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トップ > 田舎 > 田舎 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月5日 7時)

今のは…?

ごく普通の家庭の風景。


お母さんが息子を車で塾に送って行く途中、息子が「塾で使う問題集を家に忘れた」と言うので、

遅刻してはいけないと、とりあえず塾まで行って子供を降ろし、急いで家まで問題集を取りに帰る。


子供の部屋に入ると、たった今塾に送って行った筈の息子が漫画を読んでいる。


「???あんた、何でここにいるの???」


頭の中は大混乱。

「何で、って、俺の部屋ジャン」

「だ、だって、今、塾に…」

「塾???今日、塾休みだって、知ってんでしょ?」


―あ、そう言えば、今日、塾は無いんだった…

え、でも、じゃあ、'''今私が送っていったのはナニ???'''



―と言う様な事があったと、娘の通う塾で噂になっているそうです。

作者:

更新日:2008年12月5日 14時40分

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蛇男

前職の友人で、会社を辞めて公務員試験を受け、神奈川県某市役所に入った奴がいます。

Bとしておきます。

先日、久々にBに会った折に聞いたお話です。


昨今問題になっているゴミの不法投棄。

私も知らなかったのですが、捨てられる場所によって、役所内の管轄部署が異なるそうです。

例えば、市道上なら「土木道路何とか課」。公園内なら「公園緑地課」と言う風に。

(ちなみに、市道と公園の境目に捨てられた不法投棄物はどうするんだ?と聞くと、「立場の弱い方がや

る」そうです。)


さて、Bの同僚で「土木道路何とか課」の「監視係」と言う部署の人がいて、不法投棄の監視を行ってい

るそうですが、その人から聞いた話だそうです。


最近になって、市内某所の市道脇でのゴミの不法投棄が増えたので、センサーで点灯する防犯ライトと

監視カメラを設置する事になりました。

そこは、市道と言っても、農地と林ばかりの所なので、夜は人通りも無く、ゴミを捨てるにはうってつけ

の場所でした。


設置してからは、不法投棄も激減し、それなりの効果はあがった様でした。

監視カメラは、監視係のHDDレコーダーに繋がっております。

ただ、毎日その画像を確認する訳ではなく、ゴミが捨てられた時にだけ、再生して見るそうです。


ある時、監視係の職員が機材の点検の為、レコーダーを再生していた所、妙なモノが写っておりました。

深夜の監視カメラの画像に、道を蛇の様に這いずっている男が映っているのです。


「変な奴がいるぞ」そう思いながらモニターを見ていると、這いずる男は、やがて、監視カメラの画面か

らフレーム・アウトして行きました。

「行っちゃった…」と、思った次の瞬間…。


'''充血した男の目が、どアップで監視カメラを覗き込みました'''。



ちなみに言うと、監視カメラは街灯位の高さに設置してあるそうです…。

作者:

更新日:2008年12月4日 16時7分

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近所の心霊スポット〜「箱崎踏切跡&名も無きトンネル・横須賀市田浦」

ここの所、私の定休日である水曜日となると天気が良く、ポカポカ陽気になります。

陽光に誘われ、またまた行って来ました「心霊スポット」!!



今回は、横須賀市の田浦にあります、「'''箱崎踏切跡'''」と、そのすぐ傍の「'''名も無きトンネル'''」です。

「箱崎踏切跡」は、現在は既に廃線となっている「相模運輸倉庫 田浦専用線」と言う引込み線に架かる

踏切です。横須賀線から、横須賀の軍港に伸びる輸送線だった様です。


地図をご覧頂くとお判りかと思いますが、ここは現在海上自衛隊横須賀基地の一角となっており、周辺に

は「第一術科学校」「海上自衛隊横須賀病院」「海上自衛隊警備隊」「補給隊」など、海自の施設が立ち

並んでおります。

昼間は自衛隊の車両や、港湾関係のトラックなどが頻繁に行き来しておりますが、夜ともなるとひと気も

乏しく、寂しい場所になります。


さて、こちらはさすが軍港横須賀だけあって、軍人系の怪談が囁かれております。

まずは、踏切の方。

'''ぼろぼろの軍服を着た、アメリカ兵の集団が虚ろな視線で線路を歩く姿'''が、近隣の倉庫会社に勤める人に

目撃されております。

これは、朝鮮やベトナムで戦死した米兵の亡骸を、横須賀から船で本国に送った…。

その時、この引込み線を使って港まで運んだからだ…。

と云われている様です。'''かなり眉唾ですが'''。

また、'''踏み切りの脇に佇む、礼装姿の海軍士官を見た'''、という話もあるそうです。


そして、トンネルの方。


夜、トンネルを歩いていると、何処からか、「'''会いたいなあ…会いたいなあ…'''」と呟く、男の声がするとか。

また、やはり'''何処からか、ハーモニカの物悲しい音色が響いてくる'''そうです。



さて、取材班(アビエータ氏、未だ参加せず。)は、国道16号線を一路横須賀方面へ。

田浦5丁目の信号を左折し、暫く行くと…ああ、ここですここです。

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↑「箱崎踏切跡」。割と最近まで使われていた様で、朽ち果て具合は今一つ。

警報機脇にさりげなく置かれた石が、何となく'''意味ありげ'''に思えます…。


細々と線路が伸びる先には、トンネルが。

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                     ↑なかなか、'''いい感じ'''です。

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↑この様に、鉄路は現在、米軍の管理下にあります。

こんなモノまで管理しなくてはならないとは、米軍も大変だ。

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↑この辺りを米兵の霊がうろついていた様です…。昼間に見ると、長閑なものですが。

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線路を辿って、トンネルの方へ…。

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↑おっと、味のあるポイントが。廃線マニアの方なら、垂涎ではないでしょうか?

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↑ありゃ、線路が中途半端にフェードアウト…。線路が地面に潜り込んでおります。

これがホントの「地下鉄」―なんちゃって。

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さて、トンネルです。「名も無きトンネル」と書きましたが、ホントに名前が書いて無いのです。

普通なら、どこかに「〇〇隧道」とか、「××トンネル」とか書いてある筈なんですが…。

(調べた所、「比与宇トンネル」と言うそうです。)

戦時中は、このトンネルの中に線路の終点があり、トンネル内で弾薬の積み下ろしをしていたとか。

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暫く耳を澄ませておりましたが、残念ながら、男の声もハーモニカも聞こえず。

やはり、深夜に来なくてはいけませんかねぇ…。(来ませんけどね。)

自衛隊の迷彩服を着た人が自転車で通り過ぎながら(何やってんだ、コイツ)と言う様な視線を投げて

来ました。

トンネルの中には歩道が無く、結構危険かも…。おっと、↓ここが線路の終点だったみたいです。

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蛇足ですが、トンネルを抜けてちょっと行くと、横浜ベイスターズの練習場があります。

行って見ると、身体を動かしている選手の方がチラホラといらっしゃいます。

ここでは、むつけき護衛艦を背景にプロ野球選手が練習していると言う、ある意味シュールな光景を

見る事が出来ます。

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'''頑張れ、ベイスターズ!!'''横浜市民として(巨人の次に)応援しているぞ!!


―と、言う訳で、しばらく周辺の岸壁を散策し、自衛艦隊をのんびり眺めた上で、取材班は現地を後に

するのでした。

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↑一番右に停泊しているのは「DDG-170 さわかぜ」の様です。護衛艦隊司令部所属の護衛艦隊旗艦です。




え?幽霊はどうなったかって?

―う〜ん、「出そう」と言えば「出そう」な雰囲気ですかねぇ…。

霊感が無いので、良く判りません。

作者:

更新日:2008年12月3日 15時20分

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葬列

道正トンネルの過去記事】で書いた処ですが、続報が。

あそこで、変なモノを見たと言う方がいらっしゃいました。


去年の秋口、夜は10時を過ぎた頃の事。

北部斎場を通る道を、246号線から環状4号に向かって車を走らせている時。

東名の高架の辺りで、前方に霊柩車を先頭にマイクロバスが2台付いて走っている車列を認めました。

お葬式から、斎場に向かう葬列です。


(こんな時間でも、火葬場はやってるんだ…)
何となく違和感を感じながらも、そう思いながら、ちょっと車間距離を開けて走っていました。


斎場の入り口に差し掛かると、前方の車列が右折して、斎場の門を入っていくのが見えました。

続いて自分が斎場の門前を通過する時にふと見ると…




'''斎場の門は閉ざされ、場内は灯りも消えて真っ暗'''




…だった、そうです。




(一言コメント)ほとんど毎晩、ここを通って帰宅する私にとって、余り聞きたい話ではありませんでした。

作者:

更新日:2008年12月3日 1時25分

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隙間女 IN マカオ

先日、メーカーの招待旅行でマカオに行った者から聞いたお話です。

旅行中、ちょっとした幽霊騒ぎがあったそうです。



マカオの高級ホテルに3泊の予定で投宿した御一行。ツインルームに一人で泊まる豪華版です。

そこで、某販売会社の店長さんが「お化けが出たから、部屋を替えてもらった」と言っていたそうです。


何でも、最初に部屋に入った時から、ひしひしと人の視線を感じていたとの事。

幽霊などは信じていないタイプなので、旅の疲れで神経過敏になっているんだろうと思っておりました。

ざっとシャワーを浴びて出てくると、なお一層の視線を感じ、また、どこからか香水の香りが…。


ゆらりと揺れたカーテンに目をやった店長さんは思わず悲鳴!!


'''そこには、カーテンと窓の隙間から、見た事もない女が、じっとこちらを見つめていました。'''

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        ↑想像図(ちなみに、この写真の部屋は、ホントにこの記事のホテルの部屋です。)




(久々の一言コメント)
「隙間女」ネタは良く聞きますが、海外で、と言うのは珍しいのでは?
これも国際化の一端なのでしょうか。

作者:

更新日:2008年12月2日 15時3分

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変な物体

うちの店のA君が撮影に成功した「飛行物体」…。

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昨今流行の「何とかクラフト」と言う奴でしょうか?

作者:

更新日:2008年11月30日 18時3分

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ベガス

久々に同僚のNさんの体験談です。


さて、数々の心霊現象に襲われつつも、あまり気にしている風でもないNさん。

昔、男二人でアメリカはラスベガスに行った折のお話を聞かせてくれました。

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数日滞在したラスベガスでの最後の夜。

ホテルのツインルームで眠っていると、Nさんの枕元の壁が'''ドン・ドン・ドン'''と激しく叩かれ、

Nさんは目を覚ましました。

「???何の音だ???」寝ぼけ眼をこすっていると、また'''ドン・ドン・ドン'''と壁が音を立てる。

壁の向こうはリネン室なので、向こうから人が叩いている訳はありません。

時折'''ドン・ドン・ドン'''と叩かれる壁の音を不思議に思いながらも、Nさんは何時しか眠りに落ちて

いました。



翌朝、連れにその事を話すと、彼はそんな音は聞いていないと言います。

'''しかし、真夜中、何度も人影がトイレに入るのを見たと…。その度に水を流す音がしたと言います'''。

Nさんがトイレに行っているのだと思い、「腹の具合でも悪いのか」とぼんやりと思っていたそうです。


Nさんは、昨夜は一度もトイレに行っていないと言うと、連れは絶句してしまいました。



Nさんが言うには、ラスベガスのホテルはその手の話が結構多いとの事。

カジノで負けて、遺恨を残した霊がうようよしているのかも知れません…。

作者:

更新日:2008年11月26日 15時44分

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近所の心霊スポット〜「能見堂跡・横浜市金沢区」

森の木々も色づき、はや晩秋から初冬に移ろう季節の中、あまりの好天に思い立ちました。

「'''そうだ、『心霊スポット』に行こう!!'''」と。


実は以前に、あるサイトで、家の近所の「ある場所」で囁かれる怪談を読んだのです。

こんなお話でした。
(前略)金沢区の能見堂のお話知ってますか?私の両親や友人も見たことがあるのですが、森の中の遊歩道を、犬を連れたおじいさんの幽霊が歩いているのです。
私の両親は、散歩中にすれ違って、挨拶したら目の前から消えてしまったと言っています。
中学の時の友達は、能見堂の近くにある池で遊んでいたら、犬を連れたおじいさんを見て、何気なく
振り返った時にはもういなくなっていたそうです(後略)
'''行って見ましょう!!'''

と、言う訳で「'''能見堂跡'''」をレポートすべく出発した取材班。

(相変わらず1人ですが、そのうちアビエータ氏が参加する予定です。)


家から車で10分も走ると、緑地の入り口に着きました。

「能見堂跡」は、先日レポートした「瀬上池」ともそう遠くは無い、緑地公園の中にあります。

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横浜市南部の高台にある「能見堂跡」近辺からは、ご覧の様に横浜市街や東京湾が見事に遠望できます。

それもその筈、元禄時代に絵師巨勢金岡が、ここから眺めるあまりにも美しく、思わず筆をすてたという

伝承がある程なのです。 



さて、早速取材班は「能見堂」を目指して、森の中に突入します。

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もうすぐ師走の声も聞こうか、と言う時期にもかかわらず、木々の間からは小春日和の柔らかな日差しが

こぼれてきます。うーん、気持ちいい!!

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遊歩道は綺麗に整備され、快適な散策が楽しめます。

途中、何組かのお散歩中の皆様とすれ違いました。

しかし、犬を連れたおじいさんは見かけません…。

森の中を、ぶらりぶらりと歩いていると、到着しました。「能見堂跡」に…。

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能見堂は寛文年間(1661〜73)に地頭の久世大和守広之が再興した擲筆山地蔵院です。その歴史は古く、

平安時代藤原道長が開いたとも伝えられているそうです。

その後盛衰もありますが、江戸時代には景勝の地として、賑わいを見せたとの事。

元禄時代に来日した明の僧心越禅師は、能見堂から見た景色が中国の「瀟湘八景」にそっくりだと驚き、

「武州能見堂入景の詩」を詠んだ。これが「金沢八景」の名の由来ともいわれています。

また、京浜急行の「能見台」と言う駅名も、この地に由来している事は間違いないでしょう。

その後、明治2年1月18日に、火事で能見堂は焼失。今は、この様な石碑で往時を偲ぶのみです。

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               ↑「金沢八景発祥の地」と言った意味の石碑。


―さて、ここにも犬連れのおじいさんの姿は見えないので、池の方に足を向けます。

ほんの数分歩くと…。お、見えてきました…。

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「お不動池」です。

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紅葉の赤が水面に映えます。

鯉や亀ほか豊富な種類の魚や水棲生物が泳ぎ、カワセミも生息する、豊かな池です。

何故ここが「お不動池」と云われているかと言うと、すぐ隣に「谷津関ヶ谷不動尊」と言うお不動さんが

あるのです。

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信心深い取材班は、こじんまりとしたお社にお賽銭を入れて手を合わせます。

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お不動さんの上には広々した広場が。

暖かな日差しに包まれております。あー、良い所だ!!寝っころがっちゃおう!!(10分ほど昼寝)

陽だまりの中、やはりベンチでお昼寝中のお年寄りの姿がありました。


犬連れのじいさん幽霊の事など、どうでも良くなって来た取材班。

丁度お昼時になったので、持参のお弁当を広げました。

'''何で、お弁当って外で食べるとこんなに美味しいのでしょうか?'''


小一時間ほど秋の森の美味しい空気と暖かな陽だまりを堪能し、取材班は「能見堂跡」を後にしました。

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そこそこきついアップダウンもあります。行かれる時は、しっかりとした靴をお薦めします。

「瀬上池」と同じく、ご家族での気軽な散策にイチオシです!!(歴史の勉強にもなるし。)





―え、幽霊はどうなったんだって?いやあ、たぶん'''出ません'''よ、ここは。

(全く、毛の先程も「心霊スポット巡り」でも何でもないですね。すみませんでした…)

作者:

更新日:2008年11月26日 14時52分

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「八丈島の忌み話」

1952(昭和27)年の事。

伊豆諸島の一つ、太平洋に浮かぶ八丈島で、土木作業中の死亡事故がありました。

島内の山中で林道建設中の作業員数名が土砂崩れに遭い、1人は一命を取り留めたものの、7人の死者が

出たのです。


「犠牲者が7人…。まさか…。この昭和の時代に…。」

島に密かに伝わる、ある「伝承」を知る島民の間には「'''これは、祟りではないか'''」と戦慄が走りました。

その「伝承」とは、江戸の昔から、「山中では決して口外するべからず」と定められ、

島民の間に密やかに口伝えされたこんな「忌み話」でした。
江戸時代、全てを自給自足で賄う八丈島は、度々飢饉に見舞われていた。
ある時の飢饉で、島民が食うや食わずの状態の中、上方から江戸に向かう船が難破し、7人の僧侶が
八丈島に流れ着く。
僧侶達は飢えに苦しみながら島内を彷徨い、ようやくある村に辿り着いた。
流人の村人達は、助けを求める僧侶達を、「余所者に施す余裕は無い」と村外に放逐するばかりか、遂には惨殺するに及んだ…。
「7人の符号」に、島民は殺された僧侶の祟りでは…と思ったのです。

事故の直前(数日前との説もあり)、作業員の一人が「昔、ここ辺で7人の坊さんが島民に殺されたそう

だ」と島の伝承を話し、島の人が諌めるのも聞かず、その伝承を嘲る様な掛け声をかけながら、作業をし

ていた…との噂も立ちました。



さて、時は移って、1995(平成7)年8月。

そんな事故の記憶も薄れ掛けた頃、八丈島で奇妙な「事件」が発生します。


厳重に施錠された町営の火葬場から、子供のものを含む'''身元不明の人骨が七柱発見された'''のです。

人骨は、最近焼かれたものではなく、死後十数年は経過していると鑑定されました。

誰の仕業かも、人骨の身元も、全く不明のままに「事件」は謎だけを残して幕を降ろしました。

当時、新聞や週刊誌、ワイドショー等で騒がれた為、記憶にある方も多いのではないかと思います。


再び「7」の符号が起こったばかりか、身元不明の人骨と言う不吉な事件に、島の人々が戦慄を覚えた

であろう事は、想像に難くありません。


―以上が「八丈島の七人坊主の祟り」として有名なお話の概略です。




と、ここで終わっても良かったのですが、'''1周年感謝フェア'''と言う事で、もう少し調べてみました。


この手の「伝承」は、現代になって捏造されたモノであるケースが多いのですが、「七人坊主」のお話

は、かなり昔から存在していました。大正15年に発行された「民族」(小寺融吉 著) の中で、八丈島

の話として次の様な民話が紹介されております。
八丈島に漂着した7人の坊主を島人が惨殺した。
怨念がその地に宿り、坊主と呼ぶと、7人の坊主の姿が夢現と現われた。
つまり、「山中で口外してはいけない、七人坊主惨殺話」と言う云われは、実際に存在していたのです。


'''ただし、この「七人坊主惨殺話」には疑問点も多く見受けられます'''。

話だけを聞くと、荒くれの流人が住む村で、僧侶達が惨殺された…と言う風なイメージを抱きます。


確かに八丈島は流刑地として知られてはいます。

島流しの島とは、遥か昔から流人たちが何千人も流され、荒涼とした無人島にコロニーを作った。つま

り、島流しの島には流人しかいないと言う様な一般的なイメージがありますが、さにあらず。


八丈島の場合、流刑地となったのは、江戸初期からで、流人第一号は関ヶ原で西軍についた宇喜多秀家父

子です。その後、江戸時代を通じて流刑地となりますが、その間に八丈島に流された流人の総数は、

約1900人程でしかありません。当時、流人は八丈島に着くと、地役人、名主などの出迎えを受け、

くじ引きで各村に振り分けられて住まいを定め、島抜けを企まない限りは、島内では原則自由に生活でき

たそうです。(結婚は許されませんでしたが、島内の女性と同居する事まで認められていました。)

つまり、流人だけの村、と言うのはあり得なかったのです。


更に、流人というと、荒くれ者ばかりと言うイメージもありますが、八丈島の場合は、余りに遠い為、

知能犯や政治犯、はたまた身分の高い者等といった、各時代毎のエリートが多く流されておりました。

こそ泥や強盗程度の犯罪者を、高い費用と遭難のリスクをかけて連れて来るには遠すぎたのです。


そして、流人となった者達は、全国各地から高度な知識や技術を八丈島にもたらしました。

例えば…
師民部:多数の仏教彫刻を作った。
狩野春潮:絵師で南京船漂着図を作成した。
菅野八郎:奥州の百姓で、養蚕技術を伝授した。
太田道寿:島の医療の改善に尽力した
加藤稲五郎:為替手形を島に広める。
丹宗庄右衛門:芋焼酎の造り方を伝授した。(ちなみに芋だけの焼酎は独特の匂いがするため、現在では芋と麦のブレンド焼酎になった)
平川親義:明治になって夜学学校を開設し、初等教育に尽力した。
近藤富蔵:択捉島を日本領土だとした探検家近藤重蔵の長男で、人殺しにより島に流された。明治になって放免され『八丈実記』72巻を作成した。(ちなみに、この人は八丈島に流された最後の流人です。)
等など。

その為、当時から八丈島の文化・知的水準は、離島としてはかなり高かったそうです。(勿論現在も)

また、甘蔗(サツマイモ)が普及してからは、飢饉も薄らいでいたとの事。


そんな文化水準の高かった八丈島で、幾ら食糧不足とは言え、七人もの僧侶を惨殺すると言う事が

あったのか?流人が絡んでいたとしても、むしろ、僧侶を助ける事によって、特赦を期待する方が普通で

はないのか?

そんな気がします。(実際、江戸時代を通じて500人程の流人が特赦・恩赦にあずかっています。)


更に色々と調べてみると、僧侶達は殺されたのではなく、村落から放逐されただけだ、と言う説もある事

が判りました。'''実は、僧侶の一人が伝染病に罹患しており、伝播を恐れた為'''だとか。

僧侶には気の毒ですが、閉鎖された孤島で伝染病が広がると、島民が絶滅しかねません。

八丈島の島民たちは、止む無く僧侶を山中に追いやったと考える方が納得がいく様な気がします。


では、何故この様な「忌み話」が生まれたのか?

「七人〇〇」と言うと、思い浮かぶのが「七人ミサキ」です。「七人ミサキ」とは…
七人ミサキ(しちにんミサキ)または七人みさき(しちにんみさき)は、高知県を初めとする四国地方や中国地方に伝わる集団亡霊。災害や事故、特に海で溺死した人間の死霊。その名の通り常に7人組で、主に海や川などの水辺に現れるとされる。
七人ミサキに遭った人間は高熱に見舞われ、死んでしまう。1人を取り殺すと七人ミサキの内の霊の1人が成仏し、替わって取り殺された者が7人ミサキの内の1人となる。そのために七人ミサキの人数は常に7人組で、増減することはないという。(ウィキペディアより)
同類の怪として、「七人同行(しちにんどうぎょう)」「七人童子(しちにんどうじ)」と云われるモノ

もあります。何となく、「七人坊主」とイメージが重なる様な…。



―と、言う訳で…、長々と書いてきて、やっとオチですが。


'''流れ付いた僧侶(何人だったかは兎も角)を、止む無くとは言え非業の死に追いやった負い目がある所'''

'''に、中国地方もしくは四国出身の流人がもたらした「七人ミサキ」の妖怪話が重なり、「七人坊主惨殺'''

'''話」の原型が出来たのではないのかなと、私はそんな気がします'''。


では、冒頭の事故・事件は何なのか…?それは私には判りません。

只の偶然と言えばそれまでだし、曰くがあると言えばありそうだし…。

ただ、不謹慎ながら、興味深い話である事は否めません。


ちなみに、色々調べている内に、某巨大掲示板に八丈島の話としてこんな書き込みを見つけました。
何でも、夜、友人達とクッチャべってたら、坊主頭の集団が現れたそうです。
坊主頭なので野球部員と思い、「野球部出て来いよ!」と叫んだら 
消えたそうです。「もしや、お坊さんの霊・・・・」かと焦り 
車を急発進させたら、エンストを起こしたそうです。
また、以前何度か登場した、釣りバカの同僚の、こんな体験談も…。
八丈島に釣りに行った時。夜釣りをしていたら、何処からか、読経の声が聞こえた。
何人かの坊さんが合唱する様にお経を読んでいた…。

―やっぱり、何かあるんでしょうか…?

作者:

更新日:2008年11月19日 20時10分

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なんと、気が付けば、お陰様で【1周年】です!!

ふと気付けば、'''私がこのブログを開設して、丁度1年となりました'''!!


思い返せば、1年前。2007年の11月20日の事。ほんの気まぐれでおっ始めたこのブログ。

それまで見聞きした「怖い話」を記録に残しておきたいと言う軽い気持ちで書き始めました。

最初は、2〜3回書いたら飽きて放っぽらかしになるんだろうなあ…と思っておりましたが、

それが、何と、1年ももってしまいました。


それもこれも、いつも私の拙い文章を読んで頂いている、大勢の皆様のお陰以外の何物でもないと、

'''心の底から感謝しております'''。



最初は、記事を書いても訪問者もコメントも無く、まあこんなもんだろうと思っていました。

それが何時しか大勢の方々からコメントをお寄せ頂ける様になり、訪問者も延べ八万人様を超す

とは…有り難いながらも、信じられない気持ちです。


また、ネタを提供してくれる周囲のみんなにも感謝です。

更に、当ブログで一番怖いと評判の「コメ怖」も充実してきており、ホントに皆様におんぶに抱っこに肩

車状態で、恐縮しております。

何しろ、私自身は全く霊感と言う物がなく、他人のふんどしで勝負するしか手はございませんので…。


兎にも角にも、これからも細々とながら、続けて行きますので、皆々様におかれましては、末永く暇つぶ

しにでもお読み頂ければ、大変嬉しく思います。


'''今後とも、末永く宜しくお願い申し上げます'''。


ちなみに、これ↓が、初めて書いた、記念すべき(しなくていいけど。)記事です。
       【平らな男

作者:

更新日:2008年11月19日 11時46分

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