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トップ > 雑誌に寄稿&登場! > 雑誌に寄稿&登場! - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月5日 7時)

馬糞十句

 
東風ぞ吹く粉となるまで馬糞かな



詩怨などヘブライの産いろはにほ



首抜きて霧に真向かふ睡ければ



冬蜂の眼の昼のほし正午の野



水洟も飴粕となり縁者消ゆ



坐臥なぜか水になりゆき細魚顔



蜆蝶を汁にあしらふ腐蝕日は



廃位よりおのれ瞰下ろす鳳の惨



脇見にて花王(くわわう)眺めん死ぬる迄



静住を事とし蝋梅陽に揺るる




最終一句は蕃兄、解酲子兄と巻く
「なにぬねの?」歌仙からの反故。
 

作者:阿部 嘉昭

更新日:2008年12月5日 14時45分

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沢田研二・東京ドームライヴ

 
三万人、六時間半、八〇曲、六十年――
これが、憶えておく数値。
昨日の15時から21時半まで
東京ドームでひらかれた
「人間60年 ジュリー祭り」で
沢田研二がつくったものだ。
ゲストなし、ツインギター、シンセ、ドラムという小編成のバンドのみで
単身の沢田がつくりあげた数字だから、恐れ入る。

満席の会場が冬の到来もあって地味な色に感じられた。
むろんそれは1940年代から50年代に生まれた女性が
大挙、会場に繰り出したこととも関連している。
客席の雰囲気を総括すると、
新宿コマのそれと変わらないという結論が出るのだろうか。

いやちがう――周囲を見渡し、どこかではにかみをずっと保持している
「元少女」のはかない面影をもつ女性が客席にとても多いとおもった。
たとえば「ジュリー!」と歓声をあげる声が
思春期のそれのようにかしましくなく
どこかで弱々しい含羞にも翳っているのだが、
これがヘンに永遠の少女をおもわせて生々しかったりする。
結局はずっと、「大人になれなかった女たち」。
こちらは六〇前後のそんな女性たちに妙な色欲さえ覚えてしまう。
彼女たちは「永遠の王子」ジュリー=沢田研二にたいする
「動物的」反射現象のなかにいた。
そこに性的な――肌の微妙な湿り、喉許のうわずりも感じられた。



いまの若い子たちに、
往年のジュリー=沢田の輝きを伝えるのは難しい。
六〇年代後半から八〇年代初頭まで
「単独アイドル」になっても日本のポップスの基盤を
歌唱・衣裳・ルックス・アイドル自覚・ブレインたちなどをつうじて
からだを張ってつくりあげ、
他の歌謡ポップスともちがい、どこかで日本化を拒んで
欧米ロックとの連絡性を深層では強化したこと。
しかもそれを美しさと、歌謡界的「けれん」「派手さ」のなかで
微視的に検討できる厚みのなかに常に繰り広げたこと。

そのようにして彼はずっと「歌の中心」にいたのだった。
むろん華やかさにおいて比肩できる人材などいない。
そう、彼は唯一神だった。

会場には同世代の女性グループのほか、
母-娘カップルも目立った。
「お母さんの若いころ好きだったアイドル」の凄さ、
それを伝えるには実物を見せるにしくはない、とおもったのだろう。

ジュリー伝説が伝わりにくいのは、
ずっと「トップを張りつづけ」、
ついに加齢からそれが維持しえなくなった八〇年代初頭、
沢田研二の活動の迫力が低下したのと軌を一にするように
彼のナベプロ脱退が沢田をTV画面から放逐するような流れをつくり
沢田自身もそれで間歇的な俳優活動に基軸を移し、
歌手としては往年のヒット曲の宝蔵を潔く封印してしまったためだ。

要請があっても、
彼は経済基盤が弱くなりヒットしなくなった
「新曲」しか唄わない(つまり「昔の名前で出ない」)と突っ張ったはずで、
この長い自己封印が、ついに「還暦到達」という機縁を得て
「往年のヒット曲をすべて唄います」の表明に変化、
これが今回の客足の伸びにも跳ね返っていったとおもう。

俳優としてのジュリーは『悪魔のようなあいつ』『太陽を盗んだ男』と
アイドル期にもっていた微妙な陰翳を拡大するようにキャリアを重ね、
八〇年代後半からは眼の下の隈の深化、疲労の蓄積と顔色のくすみを武器に
「冴えない中年」の役割で、ずっといい味を出していったとはおもう。
それでも肥満化による体型の崩れが否めなく、
歌手としての往年の栄耀を
そこから摘出するのは至難だったかもしれない。

たとえば同じタイガース出身の岸部一徳が悪辣さ・軟体性をふくめ
その演技に存在論的深みをつよめてゆくのにたいし、
俳優としての沢田は、どこか居所のなさに付きまとわれた感もある。
中年俳優としてもっと出番が多ければそれも打開できたかもしれないが、
どこかで彼は「労働」「頑張り」を
斜に見る習いもできてしまっていたのではないか。

ただ長年のジュリーファンは
やはり彼を「太陽的光源」と捉えつづけたい希求をもちつづけたはずだ。
この「太陽」というのは、僕が岸部一徳からじかに聞いた言葉。
映画『ラブドガン』パンフ制作でのインタビューに当たり
ベース奏者が俳優に転進する例は
存在論的、「本質的」な演技に結実する場合が岸部もふくめ多いのにたいし、
歌手出身の演技は――と視点が移って、沢田研二の話題へと自然に動いた。
このときに岸部が遥かな視線にいきなり転じ、
「あのひとは太陽ですから」とぽつんと語ったのが印象にのこっている。

沢田の「太陽性」については、
実はその美貌以外に、「声の美貌」が関わっているだろう。
「王子の声」とずっとひそかに呼んできたのだが、声がすごく艶やかで、
唱法のロック典拠に、なにか綺羅を刷く要素もそこに加算されるのだった。

唱法のロック性に関しては
声がダウン気味に入ってゆくことがまず挙げられる。
次に、ディープソウルシンガーのように、一定の長さの歌唱フレーズを
分節として演奏のなかに「置き」ながら、
そこでは基本的に声を伸ばさず、発声を間歇状態にさせる
(これらには沢田の深いロック理解がある)。

ところが勘所ではジュリーの声が華麗に伸ばされる。
クライマックスの高音域でそうなるのはむろん自然だが
中音域でも彼はそれをおこなう。
それをたとえば布施明のようには横に平べったく全開にしない。
この中音域の声の伸びにこそ独自の艶があり、
これがエロキューションの良さと相俟うのがジュリーの武器だった。

ジュリーは決して、同世代のロック系歌手のように
アメリカ音楽へのコンプレックスを起因に
発声にビブラートをかけたり、下品な巻き舌をつかったりはしなかった。
元は京都の不良少年ロッカーという資質もみえたのに、
どこかで端正さにより歌を練り上げてゆく精神的な傾きがあった。

露骨に芝居的な感情移入性がない、という点のみを抜きにすれば
上記のジュリーの歌唱特質はシャンソン歌唱に通じる面もあり、
それがジュリーの美貌と相俟って、
彼をロッカーにして「宝塚スター」にも近似する「聖なる怪物」に変えた。
彼の歌にはそれで、「アイ・ラヴ・ユー」とともに
「ジュ・テーム」も組織され、ここに違和感がなかった。

このことでジュリーにはトランスセクシュアルという役割も
追随者の郷ひろみとともに付加された。
グラムロックの隆盛を横目にジュリーが化粧をしても、
誰もがその声の美貌と、姿の美貌とを、分離できないと知っていて、
そのバサラな振舞にもしごく納得したのだった。



このライヴを前に、歌手としてのジュリーの近況を伝える、
二回にわたるNHK『SONGS』での放映を見ていた。
歌唱の艶は往年の姿を取り戻したものの、
その肥満体型を女房と僕は「沢田彦麻呂」とわらいあってもいた。

ところが今度のライヴでは、
やがて綺羅綺羅しいステージ衣裳の重装を解いた彼が
往年の痩身を再獲得したとわかってくる。
ステージの花道も袖も走りまわるにふさわしい、抑圧のない体型。
皺だらけの老犬のようなミック・ジャガーの現況に較べ、
この「人間60年 ジュリー祭り」の沢田は身体レベルでの精神性が強い。

ジュリーは、最初、ビジュアル系ヴォーカリストに紛う、
全身白、歌舞伎的な連獅子をおもわせる派手ないでたちで現れた
(ただしルックスが良いのだから隈取の化粧で顔をごまかす必要がない)。
そのたてがみ部分が、身体を側面・背面から覆う。
つまり肥満体であってもその体型の弱点が隠されるステージ衣裳だ。
しかもそれは、よくみると「たてがみ」を模写しておらず、
どちらかというとアメリカ先住民族の「酋長」の様式、
つまり、羽根の集積を表現していた。
もしかすると美空ひばり「不死鳥ライヴ」での
あの衣裳が念頭にあったかもしれない。

一曲目から彼はステージから飛び出した花道にどんどん繰り出してくる。
だんだん歌唱に熱を帯び、拳が演説者のように前面に突き出されるに及んで、
「カリスマ」に接しているような鳥肌も立ってきた。
番組『SONGS』とは電圧がまるでちがう。
そして七、八曲が続々披露されたのちその装飾的な覆いをとると
前記のように彼が自身のからだを細身に鍛え上げているのが明らかになった。
その体型的「自信」が裏打ちする電圧だった、ということだ。

途中、約20分のわずかな休憩時間を挟んだとはいえ、
ジュリーが六時間半に及び八十曲を唄いあげるというのは
「往年のヒット曲網羅」だけでは理解できない事柄だ。
ヒット曲はタイガース時代のものからソロアイドル期のものまで
確かにほぼ不足感のないまでに惜しみなく披瀝された。
一方で、一部の熱心なファンを除き
大衆がジュリーの曲から離れていった受難の時代にも
佳曲と見事な歌唱が目白押しにある、と実証するために
沢田研二は半ば「意地で」、八十曲を延々唄いつづけたとも思しい。
実際、「掴み」は弱いかもしれないが、
僕の知らない曲にも素晴しい作り・歌唱が続出していた。

第一部の最初、ジュリーはずっと知られない曲を連打してゆく。
中年後期の女性を中心にした客席はうまく自分の場所を定位できない。
ジュリー自身は受難期までふくめてその全貌を明かすのだから、
得意であるはずのMCも最小限度にしなければならない。
一曲が終わって彼が語る言葉は、
決まって「ありがとう、サンキュウ、アリガトね」。
くるっとからだを回す場合もある。
最後の「アリガトね」は田舎のお婆さんのような発声というべきか
フィリピーノの片言の日本語というべきかで、滑稽味もあり、
何度繰り返されてもおもわず笑ってしまう。

第一部、七曲目、とつぜん聴き知ったイントロが流れてきた。
意外や、既知の曲の最初の披露は
タイガース時代の『銀河のロマンス』だった。
往年とまるで変わらない「王子の声」が「王子的な曲」と
寸分もなく合致してきて、
僕自身も「友達のお姉さん」と一緒にジュリーに憧れた、
往年の甘い感情になってくる。眼が潤んできた。
以後、『モナリザの微笑』『青い鳥』(これらのGS様式の曲の、
ポップ文脈での、なんという変わらぬ新鮮さ)なども立て続けに唄うが
加橋かつみがリードをとった曲をジュリーはきっぱり回避した。
『シーサイド・バウンド』では客席全体が
「GO! GO!」の掛け声で揺れた。

また、知らない曲の連打に少しジュリーが戻ったのち、
今度はソロデビュー『君をのせて』(宮川泰作曲の
隠されたジャズコードの素晴しさ!)を皮切りに、
『許されない愛』など、ソロ時代の初期曲が立て続けに唄われた
(『六番目のユ・ウ・ウ・ツ』など例外もあったが)。
上述『君をのせて』には「ア、ア~ア、アア・・」という
ジョン・レノン『イマジン』とそっくりの間投詞的歌唱の一節があるのだが、
この部分でジュリーの高音歌唱が
還暦を迎えた男とはおもえないほど色気がある、と鳥肌が立った。

それは、第一部のアコギやクラシックピアノ音だけをバックにした
短いフォークコーナーでのジュリー歌唱の驚きにも引き継がれてゆく。
ヴォーカルに適度にかけられたリバーブの特質を知りつつ、
最も音域の高い発声では声にひずみをかけ、
それを反響のなかで適切に伸ばしてゆくのだが、
そこでディープソウルの「絶唱」に似た効果を
沢田は「ジュリー文脈」で独自に実現していたのだった。
やはりジュリーは稀代のヴォーカリストだったという思いをつよくしてゆく。

ジュリーが還暦を迎えたのは今年の六月。
以後、彼は小規模な「ジュリー祭り」を地方でずっとやってきた。
それでたぶん痩身を取り戻した。
この東京ドームでのライヴの三日前には
大阪・京セラドームでドーム公演も敢行していて、
この流れのなかでたぶん声の調子をずっと上向きにしてきたはずだ。
ハードスケジュールでも声を潰さないというのは
往年の彼が歌手としてノウハウをずっともっていたことの反映だろう。
同時に「復活」に向けヴォイトレを敢行していた裏事情もみえる。

第一部の終わりはタイガースの解散コンサートでの主題曲だった、
隠れた名曲ともいっていい、『Love Love Love』。
忘れられない、ブルーアイドソウルなサビメロが抜群で、
おまけにその部分でジョン・レノン『愛こそすべて』と同じメッセージをもつ。
会場で沢田と唱和していたら、
やはり後ろから前から
中年女性たちも低くだが同じく唱和していると気づいた。
ジュリーはさすがに客席への転写能力が強い。

この女性たちは当日、家庭も仕事も自営業もほっぽりだし、
祭りに駆けつけた「翔ぶ中年」でもある。
ジュリーもまた、会場の女性の中心が自分と同年代だという点を意識していて、
やがて始められたMCでは「ご老体を労わる」口調で彼女たちを擽り、
自分の「頑張り」がいかにしんどいかを自己申告することで彼女たちを笑わせた。



休憩を挟み、第二部。往年のヒット曲とともに
新アルバム収録曲を網羅するというので相変わらず、知らない曲も多い。
ただし『SONGS』でオンエアされた曲は知っている。
「わが窮状を守る」という一見右翼的なメッセージに見えつつ(曲調もそうだ)、
内実は「窮状」と「(憲法)九条」を引っ掛けていると気づき
そのリベラルぶりで唖然とさせるフォークバラードや、
最良のクイーンにたいするようなマッチョな掛け声がふさわしい
シングルカット曲と思しい『ロックンロール・マーチ』など佳曲も多い。

それと不意にジュリーは第二部で一曲だけタイガース時代の曲を演った。
ラストシングル『美しき愛の掟』。
シングル音源では狂奔するギターが遠くに入っていて、
奏者が森本太郎ではなく成毛滋ではないかと噂された、
ドラマチックな設定からロック的反復呪文に入るいわくつきの名曲だ。
ジュリーは自分の名曲が何かを見事に検討しているとおもった。

この第二部にいたってもジュリーの声が枯れない、潰れない。
それどころか歌声の天性の「王子的」艶やかさが曲を追い、増してくる。
ああ、このようにして八十曲が唄われ終わるのだとおもった。

第一部で温存されていたソロ・アイドル時代の、
ロックンロール的スピードのある曲は
『危険なふたり』『TOKIO』など、この局面でここぞとばかりに披露され、
客席の手拍子、挙手の波、唱和の度合いがぐんぐん高まってゆく。
それを機にジュリーは正式な唱和も提案した。
対象となった曲は『あなたに今夜はワインをふりかけ』。
意外だったが、これが素晴しい選曲だった。
ジュリーは自分への、観客のマニアックな執着を知っていたのだった。

相前後して新曲群と往年のヒット曲群を交互させる構成も続き、
『サムライ』など、阿久悠作詞時代の、
歌詞に代理店的な仕掛けのあるバラードの歌唱が中心となる。
アンコール後は、満を持して
『勝手にしやがれ』『時の過ぎゆくままに』が披露されたが、
それでもラスト数曲は、ノリのいい曲が選ばれながらも、
観客に馴染みの薄いもので通したのには上述のジュリーの「意地」をみた。

体力抜群、気力の充実抜群。時に軽快に走り回って唄う姿には心底驚いた。
大体、ジュリーは八十曲の歌詞を、記憶しきって暗誦で唄いきったのだった。
それだけでも常人の能力を軽く超えている。
歌詞が跳んだのは一曲の小さな一箇所のみで、
それもふくめ全てにわたり、これは圧倒的なライヴだった。

聴きのこしたとおもった曲は『魅せられた夜』くらいか。
音色を変型させたキーボードのイントロにたいし
ジュリーが最良の歌唱で放つ声の「湿気」が調和し、
ジュリーの資質が英米と欧州大陸に魅惑的に分裂する、あの憂鬱な曲。

衛星が先だろうが、NHKがやがてこのライヴをオンエアするという。
ラインで録った音に差替え、
多すぎる反響を適度に殺した音で放映されるだろう。
ねがわくば、全曲を割愛しないで出してほしい。
それがメドレー方式に圧縮せず、
すべての曲をフルコーラスで唄い切った
ジュリーにたいする敬意の表明ともなる。



時代をつくったジュリーを素材に、このようなライヴ評をものすれば
当然、最後は世代論で締めくくらなければならないだろう。

最も留意すべきは、団塊の世代の、老いを兆す現在の身体が
その青春期には「ロック的身体」として熱狂的に組織されていたという点だ。
女性に限っては、ポップスヒットにロックの真髄を潜ませていたジュリーが
そうした身体組織を領導した面がつよいということが無視できない。
そこで彼女たちはロック的なものとロマンチシズム的なものの
不思議な融合を自分の身体にすらみたはずで、
そういう絵空事にもちかい幻想が若かった彼女たちの感性をつくった。
つまり彼女たちの身体は、「幻想」で織り成されていたのだ。
身体が実在だった前世代とはこの点が大きく異なる。

それでその後「世界」がある方向へと傾斜してゆき、
最終的にはこのことで現在のネオリベも母娘癒着も、あるいは
「おひとりさま」の自裁と最終連帯に向けての「独善」もあるのだとおもう。

会場は僕にとっては、年長女性にたいする往年の甘い幻想を確かにもたらした。
いまでは見受けられなくなった「友達のお姉さん」の自由への憧れや
性的な自己責任を負わされている躯の、甘い匂いが
ここにはいまだに漂っている――そのように知覚したのだった。
「68年の女たち」の残存。
そういう身体の実質とジュリーに代表される「ポップス」の実質が
実は見事に拮抗していて、
これこそが、戦後民主主義と並ぶ、「日本的条件」なのだともおもった。

若い世代も、この点につき、体感を研ぎ澄まさなければならないだろう。
だから母から娘への「ジュリー伝説伝承」が大きな意義をもつのだった。
 

作者:阿部 嘉昭

更新日:2008年12月4日 11時34分

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連句C班完成!

 
立教連詩連句演習、連句C班も
歌仙一巻を完成させた。
こちらは四人と小ぶりの連衆だが、
その理由は
第一回授業欠席者を中心に形成されたため。
阿部はここに参加した。

ABCD、BADCの順。
四人なので出句頻度は高い。

先にアップした連句A班の歌仙は、
初折表~初折裏前半に
約束事の季語が少ないという弱点をもつ。
それでも直しをみなでやらなかったのは、
季節の気分でつけられていて、
連句的な推移が不十分ながら
表現されているとおもったため。

このC班は僕が参加しているため
そのあたりは磐石なのだが、
内堀・伊藤という「停滞」の達人がいて、
途中、遅れを取り戻すため
授業のなかで連句を運んだこともあった。
第十三句から第二十二句までの流れが良いのは
授業中の阿部の容喙があったからだ。

メーリス到着後、
語かぶりなど初歩的ミスを直すうち、
勘所も僕自身が工事してしまった。

それでは以下を--




しまひまでそぞろ往く日も藁の王   阿部嘉昭1



 遥かに見ゆる曲がり路の秋     伊藤浩介2



黄金にはなれぬと落つる金木犀    石井洋平3



 舞を踊りて服に染み付く      内堀亮人4
  元句:舞を踊りて路に染み付く


一筋の呻きおもはす周波数      伊藤浩介(阿部直し)5
  元句:一筋の呻きに似たる周波数


 ラジオ修理も夏の月下に      阿部嘉昭6(月の座)



目が覚めて周囲見渡す一匹の蝉    内堀亮人7



 蟻に食まれむ末はわが身よ     石井洋平8



半玉の請け先に梅らんまんと     阿部嘉昭9



 そよかに流る沈丁花の香      伊藤浩介(阿部直し)10
  元句:そよかに流る冬の残り香


手荷物の息を潜めし風鈴の      石井洋平11



 涼しき懸想に我が身を削る    内堀亮人(阿部直し)12
  元句:夏の懸想に我が身を削る


月恋し曇天をゆく鐘の哀       伊藤浩介13(月の座)



 見えなくなりぬ肥馬の背中も    阿部嘉昭(阿部直し)14
  元句:見えなくなりぬ馬車の背中も


種をまき芽吹く陽気に走り寄り    石井洋平15



 キャベツに似たる脳の数々     伊藤浩介16



たつぷりと花も重たき頭山      内堀亮人17(花の座)



 寄席の帰りを茶漬けで流す     石井洋平18



粥腹に力を込めて西瓜剪る      阿部嘉昭19



 研がんとすれば砥石に黴よ     内堀亮人20



五月雨の露滴りし原始の蒼      伊藤浩介21



 田中の線の縦を横に見       阿部嘉昭22



空と地をひつくり返さん手をついて  石井洋平23



 天に張り付く我は蜘蛛なり     伊藤浩介24



汝が髪は憤らずとも愛衝つく     内堀亮人(阿部直し)25
  元句:我が髪は怒らずとも天を衝つく


 抜けども抜けぬロックの色素    石井洋平26



まぼろしは紺屋と囲む藍の鍋     阿部嘉昭27



 煙と消えて腹満ち足りず      内堀亮人(阿部直し)28
  元句:煙と消えてわが腹満ちず


かすみ目を底まで撃てり冴ゆる月     伊藤浩介(阿部直し)29(月の座)
  元句:かすみ目に朧を纏う月麗し


 すすき野にある馬糞が都      阿部嘉昭(阿部直し)30
  元句:をちこちにある馬糞が都


薄羽の蜻蛉のひかり衣装とぶ     石井洋平(阿部直し)31
  元句:薄羽の透ける光の衣装とび      


 夜の寒さに足ばたつかす      伊藤浩介32



明け方や筍を見る土湿り       内堀亮人(阿部直し)33
  元句:喧噪も無ければひとり夜さみし


 吟行小ぶりに春空ひくし      石井洋平(阿部直し)34
  元句:目覚めの行軍ひとには小さき


菰を茣蓙にしのぎて酌まん花のもと  阿部嘉昭35(花の座)



 琴瑟そろひ歌ごゑ潤む       内堀亮人(阿部直し)36
  元句:酒に色付く頬と紅梅       
 

作者:阿部 嘉昭

更新日:2008年12月3日 5時13分

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岡井隆・ネフスキイ

 
日録として歌作する。
一日一首という鉄則は設けない。
想が赴くままの、連作の欲求もあるためだ。
歌作では、魂のうつつと清澄が均衡した朝を多くこのむ。
これらが岡井隆の近来の短歌態度となりつつあるようだ。

――こう書いて判明するように、
岡井隆の歌作ではあらゆる歌の可能性・蓄積経験を手中にしたうえで
そこに随筆性をさらに巻き込んで
それで歌型の強靭さがゆらぐか否か見極める歌への距離がある。
随想の対象は身辺だから「私」をあからさまにするが
上記のようにそうして「距離」があるからその「私」が保たれ
視覚化にも近いかたちで「私」は塊として定位される。

あるいは――随筆=エッセイとは、
短詩型文学や詩や戯曲や小説と並ぶ定立ジャンルではなく
それらを美しく弱体化しジャンルから自明性を消す
一種の、書法的媒質だともいえる。ジャンルではないのだ。
むろん「私性」の客観的書記への介入は通常は「弱さ」として発露するが、
「私」がそれでゆるぎなく情と思考の主体ともなれば
「私」自体には強化と魅惑化という副産をもたらす。
『彼自身によるロラン・バルト』などに照らせば
すぐにわかる書記の二重化だ。
弱さと強さのアマルガム、岡井隆の歌作はいまその域に入っている。
このアマルガムの感触が、しなやかなのだった。

思考の契機となる読書。地上を往来する自己身体。
生活の細部。意外に峻烈な内心の吐露。
不意を襲った語連関への新鮮な驚愕。
年齢のためかかつてそれらに伍していた性愛の実相はもうないが、
これらだけでも岡井の岡井的日々が上質に織られる。
ブリコラージュ、手作業。しかし刺繍されたものは
時間と同じく線型性のなかにちりばめられて透明だ。
「永遠」への間口がそうしてある。
岡井はこの時点で西脇の後継と考えるべきだろう。

この歌作方法ではいわゆる「絶唱」の比率も低下するが、
岡井はたぶん短歌という詩型に
「絶唱」のみを求める気持を吝嗇として戒めているはずだ。
軽やかさを演じてこそこの詩型が存続するという
どうみても「正しい信念」がそこに介在しているだろう
(これは現代詩も同じ)。
連句でいう平句のような歌群が、
岡井を媒介項に運ばれてゆき、
それでも創作の交点である岡井は、理の当然として光暈のなかにいる。
あるいは「光暈を形成する」。
だから歌のなかに綴られる岡井の身体も
視覚化されて読者の前に出現しつつ、かつ「見えない」。

歌をそのように自らに奉仕させる岡井は「歌の王」だが、
歌でもって身体を刻む律儀な「歌の従僕」でもある。
ともあれ、どう綴っても岡井の現在の歌は
見た目の平明とはちがい、
複雑な背反を豊かに組織する磁力をもつ。

その磁力に読者は恍惚と蝕まれてゆく運命にある。
このように岡井独自に形成される歌の達成境は
誰も岡井のような運命的強度をもたないのだから
作歌精神を意気阻喪させることにもつながるだろう。
だが彼はいうはずだ、「この歌作のなかの亀裂に注意せよ、
そのとき同じような作歌があなたにも舞い込むだろう」。

何しろ八四〇首程度(「程度」というのは旋頭歌が二首入っているから)を
岡井の人生の破片として収蔵する大部の歌集だ。
その物量によって拉し去られる気分ともなるだろう。
それでも読者は「量」ではなく「質」に視線と音感を投じることで
この素晴しい歌集に向かわなければならない。

筆者が好きな歌を抜き、
場合によってはそれに論評を加えるというラクな書き方で
以下を進めてゆく(キリがないので、ワードで七枚程度までとする)。



《わが妻の記憶まことにこまやかに忘却といふ救ひを知らず》
どの時点の「妻」かを一瞬考えたが、どうでもいいことだ。
忘却=救済、という通常性とは逆の認識が一首を貫くが、
歌の面目はこう唄ってみて顕ってくる「妻」の実体的イメージだ。
そこに哀しさと華やかさが伴われる。

《バルコンに降る雨脚の尖だけが肉感的でしかもしづかだ》
微細な視覚。ところが口語の介入で茶化される。
そういう抵抗圧ある微妙な厚みのなか読後も雨が降りつづける。
「バルコン」の語にあるブルジョワ性をも岡井は自己批評しているはずだ。

《おぼろなる記憶なれども数箇月まへと同じき霧の中に佇つ》
平明。またも「記憶」が主題で、
記憶の五里霧中が間歇的なシンクロ体験として唄われている。
「霧の中に佇つ」の八音の停滞感、重さが手練。

《投げ出されし道具〔ツール〕のあひに手を置けり頭はいまだ昨夜〔きそ〕をさまよふ》
相変わらずの「カッコいい」自画像。ただし不如意感か執着が唄われている。
このAorBの設問に回答がないから、歌に余韻が生じている。

《作品は不機嫌な朝に生まれ来て今日の一日を司どるべし》
《仕上げたるよろこびのあはひ草の香に泥のにほひのしづかに混じる》
実作経験を主題にした連作にちかいが、処世訓とはならない。
岡井の創作には何か不透明に独自性がある。それで草、泥の語が切ない。

《読めば飽き書かむとすれば疲れ果つ一日の夕べ手作業をせり》
上の歌群と連関。

《つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて》
棒書き中、「。」で呼吸や文節を切ったり、口語を乱入させる技法は
この歌集にも数多く認められるが、もはや堂に入っている。
美しい光景が卑語でゆがみ、なおかつ美しさが回帰する遅延として歌があって
それと「。」が呼応している。
対偶読みができる。「岡井自身にはまだ時が満ちていない」。
では「時が満ちる」とは何か――「死ぬこと」だとおもった。

《怒りさへ長く続かず 落葉焚のやうに亡んでしまつた生きもの》
「怒気」という別の動物がかつて岡井に棲んでいた。
それがもう死んだ――「不如意」はとうぜん老年を指針しているが、
安堵や幸福の気配もまたここに揺曳するから歌の像が深くなる。

《午すぎに後ろ向きになる習性がある まだ独り立ちできぬ中洲に》
謎のように吐き出された一首。「中洲」は福岡の知名ではなく
単純に中洲――川が形作るあの微妙なトポスと取った。

《縄文の人らのやうに栗食みて心をぬくめあへば夕ぐれ》
縄文文化論争(縄文人とは何か)にあえて与しない無頓着なつくり。
能天気な作歌とみえて、長くイメージが尾を引く。
無頓着さは「夕暮」の表記を回避した点にも表れている。

《クリームチーズ鍋に溶けゆく(映像に外ならぬ故)こころかげりぬ》
チーズフォンデュだろうか。何しろ「( )」の効果に参る。
最後の七音が故意に乱暴だが、
映像はひとを憂鬱にさせるという認知哲学も底流している。
すると岡井が讃えたいのは「音像」ではないのか。

《キリスト教。聖書が深くこの人を貫いてゐる 医師は手段だ》
シュヴァイツァーの伝記を読んでの感慨らしい。
「。」と一字空白によって「切れ」(何たる若々しい破天荒さ)、
最後の七音の乱暴な断言がずっと心にのこる
――なぜなら岡井も「医師」だったからだ。
「医師」である文学者、鴎外、茂吉、岡井・・
いずれも「医師」は生計ではなく「生の手段」だろう。
だが掲出首の「聖書」の位置に、いずれの場合も「文学」を代入できない。
その空白感が一首の命で、「文学」ではなく、
もっと「人間的な探求性」といったものを考えるべきではないか。
となって「医師の文学」の無限恐怖も際立ってくる。

《アジアから帰りしあしたけし粒にこもる真〔まこと〕と相向かひ合ふ》
「けし粒」が不明。服に付いて
アジア行から持ち帰ったものではないとおもう。
何しろアジア→日本の道筋を理解するために
極小のものと直面せよという示唆があって、
その示唆は仏教的だが、やはり謎めいているのが「いい味」なのだった。

《朝食ののちリンゴ屋へリンゴ買ふべく出かけたる妻の自転車》
「果物屋」はあるが、「リンゴ屋」は存在しない。それが第一の不思議とすると、
句の最後が、妻から自転車にずるっと視点がズレるのが
第二の摩訶不思議だ。
歌が真面目につくられていないという感触は
この不思議感と頭韻によって凌駕され、
「実体でないもの」が一首の読後にのこる。
岡井はここで短歌の正体を明かす――それは意味ではなく音韻だった。

《利してより寝ねたる宵は細口のさよりのごとく海に眠れる》
「利す」は「排泄行為」と、これ以前の収録歌に注記があった。
岡井得意の自画像。童話的にみえつつ
最も痩身な正統魚類に自身をなぞらえた寂寥が勝る。
しかも「ごとく」の類推は形状ではなくたぶん心情からなのだ。
嚥下に労苦が要るような不如意な生物性。
童話性否定には「利す」の医学用語が奏功している。

《午ちかき日は紙の上にはだらなるかげりを生みて われ絶句せり》
五七五七までは平叙だ。一字空白ののち意外な主体の感慨が来る。
それで鑑賞軸は、なぜその程度の「はだらなるかげり」に
「絶句」したのか――この読解となる。
解答のひとつは岡井の歌そのものが「はだらなるかげり」だったのに、
先行する何かが「岡井の代わり」にもうそれを書いていたから絶句した
――というもの。だがそう解釈しても不透明さが魅惑的にのこる。

《しやわしやわと陰嚢〔ホーデン〕の襞洗ふときうしろに大き冬の夜がある》
「しやわしやわ」の擬音の苛立たしさ。
岡井には風呂場、自身の陰嚢を唄った有名歌がある。
《うたた寝ののちおそき湯に居たりけり股間に遊ぶかぎりなき黒》(『歳月の贈物』)。
かつて自らの肉の闇を、その性愛への希求により岡井は自覚していた。
ところが現在、彼の股間は「白い」のではないか。
だが闇は収まらない――闇は彼の背後、死をそそのかすべくその場所を移した。

《ドック式検査の折りに身体と心をかすめ過ぎる矢の数》
人間ドック詠か。CTスキャンなどに接しての感慨だろう。
自身を断面集積にするため、光線が走るが、
それが現在までの光陰=時間へと転化する。
いずれにせよ、肉体と時間の関係が主題になっている。
「かすめ過ぎる矢の数」の修辞には、むろん戦慄が潜む。

《あたたかき吉祥寺の街妻とゆく一番ふかい底に火がある》
吉祥寺は岡井の居住地近隣。吉祥寺の「一番ふかい底」は
井の頭池を脇の高台から見下ろして感じられるような気がするが、
あるいは駅前やその細道の迷路を「一番ふかい底」と
岡井が感じているのかもしれない。
こう唄われて、吉祥寺という、プチブルや勝ち組の似合う街が
にわかに黙示録化するような気もする。
ただし岡井は茶化してもいる。
冒頭「あたたかき」はどう考えても代替可能で、修辞に決定性がない。
それをもって一首の偶有的位置を示唆しているのだとおもう。

《十分に熟睡〔うまい〕せし故寂しくはなくなりて坐す雨のあしたに》
因果提示が意図して子どもっぽい。岡井との実齢のズレがそれで強調され、
雨の朝、バルコン前の窓で雨を視、聴く、
岡井の寂寥たっぷりの胡坐姿がイメージされてくる。
歌は一首成立の前に何があったのか告げないが、家庭不穏の雰囲気もある。

《しかし自負とはなんであらうか見る限り荒野をひとり耕すときに》
「歌の王」の「自負」だとすれば、「荒野」とは歌壇なのではないか。
啓蒙を王は望まず、農耕をそこで願う。
「しかし」と逆接からはじまる破格の構成は、
岡井自身の口語を抜き取ったという擬制により破格さを逃れる。
ミレー描く農夫の姿を、その岡井のイメージに重ねた。

《見たことは無いが逆鱗に触られたときの龍の眼のような朝雲》
朝焼けを反映して赤い雲にたいし、過剰な形容を載せ、
「それだけしかない」畸形歌。
逆鱗の由来はこうだったな、とおもいながら、
逆鱗に触れられて憤怒するのが「かつての」岡井的身振りだったともおもう。
「龍眼」は漢方薬になる植物だし、「独眼竜」の武将もおもい、
この歌は読んだ以上のイメージ形成をするともおもう。

《昨夜のみし小盞〔こさかづき〕一つ。机上には書きものの魔の影ら散らばふ》
掲出済《午ちかき日は紙の上に》と似た感慨だが、
ただしこちらは執筆の「事後」。執筆=狼藉という意味形成が生じてもいる。

《差別して生きる。差別されながら生きる。それもこまやかに差別し、されて》
同語が呪文のように反復される。
「差別」という遣いにくい言葉をもちい、
それでもそれを世情=自己の哀しみと連絡させ、
視野の広い、遥かで懐かしい光景にする。
岡井短歌ではよく覚える感慨だ。
一首をどう分節して読むかが問題となる。僕はこう読んだ。
《差別して/生きる。差別/されながら/生きる。それも/こまやかに/差別し、されて》
五・六・五・六・五・七。
見たこともない韻律だが、読み下すと不思議に心地よい。
「こまやかに」を取ると、七音の一部が六音に変わった変型短歌に変わる。
さらに「。」を一音休符と算えると六音は七音に復帰もするのだった。
岡井が金子兜太と共に著した遠い記憶の『短詩型文学論』が蘇ってくる。

《禁園の鶴をおもへば夕映えにかがやくつばさ(見てはならない)》
これも「( )」をつかった異例の修辞に動悸する。
「禁園」とは何かは、その直前の歌から解ける(連作だった)。
《皇室のあくまで遠く寂かなれわれがごときのかかはるべからず》。
鶴に隠喩して、岡井は「皇室」の何を知ったのか。
いずれにせよ散々糾弾された彼の「歌会始」への出席がなければ
岡井に舞い込むことのなかった歌だろう。

《しま馬の群が駈けてく映像をちらと見たあと〈私〉に沈む》
この「私」を前に、誰もが岡井のかつての「私」名歌をおもうだろう。
《さんごじゆの実のなる垣にかこまれてあはれわたくし専(もは)ら私(わたくし)》(『歳月の贈物』)。
だが「私」はもう庭にいる崇高な被捕獲者ではなく、
妻が見るTVの動物番組をちらと覗き見した、
室内の覚束ない擦過者にすぎない。
かつての自己神話を岡井はこのようにして破砕する。
「駈けてゆく」ではなく片言の「駈けてく」の修辞を選んだ理由もそこにある。

(以下略)



「詩手帖」の年鑑号が昨日届いた。
自分の詩篇がアンソロジーにとられ、
住所も住所録に載り、
アンケート「今年の収穫」では
多くのひと(算えてないが十人くらいだろうか)に
僕の『昨日知った、あらゆる声で』を挙げていただいた。
いよいよ「評論家専一」ではなく
「評論家兼実作者」として認知される機運が生じてきたわけだ。
望んでいたことだけに、素直に嬉しい。

ただし、僕がぜんぜん評価できない詩集のいくつかを
多くのひとが「挨拶」のつもりか
「今年の収穫」に自堕落に挙げているとも感じた。
映画のベストテンより「情実度」がぜんぜん高いのではないか。

「今年の収穫」はその意味では
透明性を欠いた場なのだった。
となって、僕と全く面識のない詩作者たちに
僕の詩集を挙げていただいたのは
反証としての透明性を結果することになるとも気づく。
これが(詩手帖のために)じつに嬉しかった。
この場を借りて、お礼を申し上げます。

一個だけ、激怒したことを。

某「詩人」が僕の詩集を挙げなかった。
そのひとは、「阿部の詩集をもう七回読んだ。
読むたびに良さが沁みてくる。
だから僕のつくった映像も送らせてください」
と今年の夏、メールしてきたひとだ。

とうぜん送られてその映像を即座に観た。
何の感銘も受けず、
前衛の方法が愚弄されていると怒りも感じた。
だからノーメンションで通した。
良くないときは黙っている--それが僕の礼儀というものだ。

そうしたらその「詩人」は返礼のつもりか
「今年の収穫」から僕の詩集をネグってしまった。

そのひとの人格を憤るというより、
「互酬」をさもしく期待する、
その詩壇的精神性を悪むのだ。
こういう憎悪は僕の場合すごくつよい。
そのひとはずっと敬愛していただけに
この小さな「事件」を機に、
詩の世界から身を退こうかとまでおもってしまった。



「現代詩手帖」のほか、
いま店頭に並んでいる「ユリイカ」では
もっと長い稿を書いています。
母と娘の現代的逼塞に考えを及ぼしたものですが、
一面、こちらも08年詩作状況回顧を兼ねた記事のつもり。
だから詩が数多く引用されています。
併せて一本です。ぜひご覧いただければ
 

作者:阿部 嘉昭

更新日:2008年12月2日 15時32分

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連句A班完成!

立教連詩連句演習、
連句A班の連詩が完成した。

計六人の班。
ABCDEF、BADCFE・・
の順で回してもらった。
差し戻しが面倒臭いので
宗匠役はなし。

一旦全句が巻き終わってから
季節の推移をどうしたらよいかを
演習参加者全員で考えた。
直し案提出はコンペのかたちをとった。

もともと細かい進行表、規則をしるした
「歌仙心得」は渡していた。
月の座、花の座、
春秋三句以上の約束、
初折表での忌み言葉、
打越触れ禁止、遠輪廻禁止の原則など。
それでも歌仙は多大な注意力を要して難しく、
結果的に改築工事も
大掛かりなものになってしまった
(もともとこの班は発句に月が出るという
大禁じ手によって開始された)。

ただしこの改築工事が眼目だった。
そこでこそ、歌仙にたいする態度や技術が
受講生につたわるとおもっていたのだった。
ただ実際はあいだの数句を季節的要請を満たして
差替えるため、
相当なパズル的思考を要する。
で、昨日は名残の折以降の直しを教室でやり
短期間に数々の句をつくって
疲労困憊にいたってしまった。

学生にまだ弱いのが即吟の能力。
素早い丁々発止こそが
やはり歌仙の快楽の源泉だとおもう



●連句A班


ふんわりと虫の夜を這ふ白い月      井澤丈敏1



 浮かぶ頬頬風に浮き立つ        松岡美希2



枡酒に揺れる金色そつとなめ       佐々木綾3



 わが身の雲もはらへよ野分        都野有美4



ひとすぢの有明の灯に誘はれて      中村ふみ代(月の座)5



 からだ透きだす石のベランダ       大中真慶6



明るみにわたしのかたち置き忘れ     松岡美希7



 青春といふ汗のトンネル          井澤丈敏(望月直し)8
  元句:冷えた水鏡鳴き出すは影


思ひ出す古い口ぐせ駆け抜けて      都野有美9



 天高く飛ぶ声と流るる           佐々木綾10



あの女木犀のもと煙草吸ひ         大中真慶11



 黒髪長くストールを巻く           中村ふみ代12(中村直し)
  元句:こぼれる花のなきがらを待つ


風吹きて空しく流る時の片          井澤丈敏13



 枯野に擦られ月や羞しむ          松岡美希(阿部直し)(月の座)14
  元句:つきを呼び止めしばしとどめむ


走り去る雲を遠くに眺めやり         佐々木綾15



 しまひを待つて突つ立つてゐる      都野有美16



振り向けば霞の花も賑やかに        中村ふみ代(中村改作)(花の座)17
  元句:振り向けば霞の空も賑やかに


 寄る波の音に蝌蚪休らひぬ        大中真慶(阿部直し)18
  元句:串焼き噛みて抜きとる君と



わらわらに歩く一団蜂の山          松岡美希19



 春の旅人転がり落ちて           井澤丈敏20



針穴をとほしてたぐる糸の先         都野有美21



 夜釣りに興ず坊主の籠に         佐々木綾22



梵鐘にゑがく尼僧のおもかげや      大中真慶(阿部直し)23
  元句:市場やら近所かまわずベル鳴らし


 性懲りもなく茄子を馳走す        中村ふみ代(阿部直し)24
  元句:贈り物には年甲斐もなく


忘却は白風うらしま玉手箱        井澤丈敏(阿部直し)25
  元句:我先と舞を踊りて玉手箱


 など指の間ゆ紅葉散るらん       松岡美希(阿部直し)26
  元句:解く指先に紅葉散る


幼子の頬にも似たるあつさみて      佐々木綾27



 人肌の湯に蹠を洗ふ            都野有美(阿部直し)28
  元句:血のごと流るる小川のゆくえ



祖父母泣く二年経つての初歩き      中村ふみ代(阿部直し)29
  元句:ぬかるみに取られた足の青ざめて


 笑ふ月兎も重ね着をして        大中真慶30(阿部直し)(月の座)
  元句:朧月すえにぎる弾丸


知らぬ間にチョコボール溶けピーナッツ  松岡美希31



 双子二回の春日珍らか        井澤丈敏32(阿部直し)
  元句:無念を横に鼻歌聞こゆ


長閑にて並び語りて筆運ぶ       都野有美33(阿部直し)
   元句:ギターたてコード起こすも筆の音


 霞む鈴音に覚ゆあかつき       佐々木綾34(阿部直し)
  元句:滑りて覚ゆ春のあかつき


猫目には花白くして大輪に       大中真慶35(阿部直し)(花の座)
  元句:醒めて園かくしの花に爪染めて


 さへずる鳥は姿見えねど        中村ふみ代36(阿部直し)
  元句:さえずる歌も陽気な道中
 

作者:阿部 嘉昭

更新日:2008年12月2日 8時33分

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