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トップ > ターキッシュ アンゴラ > ターキッシュ アンゴラ - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年10月13日 8時)
(by paco)「民主党のアメリカ 共和党のアメリカ」をぜひ読んで
(by paco)「民主党のアメリカ 共和党のアメリカ」を読みました。 今年は大統領選の年。サブプライム問題で慌ただしい米国ですが、ブッシュJr.政権は今年限り。来年からは新政権になります。日本は「米国の51番目の州」と自嘲気味ですが、「宗主国」のあるじの交代は、無関心ではいられません。 とはいえ、米国の二大政党の名前もわからないし、ましてどこが違うのかも意味不明、というのが平均的な日本人の感覚です。そのあたりを、建国からの歴史をさかのぼりつつ、詳しく、かつ実に鮮やかに描いてくれているのが、この本です。 著者の冷泉彰彦は、村上龍主宰のJMMで長年米国からのレポートを送っていて、クリアな視点に多くを学ばせてもらっているのですが、この本は、このレポートの視点をさらにテーマにクリアに書いてくれていて、すっきり読めます。 11月からの選挙のタイミングで、ぜひ読んでください、絶対おもしろくなることを請け合いです。
作者: paco http://suizockanbunko.com/
更新日:2008年10月11日 10時12分
(by yuki)ムダを考える
(by yuki)遅い夏休みということで、10日間ほどの一時帰国でした。巷では中国の食品についての話題が多くて、私も会う人みんなに「大丈夫?」と尋ねられました。確かに問題はあるのでしょうが、私自身は世間でとらえているほどの問題意識はなく、もう何年も中国で生活しているからそれなりに体内に蓄積されているんじゃないのかなぁとぼんやり考えている程度だったりするのです(笑)。それに中国にいると時々なる胃腸炎は友達のようなもので、よくは分かりませんがそれなりに抵抗力がついて、むしろ昔よりタフになっているかもしれません。 日本では外食する機会が多かったのですが、「食べ残し」についてちょっと不思議な感覚がありました。昔、日本では食べ残しが大量にあってもったいないと思うことが多かったのですが、もしかして中国(都市部に限定しての話ですが)のほうが多いんじゃないかと感じてしまったのです。人口ではなく、一人当たりが残す率というところでしょうか。 中国で食事をキレイにたいらげてしまうのは、もてなす側に「この人はこの量じゃ足りない」と思わせてしまうため、もともと皿の上に少し残すことが多いし、一皿あたりの量もすごく多いからどうしても残してしまいがちです。余ったものはテイクアウトすることも一般的なのですが、果たして冷めたその料理を家で本当に食べているのか?という疑問も残ります。 中国の人たちの生活レベルが一気に向上して、購買力や消費力も増えている。日本の空港でも大量の中国人ツアー客が、一人当たり2,3個のスーツケースに日本で買ったらしき物でいっぱいになっている様子がすごく目について、この人たちが日本で落としていくお金ってすごいんだろうなぁと感心しました。だから、そんな彼らが当たり前のように食べ残しをしていれば、きっとその量はとんでもないのでしょう。 逆に、日本ではレジ袋のムダが目について仕方ありませんでした。中国では2008年7月から制定された法律により、レジ袋は一律有料化となっていて、こちらではエコバッグを持ち歩いています。 エコバッグの導入自体は日本のほうがずっと早かったのですが、それほど徹底されているわけでもありませんよね。スーパーではエコバッグを持って行ってポイントを貯めている姿も見られますが、コンビニに関しては全くです。中国のレジで「袋いりますか?」という質問に慣れすぎているため、日本で当り前のように何も聞かずにムダにレジ袋を使用している様子を見て、すごく違和感を覚えます。「(袋は)けっこうです」という客の声も聞こえてこないから、せめて自分だけでも、という思いもあり何度か袋は断っていたのです。でも、日本人全員が毎日レジ袋1枚断れば、その積み重ねって相当数になるのになぁ…と思わずにはいられませんでした。 私の感覚ですが、この手の問題に関して「中国よりも日本での意識のほうが高い」と思っている日本人が多いと私は感じています。確かに中国での意識はまだまだな部分もありますが、常に日本が教える立場ではなく、逆に教えられることもあるのだと素直に受け入れられるようになると、きっと何か変わるんじゃないかなと感じた数日間でした。
作者: writers
更新日:2008年10月6日 14時46分
(by ショウコ.i) オウチ探し(2)人生計画。
(by ショウコ.i) 結婚して丸3年。 これまで夫婦2人で気ままに暮らしてきたが、家を建てる、子どものことも・・・となればそうはいかない。 自分たちがイメージする人生には一体どれくらいのお金がかかるのか、遅ればせながら、人生プランを書き出してみた。 住宅ローンのほうは、先日から夫が試算してくれている。 定年前に余裕を持って支払い終えられるように、と返済期間を短めに設定しての試算なので、月々の支払いは結構な額。ムリではないけども、余裕のなさがメンタル面に影響を及ぼさないか少し心配な感じ。 加えて、2年後くらいには子どもがいてもいいのではないかと考え始めた私たち。 平均的な子育て費用(学費、学校外活動費、こづかいなど)を調べてみたところ、小中高、とすべて公立としても600万円弱という。大学も加えた金額を均等にならしてみると、子どもが生まれた時点をスタートとして1人あたり月5万くらい貯蓄していく必要があるみたい。 ・・・今のままではいけない。 子育て中の主婦が、時間ができ次第パートに出て月5万、10万の収入を得るという生活がものすごく現実的なイメージとなってわいてきた。 一番の課題は私の収入だろう。 家でできる仕事をしてる・・・とはいえ、今はまだまだ「主婦がたまに雑収入を得ている」状態に過ぎない。 ある程度時期を区切って、場合によっては今の道をすっぱり諦めて確実に収入を得られる方法をとるべきか? 「まだまだ」とはいえ、人とのつながりとか、自分の実感とか、小さいながらも蓄積と言っていい(と、自分では思える)ものができはじめている。 今はとにかく頑張る時期であることは間違いない。 その頑張りが実を結びはじめるのは、5年後なのか、10年後なのかわからないけど、何より、自分自身が辞めたくないと心から思っている。 だけど、子どもが生まれたら一体どうなるんだろう? 自分の性格を考えてみても、子どもと、制作への集中を両立できるのか、自信は、ない。 そして、一番頑張らなくてはいけない時期に頑張れなかったら、それはつまり・・・ そんなふうに考えても仕方ないと思いながら、これまで迷いながらフラフラしてきた自分が、改めて情けなくなる。 夫は、今は自分の道にとにかく集中しろ、と応援してくれているが、そんな夫に、自分と、子どもと、同居するかもしれない親の分まですべて負担してもらうというのか?こまれ30年も生きてきた自分の、大人としての力って一体何なのか? 思考を切り替える。 必要になってくるのは、子育て資金、月に5万、10万、+α。 営業原資を加えて考えてみても、決して非現実的な額ではないだろう。 今の自分は、2年前の自分と比べれば確実に進歩しているのだ。 少なくとも2年。 神様がくれた時間を歩むのは自分自身なのだ。
作者: writers
更新日:2008年10月6日 13時53分
(by JIN)フェルメール展に行ってきた
(by JIN) 上野の東京都美術館で開催されているフェルメール展に行ってきました。 http://www.tbs.co.jp/vermeer/ 今回のフェルメール展の最大の特徴は、世界に30数点しか現存しないフェルメールの絵画のうち、一度に7枚も展示されることです。私が日本でフェルメールを観にいくのはこれで5回目ですが、毎回、「1枚のみ」展示することを以って「フェルメール展」と称されていました。一度に7枚というのは、フェルメール・ファンにとっては見逃せない展示会です。 7枚の内訳は次のとおりです。 ・宗教画・・・2枚 ・風景画・・・1枚 ・人物画・・・4枚 このうち、私が特に気に入ったのは、風景画と人物画のうちの1枚「手紙を書く婦人と召使」の2枚です。 http://www.tbs.co.jp/vermeer/pdf/att080804_jp.pdf そもそも私がフェルメールを好きなのは、非常に精緻な写実画を描き、写真以上にリアルに情景を表現しているからです。特に、光が人物や物に当たった様子を微妙な色彩で現実以上にリアルに表現している所が大好きです。 今回の風景画と「手紙を書く婦人と召使」は、私の好きな上記フェルメール・イメージにピッタリとマッチしていました。 今回の展示会は、フェルメールの作品の多さも去ることながら、フェルメールの作風に近いオランダ同時代の写実主義の画家たちの作品も割と多く展示されています。2歳の子連れで行ったこともあり、今回はなかなかすべてを時間をかけて観ることはできませんでした。展示会は12月中旬まで続きますので、もう一度行ってみたいと思います。 (by JIN)
作者: writers
更新日:2008年10月6日 12時43分
(by JIN)ポッポ、ナイナイ
(by JIN) その日、娘が起きた8時頃、父親の私はまだ自宅にいました。 平日は6時前後に出て行ってしまうため、朝、娘と会う機会はないのです。父親がいる日・・・それは、休日の土日なのですが、2歳の娘には曜日などどうでもよくて、その日は、「朝から散歩に連れて行ってくれる人」がいる日なのです。娘が起きた時、私がガサゴソしている音を聞きつけて、一歩一歩足を後ろ側に30度位ずつ曲げながら、パタパタと駆け寄って来ました。見ると寝起きのいい娘は、つい一分ほど前まで寝ていたのをすっかり忘れたかのように顔をほころばせて笑みが口元からほっぺの辺りまで満面に広がっています。80センチの高さから私を見上げて発した言葉は・・・ 「ポッポ、行くぅ?」 娘が散歩を好きになり始めた1歳過ぎ、鳩に餌をやるのに夢中になった時期があります。散歩に出かけるのは、娘にとって鳩に会いにいくことと同義であったことから、散歩=鳩=ポッポとなったのでした。そして、最近は、単語だけでなくて、少しだけ2つの言葉をつなぎ合わせた表現も可能になってきました。それで、「散歩に行く」=「ポッポ、行く」となっているのです。 ところで、私は、「ポッポ、行くぅ?」に対する返答に困ってしまっていたのです。通常の土曜日ならば良いのです。でも、この土曜日は、平日の仕事が終わらずに週末に持ち越しになってしまっていました。そのため、今から、仕事にでかけなくてはならないのです。ガサゴソしていたのは、散歩の準備ではなくて、仕事にでかける準備なのでした。 返答に窮した私は、何とか娘に「散歩には行けない」ことを伝えてあげなくてはならない、と思いました。 「ポッポ、ナイナイ」と、私。 あれ・・・ 「ポッポ、ナイナイ」と、娘も笑いながら繰り返します。 分かってもらえたのかな?よかった? ホッと私が息をつくと、 あれ?娘は不思議に思ったようです。 「ポッポ、ナイナイ?」娘が繰り返します。 今度は、その意味が分かってしまったようです。 「ポッポ、ポッポ、ポッポ?!」 両手を広げてイヤイヤの首ふりをしながら、私の足元に駆け寄って来ます。 あっ! 娘は、私の前に置いてあったカバンにけつまづいて倒れてしまいました。 堰を切ったように泣き始めます。こうなっては、私がダッコしようとしても、嫌がられて、ますます号泣のボルテージが上がっていくだけです。娘は泣きじゃくりながら、妻の方に駆け寄ります。 「ッコ ッコ」 まだ、「ダッコ」の語尾だけしか発音できないんです。 妻に抱きかかえられて号泣は止まりました。でも、半べその表情はそのままです。 「ごめんよ、ごめんよ」 なだめてはみるのですが、娘の半べその表情は直りません。いつも玄関口で見せてくれる「バイバイ」も今日はナシでした。何とも気の重い1日のスタートです。 ・・・駅に向かう道すがら考えました。実は、娘が泣くのは、特別な事柄では全くなくて、娘と妻と私・・・小さな3人家族の気持ちを代弁していることなんじゃないかって、思ったのです。妻は、週末私がいないと、週日と同様に娘に手がかかってしまい、息抜きのタイミングを失してしまいます。私も、仕事ばかりに時間を取られてしまうと、趣味や休息の時間を削られてしまいます。妻と私は大人になってしまったので、自分の気持ちを正直にストレートに表現する「泣く」ことをしなくなってしまっただけなのです。本当は、心の中では泣いているのです。その本当は泣きたい気持ちを娘は思い出させてくれたんだと思いました。 翌日の日曜日、今日も仕事に出かけなくてはなりません。今日は音を立てないように準備をしていたのですが、やっぱり娘は起きてきました。さっそく・・・・ 「ポッポ、行くぅ? ポッポ、行くぅ?」 私は、何も言えませんでした。ただ黙って娘の前にひざまついて、娘を両手でしっかりと抱き寄せました。 え?ポッポ、行けないの・・・? 普段と様子が違うことに、娘は敏感に気付いたようです。娘の晴れ晴れとした表情が急速に泣き顔へと変化し始めました。 ・・・今日は、私も、もう耐えられません。 「分かった、ポッポ行くよ」 「ポッポねぇ ポッポねぇ ポッポ行くぅ! ポッポ行くぅ!」 娘の表情に笑顔が戻ります。 いつもはたっぷり公園で遊んで30分位かけて歩くコースを今日は短縮して5分です。でも、最近していない肩車です。いつもと見える景色が変わって、娘は大はしゃぎ。 家に入る前に、「楽しかった?」と聞くと、「はうん!」と大きく頷きます。 さあ、それでも、もう家から出発です。 「じゃあね、バイバイ」 「じゃね バーバィ」 今日は笑顔で手を振ってくれました。 (by JIN)
作者: writers
更新日:2008年10月1日 13時52分
引っ越し(by NAMI)
(by NAMI) 明日、10月1日引っ越します!! アメリカで初の引っ越し。 部屋探しに2週間、トータルで9件の部屋を訪問。 そして荷物を詰めているうちに、9月も終わり・・・(汗)。 アメリカは、ご存じのとおり経済崩壊の真っ只中。 家賃相場は決して安くない。 「日本より家賃が安くて、広い部屋が借りられる」と思われがちだけど、 今はそんなことはなくて、私のいるロサンゼルスの郊外ですら、 普通の一人暮らし用のアパートで、最低でも1200ドル/月以上。 一軒家やアパートのオーナーも、ローンの支払いがキツくなっている今、 空いている部屋を貸し出すケースが増えてる。 双方の情報交換でもっともポピュラーなのが、「craigslist」(英語のみ)。 http://losangeles.craigslist.org/ アメリカでは知らない人はいない。いわゆるClassified。 部屋探し以外にも、仕事探し、メンバー募集、恋人募集、 家具の売り買い、チケットの売り買いなどなど幅広い。 そして、日本人向けなら、「びびなび」(日本語のみ)。 http://losangeles.vivinavi.com/JA/re/ 個人売買のコーナーは、 質のいいものがたくさん出品されるし、安いので、 買いもしないのに、ついつい毎日チェックしてしまう。 というわけで、明日からまた新たな生活が始まるので、 ワクワク!!
作者: writers
更新日:2008年10月1日 6時56分
(by ショウコ.i) おうち探し、スタート。
(by ショウコ.i) 特に時期を決めたわけではないのだけど、そろそろ・・・ということで家探しをスタートすることにした。 今の家は間取り、環境共にとても気に入っているのだけど、賃貸マンションだし、将来的に親との同居も含めて家族が増えると対応できそうにないのだ。 予算、地域など決めなくてはならないことがたくさんあるのだが、とりあえずは情報集めも兼ねて、並行して行動してみることにした。 9/21(日) 自宅最寄り駅から2駅のところにある住宅展示場へ。 展示場にある家はとにかく大きいし、最高級仕様だし、置いてある家具は最小限かつ小さめなので素敵に見える→注意すべき! との前提で足を踏み入れるが、さすがに立派なお家ばかり、しかも50軒も立ち並んでいる。 どこから見たらいいのか!?と迷いながらもとりあえずぶらぶらし、直感で3社ほど入ってみた。 それぞれ、ウリにしてるポイントが違ってておもしろい。 この日の一番の感想は「家って、工業製品なんだ」ということ。 特に工場で作ったユニットを現場で組み立てるだけ、という工法の家で顕著な印象だけども、 たとえ木造の従来工法であっても、大手ハウスメーカーの家というのはとにかく機能をうたい、価格をウリにする工業製品一般と何ら変わりがないというのが印象的だった。 逆に言うと、住んでからの品質というのは家本体そのものというよりも、地盤や基礎、自然環境に影響する部分が大きいのではないか? これらの「対・自然」に関しては、メーカーも研究してるだろうし、施工業者にもノウハウはあるだろう。が、なにぶん自然相手でコントロールしきれるものではない。 そのぶん、表層的なノウハウではない、当然手抜きなんて問題外、真の「プロ意識」と「真心」を込めて対応してくれる施工業者さんとの出会いが大切なんじゃなかと思った。 しかし、素人にはなかなかわからない分野。 おまけに一般的にはハウスメーカーなりが窓口となり、実際の現場仕事業者はお任せとなってしまう以上、その出会いこそが難しいのだろう・・・ 9/22(月) 休みを取った夫が銀行にローンの概要を聞きにいく。 借りることのできる金額はほぼ予想どおりだったようだが、それ以上のアドバイスなどはあまり期待できそうにないとのこと。 実際の返済中の生活については自分たちで勉強し、計画を立てるのが一番のようだ。 その後、少し時間ができたので再び住宅展示場へ。 近いので便利。 前日にもらった展示場パンフレットをもとに、今度は ・より現実に近い建物面積のモデルハウス ・坪単価が安い(現実的な)ハウスメーカー に的をしぼり、訪ねてみる。 一軒目は断熱効果の高さ、住み心地を売りにしたメーカー。 1階の建物面積も24坪と現実的な上、生活がイメージしやすい間取りが提案されており、良い印象を受ける。 断熱効果が高いため、床下収納から天井裏までフルに使えるという提案だったが、しかし、そこは実際慎重になったほうがいいように思った。 何せ自然相手だし、私は空調が嫌いだからね・・ 同じメーカーで、少し高級仕様のタイプも見せてもらう。こちらはさすが素敵な家(無垢材のフローリング、珪藻土の壁・・)だったけどやっぱり高くなりそうで無理っぽい!! 2軒目は安さがウリのところ。 夫が安さの理由などを確認したいという明確な目的を持っていたからガマンしたけど・・ 営業担当の対応が最悪だった! こちらの予算や希望地域がまだ流動的と見るやいなや、何しに来たの?な態度丸出し。 ここに来る方はそれが決まった方なんですよね、マンションだったら金額見てから決めることができるからそうしたら?だって。 1人だったら思いっきり文句言って出てくるところでした。 それに、モノはいいのかもしれないけれど、家というのは住み心地も含めて満足度が決まるもの。 お客様のことを考えて適正価格ですよ、なんて言ってたけど、本当に考えてたらまだ準備段階の私たちにそんなもの言いはしなかったはず。 モデルハウスの間取りも中途半端で、ここに御願いしても「できません」なんて、コストを理由に希望を簡単に切り捨てられそうで不安を感じた。 疲れました・・・ 3軒目も割とコスト重視なところ。 対応してくれた方は感じがよく、また大手グループ企業ということもあって、不動産情報も含めて御願いできそうな感じ。 マンションや商業施設もたくさん手がけてるため、資材を安く調達できるんだとのこと。 全体としてバランスよさそうでした。 ただ、3階建てのモデルハウスは空調効率がそれほど良さそうではなく、3階に上がるとムッとした熱気、2階以下は冷房で足元が冷える・・・ ある意味、当たり前なのだけど、熱効率を謳うメーカーが多い中でのこの状態はどうなのかなー?と。 また、こちらも間取りには魅力を感じず。 それにしても、「住み心地重視」なハウスメーカーのモデルハウスの間取りや内装が魅力的(でも高め)というのはまぁ当たり前として、「コスト重視」のメーカーの間取りがこぞって魅力なしなのは一体どうしてなんだろう? 間取りそのもの、ましてやモデルハウスの間取りにはコストは関係ないはずだから、だったら、「安くてかつ住み易そうな内部」を演出すればいいのに。 とても不思議。 二日連続の住宅見学は、2日目の最悪営業マンの影響もありすっかりくたびれてしまった。 予算を考えると、地域にも広さにもものすごく影響が出てきそうだし、ローン計画も大変そう!! 2日目にして「楽しくない気分」に支配されてるのが心配だけど・・・ でも焦る必要はない。 背伸びはせず、でも楽しい暮らしが実現できるよう、ゆっくり考えていこうと思う。
作者: writers
更新日:2008年9月30日 2時50分
(by paco)農薬が、キレる人を生む?
(by paco) ちょいと怖い記事がアエラに載っていたので、シェアしておきます。
「とりわけ気持ちを暗くさせられるのはメールに「異常行動」と記されている患者の暴力衝動だ。小児に多いがそれだけに限らないようで、特段理由もなくすぐかっとなる。暴力の相手も選ばない。男友だちを突然殴ったが、自分でもわけがわからないという若い女性の患者もいた。やはり急に食器を壊したり、一見普通の患者なのに内ポケットにナイフをしのばせてくる来院者もいた。発症の機序は異なるが、人の人格を変える点は有機燐と同じで、青山医師は、「有機燐との掛け算になる」という内容で、「男友達を突然なぐる女性」というのもこわぁぁくないですか? 詳しくはこちらを見てください。 知恵市場の記事「「向日葵の咲かない夏」「憑依」で、<犯罪>心理を知る」にも書いたのですが、脳は現実が受け入れがたい状況になると、それを架空のストーリーでつないで、あり得ない自分の世界を構築し、現実を自分の正解の方にあわせようとすることがあります。通常、精神異常ということになるのですが、こういう脳の働きを、農薬などの化学物質が加速しているとしたら、最近、頻発している、「理解不能な事件」も、説明が付いてくるかもしれません。 「異常」と「正常」の境界が曖昧になっているという言い方もできますが、そういう精神面での問題ではなく、化学物質がケミカルに脳の働き、意識に影響を与えているとしたら、そっちの方がずっと怖いような。 注目していきたいテーマです。
作者: paco http://suizockanbunko.com/
更新日:2008年9月28日 15時19分
(by yuki)一時帰国を前に思うこと
(by yuki)日本に一時帰国できるチャンスがやってきました!中国では国慶節の連休があり、通常は一週間、国をあげてほぼすべての企業や学校が休みとなります。国務院の発表では今年は9月27,28は出勤、29日から10月5日は休みと決められています。もちろん私もこの時期は休みとなるわけで、更に有給を足して日本へ帰る!と数か月前から決めていました。生活のベースは中国、夏休みや冬休みは日本、そんな大学生活を送っていたから、私にとって日本への一時帰国は定例の海外旅行のようなもの。中国での生活は自分の意思で選んだから多少の不便さは何とも思いませんが、でも日本はやっぱりいい!たまにしか帰らないからこそ、日本では当たり前のことがすごく嬉しかったり感動したりしてしまいます。 まず日本に向かう飛行機が日系の航空会社だとした場合、機内食の美味しさに感動。日本では空港も駅もどこもそこも明るくて清潔。駅の売店でも切符の券売機でもしわくちゃの臭くて湿った紙幣じゃなくて、きれいな紙幣が流通していることにも驚く。レジの前では割り込みなんかなくてみんなちゃんと順番に並んで待つし、どこでも当たり前のように日本語が通じる。電車では“降りる人が先”が徹底されていてイライラせずにすむし、大体の人はマナーある乗客。自宅に着いてテレビをつけると、芸能人のスキャンダルだったり、メディアが堂々と政府批判をできるのを見ると、つくづく平和な国だと思うのも毎度のこと。治安の心配なんかせずに夜中にコンビニに行けることも、コンビニにATMがあることも有難い。 こう書いてみて、やっぱり日本で生まれ育った自分は世界の中でもすごく×100恵まれた環境にいたと思うし、日本を出なければそのことにも気付けなかったかもしれない。その上で、なにか恵まれた“日本人として”の使命感みたいなものも感じるし、もっともっと世界に目を向けていきたいとも思う。こうした思いは、日本だけにずっといても、海外だけにずっといてもきっと気付けなかったかもしれないなぁとも思います(少なくとも私の場合は)。 じゃあ今の自分が何かできているのかというときっと何もできていない。そのへんがもどかしかったり悔しかったりはするわけですが…。まずは“日本人としてできること”“日本人としてやらなきゃいけないこと”が何かを考えていきたい。一時帰国を数時間後に控え、そんなことを考えた一日でした。
作者: writers
更新日:2008年9月24日 17時43分
(by Mindy) 恋するズンバ その3 (何故何故売れない編)
(by Mindy) みなしゃま、大変ご無沙汰しておりました。 秋めいたシカゴでゆるやかに過ごしているMindyどすえ。 便りの無いのは元気な証拠と申しまして、 それはもう、凹んだり、潰れたりしてました、アレ?! さて、ZUMBAインストラクターひよっこのあっしはすべてにおいて ひよっこであります。 新規プロジェクトを立ち上げるのは、初体験の連続。 色々な難問関門が待ち受けており、 ひやひやドキドキの連続であったりするわけで、 新しいことに挑戦する皆様にもこういった情報をシェアすることで、 ガンガン立ち向かっていって欲しい、 という願いを込め、 そして自分自身叱咤激励するつもりで、今日は 『何故売れないか?』 について考えていこうではないでしょうか。 ええ、そうなんです。 8月に行ったズンバワークショップ、想像していたよりも 反応があまりよろしくないの。(ポツリ、そして遠い目) 私の当初のワークショップの目標は目指せ、1レッスン平均10人! でありました。(週2回だから20人の応募イメージ) ところが、申し込みが確約しているのは3人ずつ。 何故、売れない=何故、人が集まらない? こういう時は、様々な 『仮定』 を行ってみます。 これは“如何に妄想を膨らませられるか?” がキーとなるのではないでしょうかにー。 例えば、あっしが考えられるだけでも、こんなに仮定があるで! 1.何?ズンバって・・・チラシを見た人からドン引きされている。 ズンバとは何ぞや?という疑問から始まっているかも。 2.8月開始という日程がわるい・・・現地学校に行っているお子さんは既に夏休み。 ファミリーイベント真っ盛りでしょう。 3.ショバが悪い・・・立地やら、雰囲気やら 4.値段設定が悪い・・・適正な価格なわけ?? 5.ターゲットが絞れていない・・・例えば駐在員奥様中心とか、アメリカ人中心とか はたまたカップルに対してとか、、 6.宣伝が充分なされていない・・・営業、ちゃんとしている? 7.しかもその宣伝(チラシなど)のデザインのセンスが良くない 8.インストラクターにブランド力が無い・・・誰だ?Mindyって?! 9.そもそも自分の目標が高すぎた?!・・・まずは小さくコツコツと 10.ギリギリになって申し込みがくるかもしれない・・・前向きな仮定ネ 嗚呼・・・こんなに書いてくると反吐が出てきますワ。 でも、こういった仮定の中に真実があるやもしれませんデス。 その真実に目をつぶることなく、その何故何故?の先をじっと見据え、 それに対する改善をしていって、1つずつ仮定かもしれない問題を 潰していくしか、無いとあっしは考えるであります。 そしてこれらの仮定については、まず、 様々人に聞いてみる、 というのが、真実への近道かと。 あとは、実際ワークショップを実行してみて、 生徒さんの反応、様子をチラ見しつつ、何が原因か?を探っていけば、 仮定が真実となるわけですな。 という訳で、色々な人に聞きまくったところ、 1と2の意見を多く頂きました。 3、4については悪くない評価。 5と6については自分的に感じるところがあったので、強化強化。 7?9については、もうこれは経験=回数こなすしかないでしょう。 な?んて、しくしくとやっていた所、 少しずつではありますが、申し込みやら、見込み客らしき方が 増えてまいりました。 あとは、開始までの間、更に仕込みを強化することになったのであります。 セールスで色々と頭を悩ませているかもしれないそこのあなた! 上記のプロセスをツラツラ書きましたが、今のサービスを冷静に見つめることが とても大事ですな。 会社で昇進を狙っているそこのあなた! いまの自分がどんなポジショニングなのか(自分の業務は自分しかできない優位性、 特異性はあるのか)、上司、同僚、部下からどのような判断をされているか、 実際会社に対してどの位貢献(=利益を出しているか)しているのか?など、 あるがままの自分の状態を受け入れないと、次のステップはどうする?という戦略すら 立てられませんな。 やりたいことをやれずに苦しむそこのあなた! 今の自分はどこに居るの? ここを見ずして進んでもスターと地点が間違っていたら、正しい方向にさえ 進めているのか、ぐらつくこともあるでしょう。 それだけ、“今の自分”というのは大切なのですネ。 これからの自分も、すべて今の自分が幾重にも幾重にも殻を破ったり、 皮が剥けたりしながら成長するプロセスが肝となるのですな。 “Think global act local”を、若干、否、大幅に文字って “See now act for future” を心に秘めて前進できたらいいですな。 それでは皆様もお熱い1週間を☆
作者: writers
更新日:2008年9月23日 22時45分
(by paco)「はじめてのロジカルシンキング―3つのステップで考える! 」発売!
(by paco)渡辺パコの新刊書「はじめてのロジカルシンキング―3つのステップで考える! 」がついに書店リリース!
さっそくアマゾンに書評をアップしてくれた人がいて、☆×5をつけてくれました。この評価はうれしいです。今回の本は、これまで以上に渾身の力で書いたものなので、絶対おすすめです。ぜひ手にとって読み、レジに持っていってください。友だちや若手や後輩にもぜひ進めてくださませ! 大学生から社会人まで、ビジネスからノンビジネスまで、あらゆるシーンで活用できるように書いてあります。
今度書店の前を通ったら、必ず探してくださいね!
作者: paco http://suizockanbunko.com/
更新日:2008年9月21日 17時48分
(by paco)「向日葵の咲かない夏」「憑依」で、<犯罪>心理を知る
(by paco)「憑依‐HYOU・I」と「向日葵の咲かない夏」を読みました。どちらも、本ではなく携帯ブックですが。 携帯で本を買って読むのは、なかなかいいです。携帯ならどんな外出の時にもまず持っているから余分な持ち物が増えないし、電車の中で片手で読めるので、混んでいても退屈しません。 という話ではなく、この2冊。ホラーやミステリーのカテゴリでくくられて、たしかにそうなんですが、これを犯罪心理の本として読むと、実はかなりリアリティがあります。 最近、理解しがたいような気味の悪い犯罪が増えています。遠くは少女連続殺人の宮崎努、最近では酒鬼薔薇聖斗や秋葉原連続殺人など、「なんで?」という犯罪が多く、その中の一部は精神鑑定によって責任能力が問われ、無罪や減刑になっている例もあります。 もし、犯人が、この2冊にあるように、何らかの「妄想」にとりつかれるようにして犯行を行っていたとしたら。現実の「妙な」事件の犯人が見ている地平は、この本にあるようなものだったら。だとしたら、犯人を罪に問えるのか、非常に難しいことが少しわかります。現実を理解する能力は充分にありながら、現実を非現実的解釈しようとしてしまう脳を持っている、という感じです。 たとえば、「向日葵の咲かない夏」で、主人公の中学生は、以前、嘘をついて自宅の玄関が萌えていると叫び、それを聞きつけた母親が会談を滑り落ちて、母親は妊娠していた「妹」を流産してしまうというシーンが描かれます。その結果として、母親はぬいぐるみを娘として扱うようになり、主人公の中学生男子はトカゲを飼い、そのトカゲを妹として会話するようになります。 精神異常といえばその通りですが、ちょっとした嘘やふざけの結果が、流産という重大な結果を招いたことを、母も息子も受け入れることができず、架空の「妹=娘」を創造して、その空想の中に現実をあわせようとするという精神構造は、多くの精神医学者が発見してきた多重人格症そのものです(「五番目のサリー」など)。 ゲームをやり続けると、現実と仮想の区別が付かなくなるとよく言われますが、ゲームをやらなくても、現実が受け入れがたいほど過酷だと、その過酷さを受け流す方法として、自分ではない自分をつくったり、現実の方をねじ曲げて理解することで、過酷な現実を受け入れまいとする心理が働くのです。そういう観点でこの2冊を読むと、犯罪に至る犯人が、どのように世界をねじれてみていくか、その一例(二例)が描かれていると読み解くこともできます。そのような観点からの書評がないのがちょっと残念でしたが。 背筋が寒くなるこわーい本ですが、単なるホラーやミステリーとして読むのではなく、社会現象とのセットで読んでみると、また違った本に読めます。 と思っていたら、さらに怖い話がAERAに出ていました。『事故米より怖い「国産」』と題された記事は、日本での農薬中毒の一面が描かれているのですが、農薬の影響で、かっとなりやすく、自分でも『わけがわからない』状態になる症状を抱える患者が増えているという記事です。一部を引用します。 ------------------------------------- とりわけ気持ちを暗くさせられるのはメールに「異常行動」と記されている患者の暴力衝動だ。小児に多いがそれだけに限らないようで、特段理由もなくすぐかっとなる。暴力の相手も選ばない。男友だちを突然殴ったが、自分でもわけがわからないという若い女性の患者もいた。やはり急に食器を壊したり、一見普通の患者なのに内ポケットにナイフをしのばせてくる来院者もいた。発症の機序は異なるが、人の人格を変える点は有機燐と同じで、青山医師は、「有機燐との掛け算になる」と、みる。人の体質によって違いは大きいものの、すでに有機燐によって大きな影響を受けている日本人はアセタミプリドが加わることにより、相乗効果を受けるのだ。 ------------------------------------- 農薬の影響で脳が衝動的になり、自分でも思っていなかったような感情や行動に説明をつけるために、世界のあり方の理解の方をねじ曲げていく……そんな人が増えつつあり、その極端な例が、『理解しがたい犯罪者』になっている、という可能性も否定できない気がします。 まだ情報が整理されていないのですが、農薬と多重人格、学習障害や多動、境界性人格障害などは実は密接な関係にあるのかもしれません。 このテーマ、引き続き追いかけてみます。
作者: paco http://suizockanbunko.com/
更新日:2008年9月21日 18時19分
(by yuki)国のイメージは個人から
(by yuki)五年間の海外生活で、「他国から見た日本とは」「日本人のイメージとは」を考えさせられる場面が多くあって、今でも考え続けています。日本人として、やっぱり海外の人に日本や日本人を好意的に見てもらえたほうが嬉しい。ただ、“好き”か“嫌い”かの感情で言えば、私がずっと感じ続けているのは、“好き”ではなく、“嫌い”か“興味ない”のどちらかが圧倒的に多いなぁということです。 中国で生活するまで、日本人は中国人に嫌われていると思っていました。理由はすべて戦争であり、日本人はとにかく謝らなければいけない、それ以外に日中友好なんてないものだと思い込んでいました。 中国に来たばかりの頃は中国語が分からなくて、日本語に比べ語気が強い中国語を聞くと何か文句を言われているのかなじられているという気すらして、自分の考えを上手く伝えることもできなかった。言葉が分かるようになると、ただの会話だということも理解できたし、強気で自分の考えを言うこともできるようになりました。 中国人と中国語での会話に困らなくなると、私が生まれる前に起こったことについて、しかも一個人に文句言われても困る、と逆に憤りすら覚えることもあった。「日本の学校では昔日本が何をしたかなんて教えないだろう」と言われた時は「日本の学校の教科書見たことあるの!?中国こそ政府が選別した中国寄りの情報しかのせてないじゃん!」と言い返したこともあります。 中国生活三年目以降、ようやく少しだけ冷静に考えられるようになって、今はこう思います。日本は昔悪いことをして、それは反省していかなければいけないのと同時に、許してもらえるよう中国に歩み寄る姿勢を見せなきゃいけない。中国は昔の日本の行いに対して怒るのはもちろん理解できるけど、今の日本に関する情報から色眼鏡を外してちゃんと見ようとしなければいけない(国の仕組み上、これが一番難しいのかもしれませんが)。 国レベルのイメージは私にはどうにもできない。とはいえ、個人レベルではけっこう“イイ感じ”な気がしてしまうのです。 例えば今日、いつも行くスタバの店員さんが「最近、日本語の勉強始めたよ」と満面の笑顔で報告してくれました。広州で北京なまりの中国語を話す日本人が珍しいのか、彼女はいつもニコニコと私に話しかけてくれます。「日本人は丁寧だから好き」とも言ってくれます。その一言がとても嬉しくて、“調子にのらず、丁寧な日本人でいよう”と考えてしまったりしてしまいました。 中国やアメリカでの生活を通して、例えば中国人やアメリカ人や、あとイタリア人やロシア人や韓国人なんかは何十人と知り合ってきて、それだけの人数の一国の人は国籍とは関係なくて個人として認識しているつもりです。でも、例えばチリ人、スイス人、北朝鮮人の友達なんて一人か二人ずつしか知らなくて、そうすると彼ら個人のイメージが私の中ではそのまま国のイメージになっています。 スタバの彼女にとって、日本や日本人のイメージが私を含む日本人客のイメージそのもので、好意的に受け止めていてくれるのだとしたら、それが彼女の周りの人間にも波及してほしいと願ってやみません。小さいかもしれないけどそれを積み重ねていけば、広州の中国人のうち何十人、何百人かの日本と日本人のイメージを良くすることはできるかもしれない。こんなことを思うのはエゴかもしれないけど、自分の言動一つが、どこかで日中友好のカケラになってくれれば…今はそう思います。
作者: writers
更新日:2008年9月15日 15時16分
(by stky16) 映画「おくりびと」
(by stky16) 前回書いた日記から、だいぶ間があいてしまいました・・・(^_^; 以前はお笑いに関して書いていましたが、今回は映画について書きます。 最近話題の映画「おくりびと」を鑑賞してきました。 以前から映画館で観ていた予告編や、各種宣伝などなどいろいろと作品に関する情報は耳にしていました。モントリオール映画祭グランプリを受賞されてからは、それがさらに入ってきやすくなったので、意識的に入り過ぎないように抑えて、過剰な先入観を持たないように気をつけていました。 鑑賞したあとは、期待に見合うとても素晴らしい作品だと思いました。この作品は、多くの日本人に見てもらいたいと思える、そんな内容でした。 ここでは、映画を通じて僕が感じたことを書き留めて観たいと思います。 ■生きるとは「与え、与えられる」こと 人は生きていく中で、たくさんの出来事に出会い、積み重ねていきます。こうした経験の中で、自分の持っている資産や能力をまわりに与え、また、まわりからそうしたものを授かる。それは、人間同士の交流に限らず、生命間、あるいはもっと大きな範囲と交わしているのかもしれません。 生物にとって、与えることができる最後のものは「生命」ではないかと思います。それは、因幡の白兎が象徴となるかもしれません。自分自身にできうるものを探し続けたとき、最後にたどりつく提供資源は、生命そのものなのではないか、と。 「生きる」ことは、こうした「与え・与えられる」関係性に支えられてはじめて成立するものだと思います。もう少しちがった視点で表現すると「奪い・奪われ」となるのかもしれません。生きるためには、何かを得る必要があり、そこには何かの犠牲がある。こうしたある種残酷なつながりを持ちながら、はじめて生き続けることができる。 生きるということは、とても大きく重い責任を伴っているのだと、あらためて考えさせられました。 ■選択することで、存在意義が定まる こうした責任を担うためには、それに見合う権利が伴う必要があると思います。人が生きることにおいては、それは「選択ができること」ではないでしょうか。生まれた環境や社会情勢といった制約条件など選択できない要素もあります。しかし、生きるうえでの「与え・与えられる」関係のなかで、選ぶことができる要素は少なからず手にすることができるのだと思います。 この映画では、「楽団が解散してもなお、チェロの夢を追うか否か」「納棺という人の死にまつわる仕事に携わるか否か」といった選択がでてきます。主人公の大悟は、こうした選択の場面にて、選択によって得られるものと失うものと向き合うことになります。いずれも、簡単に選べるものではないし、あるいは「そもそも秤にかけて選ぶものではない」とさえ思ったのではないかと思います。 しかし、そうした難しい選択を乗り越えることで、得られることがあります。それは、気づき。 自分が大切に思っているものは何か、縛り付けていたものは何か。あるいは、関係する人々をより深く理解できること。はたまた、社会のなかで自らが担うことができ役割、果たすことができる責任は何か。 こうして、生きていくうえでかけがえのない大切なものごとがわかるようになるのだと思います。また、自らの存在意義を実感することにもつながっていくのだ、と。 ■人は感謝のために生きる 多くの代償、難しい選択が待ち受けるなか、人はなぜ生きるのか。その理由のうち、おおきなもののひとつが「感謝」なのだと思います。 自分が何かの役割を果たすことで、まわりの人々から感謝を受ける。直接的には報酬が動機となるのは事実だと思いますが、より自然に、本質に近い動機は感謝なのだと思うのです。自他共に蔑みを感じるなかで得られる対価は、きっとQOLを高められない。しかし、まずは自らが尊厳を理解できること、そしてその上でまわりから感謝を得られること。生きる喜びの根源は、ここにあるのだと思います。 感謝を授かることの喜びがある一方、人は「感謝するために生きている」という側面もあると思います。自分が生きていく中で得られるあらゆることに対して、感謝を感じ、表すこと。多くの人は、ネガティブな反応を感じたり表したりするよりも、感謝にあふれた生活を望むのではないでしょうか。 現実的には、感謝の気持だけで生きていくのは難しい。人として十分な成熟がなければ、そうした心境・ふるまいはできないかもしれません。しかし、それでも、自分がまわりに感謝できた瞬間には、幸せを味わうことができると思うのです。人生において、こうした機会を得る比率が少しでも高いほうが、QOLが高まるのではないでしょうか。 「おくりびと」は、この世に人として存在するなかで、最後の「感謝」をコーディネートする役割なのだと思います。おくりだされる人への感謝として、肉体が存在する最後の瞬間を、最高の姿でおくりだすこと。そして、おくりだす人にとっては、自らの中に残してしまった「おくりだされる人への感謝」をできる限り捧げる機会を提供すること。 生きるということは、大変な困難がつきまとうもの。僕は、この映画を通じて、「それでも、生きる」という意志を感じました。だからこそ、最後を迎えたときには、この作品にでてくる「おくりびと」のように、すべての感謝を込めたおくりだしに見合うのだと思います。 ここでは少しかたい表現が続きましたが、作品自体にはたくさんの良質なユーモアが散りばめられています。それは、作品の質をくずすことなく、観客に心地よく感情の波を伝えてくれるものになっています。 おくりだす機会とは関係なく、普段の仕事やプライベートへの向き合い方、さまざまに示唆が得られる映画だと思います。ぜひ、鑑賞してもらいたい作品です(^_^ (by stky16)
作者: writers
更新日:2008年9月15日 4時53分
(by paco)「3つのステップで考える!はじめてのロジカルシンキング」まもなく書店に!
(by paco)新しい本が、久しぶりに出ます。 「3つのステップで考える!はじめてのロジカルシンキング」(かんき出版 1300+tax 円) 僕もまだ仕上がりを見ていないのですが、今週後半あたりから、書店に並び始めるかな?という予定です。 うさぎさんと猫ちゃんが、論理思考が苦手なあなたにも、ちゃんとわかるように教える本です。論理思考を10年教えてきて、いろいろ重要なポイントはあるのだけれど、最短で使えるようになることを最優先して、重要度が落ちること、重要だけど、わかりにくく、そこに時間をとることにあまり意味がないことは、ざっくりそぎ落として、最短で、カジュアルに使いこなせるロジカルシンキングの本に仕上げました。 わかりやすさ、取っつきやすさ、シンプルさで、これ以上の本はない、のは間違いありません。だって、160ページという薄さに加えて、片面にイラスト、なんだもん(本当は130ページぐらいにしたかったんだけど)。 書店に並んだら、ぜひ手にとって、そのままレジに持っていってください、損はさせません(^-^)。
作者: paco http://suizockanbunko.com/
更新日:2008年9月14日 17時44分