。これから15分後には見えた。しかし、ケータイではうまく写らない。
昨夜の写真はデジカメだ。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月3日 17時53分
夕焼けシリーズ4
夕焼けシリーズ3−−まぶに
夕焼けシリーズ2

私のケータイ歴は、1年3ヶ月。
この撮影をしている時、ボタンを押し間違えたら、「ズーム」というのがでてきた。
はじめて、ケータイにズームがあることを知った。
そのズームでの写真
作者:浅野誠
更新日:2008年12月3日 17時49分
夕焼けシリーズ1
我が家は工事騒音真っ最中
我が家は、地形の都合上、四階建てなので、上り下りが大変だ。とくに足腰膝などに悩んでいる人には大変だ。
ということで、ホームエレベーターを設置することを決断した。
その工事が今週スタートした。建物建築当初から、エレベーターを設置できる構造にはなっている。しかし、設計当初とはエレベーターの仕様が変わったらしく、エレベータードア部分について、コンクリートを切断してはがす「はつり」工事が必要となった。その工事が昨日から明日まで行われる。
その音はすざまじい。よく騒音の基準に、ガード下の音とか、航空機のジェットエンジンの音とかが例に上がるが、それ以上かもしれない。それが朝8時から5時まで続く。
したがって、その時間、どのように過ごすかが、私たちの苦労するテーマだ。私の場合、畑仕事に逃げるのが得策だが、それでも我慢して、コンピュータ仕事や読書をすることもある。今日になると、慣れてきたせいか、比較的静かな部屋で昼寝もできてしまった。人間というのはおそろしいものだ。
それにしても、工事をしている人が大変だ。音だけでなく、コンクリートの粉が舞い散る。特殊マスクを着けての仕事だ。
世の中、いろいろと大変な仕事もあるが、この仕事もそうなのかもしれない。
明日、この工事が終われば、静かな工事へと移るはず。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月3日 17時0分
沖リハ12、13回目 練習段階を越えつつある

プログラム、コーディネイト、そして、コメント内容、いずれも毎回前進。
このレベルなら、いろいろなところで実際にやれそうなレベルだ。
後は、経験回数を重ねて、その場その場に応じた対応・深めができるようになっていくことを期待するだけだ。
12月4日夜に追加して書き込みます。
今回のブログレポートは、あんりグループと、宜保グループの二つについて書いてください。冨村グループのものは、3日の討論で終えていますので、書かないでください。もう書いてしまって人は、そのままでかまいません。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月3日 13時38分
「問題を生きる」 「答えを生きる」 「スロー・・・」3
前回紹介したもののすぐ後に、自然農法で知られる川口由一を紹介しつつ述べる個所がある。
環境運動などについて、「それらの問題をたててその解決に取り組むことが、いつの間にか、『生きる』ということのかわりをするようになってはいないか。問題を追いかけることに忙しく、肝心の『生きる』ことがおろそかになってはいないか。」 P29~30
私自身「うちあたい」する指摘だ。40代前半までまさにそのような生き方をしてきたし、その後このことに少しづつ気づきはじめたにしても、『生きる』ことを大切にすることを実行できはじめたのは、50代後半からであり、いまだに「問題を追いかける」癖は強烈に存在している。
さらに、川口によりつつ、次のように述べる。
「いのちはおおもとのところでは無目的で、無方向だ。」
「今を生き、目的なく営み続けるのみだ。そこには終わりも始まりもない。過去、現在、未来の区別もない」
「かって人々は、目的をたて問題をたてながらも、生きること自体を何かさらに大きな目的のための単なる手段だと考えたり、生きるということがあたかもひとつの問題であるかに感じて思い悩んだりすることはほとんどなかった。なのに我々の時代は、人々が必死に生きがいを求め、存在理由をさがし、役割を模索し、それが思うようにうまくいかない時には生きる気力を失ってしまうという時代だ。では、以前はどこが違っていたか。『生きる』のに理由など要らなかった。『生きる』ということに過不足はなかったのだ。」
「『今』はいのちの表現であり、『答え』。その『今』を、その『答え』を人間をひたすら生きてきた。『今』が未来と切り離されるまでは。そして単なる未来の手段だと見なされるようになるまでは。」
「社会運動家や環境活動家も、『未来の子どもたちのために』といった美辞麗句ですませておくわけにはいかないはずだ。」
「問題を『答え』ととり違えてはいないか。『答えを生きる』かわりに問題を生きてはいないか。『今』は未来の手段に成り下がってはいないか。ぼくたちの『今』は空しく、宙に浮いていはしないか」 P30~32
これらの叙述は、私には強烈なパンチに近いものがある。
「近代」の産業社会は、それ以前の当たり前のことをこのように大変化させたのだ。この叙述は、目的をもち計画・課題をもって生きることを否定しているわけではないが、そのことで、『今』『生きる』ことを結果的にないがしろにしている状況を鋭くついているのだ。それは、人生後半期、とくに人生「終盤」の人には、「名を残す」などいったようなこと以外に、「生きがい」がないことにしてしまう。そして「やり残した」、あるいは「無用だ」といった認識を広汎なものにしているのだ。「生きる」こと自体、「生きて、生活する」こと自体、そのなかで、私の本のサブタイトルではないが、「自然と、人々とつなが」っていること自体に価値があるのだ。
ところで、川口は、この本の別の個所で登場し、このブログでも登場した福岡とならんで、もうひとりの著名な自然農法実践者のようだ。かれの本も何冊か出ているようで、手に入れて読んでみたいと思っている。
作者:浅野誠
更新日:2008年12月3日 8時16分
絵本講座−−−本日の作品
磯崎主佳絵本作り講座
夕焼け 三日月 木星 金星

夕焼け 上の方に三日月が見える
そして、10数分後
三日月と木星と金星がならぶ。
今朝の新聞には昨夕の写真がのっていた。
三脚なしで普通にとったので、木星がうっすらとしかわからないのが残念

作者:浅野誠
更新日:2008年12月2日 18時48分






