ネコ情報
ネコを各種ブログ(Blog)から一括検索します。
トップ > 327 > 327 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月9日 9時)
「大衆」から「個衆」「鏡衆」、そして「結衆」
昨晩は今年の講演初め。講演というかレクチャーかな。小規模でアットホームな会だった。
広告関係の方はおらず、流通やメーカーや商社の方が集まったビジネススクール。なので、広告の話を基点に、なるべく店頭や商品開発に応用できそうな話をしてみた。ここ10年くらいの生活者の変化とそれにどうやって対応するかをかいつまんで1時間15分で話し、あと45分は質疑応答。それぞれの現場でのお悩みやボク個人に対する質問。一番多かったのはやはり生活者へのアプローチというか調査の仕方みたいなこと。どうやってターゲットもしくは「欲しがっている人」に出会えばいいか、に皆さん悩んでらっしゃる。それがわかったらとっくに起業独立しているわけで、ボクももちろんわからないのだけど、ボクなりの答えを提示させていただいた。
未だ「大衆」という言葉が存在した時代のマーケティング方法から抜け出せないことが今の現場の一番の問題点なのだろうなとつくづく思う。「大衆」という大きな塊がどう動くか、を、マーケッターが脊髄反射的に追ってしまう。頭ではもう「大衆」の時代ではないとわかっていても、そういうやり方がカラダに染みついていて自然とそう動いてしまう感じ。
もちろんとっくに「大衆」の時代ではなく、「分衆」を経て「小衆」「個衆」を経て、いまではそーとーバラバラだ。
そして今の特徴は、バラバラだからこそ「結びつきたがる」「共有したがる」ということ(それを表した「鏡衆」という言葉もある)。
「大衆」の時代は「個」が重視され、個性あることを個人個人がしたがった。共有より個性。カタマリから抜け出したい欲望が強かった。でも今は逆。バラバラだからこそどっかでつながっていたい。わかりあいたい。この広いバラバラな砂漠の中で仲間を探し出したい。それがYouTubeでの発信やブログでの結びつき、ミクシィなどのコミュニティの発展やクチコミの強さにもつながっていると思う。
バラバラだけど結びつきたい。そんな時代に「大衆」が存在した時代のやり方は全く通用しない。
いままで通りの調査方法では「買ってくれる相手」を見つけられない。たとえ見つかってもいままで通りの一律表現ではなかなか伝わらない。老若男女に同時に伝えられたお茶の間も崩壊し、伝え方も細分化した。共有したがる個々の人々にアプローチするのは、大衆に向かって絨毯爆撃することに馴れた身には非効率的に見えるし、影響力も小さく見える。流行も小さくしか作れない。でもそれをしていかないと売れにくい時代なのである。
一方で、ここ数ヶ月、また状況が変化してきているのも感じる。
急激に加速する不況感と、それに起因する強い不安感によって、いままでバラバラだった人々がカタマリになりだしている匂いがする。言うなれば「結衆」に近い感じ(結びつきたがる感じと不安からの結集感と)。折しも不況でみんな外に出なくなり、大画面液晶テレビの普及もあって(個々の部屋で小さい画面を見るよりはリビングの大画面を見たいとなり)、お茶の間の復活も感じられる。たった数ヶ月で状況が大きく変化しつつある。そしたらまたやり方を変えないといけない。めまぐるしいな(笑)。でもボクなんか飽きっぽい方なので、こういう変化の時代はちょっと楽しい。
講演の後、懇親会。
お酒が入って和んだけど、どうしても席の周りの人としかお話できないのが申し訳なかった。
香川からこの懇親会だけのために上京した方がいらっしゃったんだけど、いきなりだったので話の接点が見えず、あまりお話し出来なかったのが特に申し訳なかった。ここ読んでらっしゃるかな。すいませんでした。
作者:satonao
更新日:2009年1月9日 6時52分
喫茶店カレー
なんか急に「喫茶店のカレーが食べたい」という欲求に駆られた。
インド風でも欧風でもタイ風でもない、あの独特の日本カレー。楕円のカレー皿で給されて隅っこに福神漬けの赤が眩しい街角カレー。ご飯がべっちゃりめでルーも水溶き片栗粉なんか入ってねっとり甘かったりする家庭カレー。紙ナプキンが巻いてあるスプーンとコップ一杯の水道水だけが脇役な、シンプルで懐かしい昭和洋食カレー。たまに昭和時代のケチャップ味ナポリタンが無性に食べたくなるのと同じように「喫茶店カレー」もたまに無性に食べたくなる。
出来ればウッディかつモルタルな昭和の喫茶店で、カウンターの椅子が木の作り付けだったりすると気分。マスターは黒のベストを着ているロマンスグレーの60代で、レジですれ違った時ほんのりブラバスの香りが漂ったりするともっと気分。デミタスカップのコレクションが棚にあったり、古いタンノイのスピーカーが隅に据え付けてあったり、山岳写真が額入りで飾ってあったりするともっともっと気分。そんな喫茶店でカレーが食べたい。
で、仕事場からとりあえず出た。そしていきなり途方に暮れた。そんな喫茶店どこにもない!
スタバはある。タリーズもある。ドトールもベローチェもエクセルシオールもある。チェーン店以外にもお洒落な「カフェ」はいろいろある。でも、昭和っぽいカレーをメニューにしていそうな「喫茶店」がない! オヤジたちが外回り中に一服するような「喫茶店」がない!
いや、近所にひとつある。
でもそこは喫煙率がスゴイのだ。一度だけ入ったことがあるが、煙で奥がよく見えない。この辺のサラリーマン愛煙家の溜まり場なのだ。んー、あそこでカレーを食べる気にはなれないなぁ…。
という流れで、いきなり昼飯難民に。
極寒のビル風が吹きすさぶ中、喫茶店がありそうな古い一角を彷徨い歩くも全然ない。飲食雑居ビルに入ってみても全然ない。んー、もう寒すぎるしカレーチェーンで済まそうか。いや専門に作られたものが食べたいのではない。雰囲気も味も全然違う。初志貫徹。喫茶店を探せ!
結局、情けないというか、屈辱的な結末に。
近くの「設計者がんばりました系複合型お洒落高層ビル」の2階に入っている「大正・昭和ロマンを疑似再現した、いかにも空間プロデューサーが裏にいそうな喫茶店」に入り、「昭和の喫茶店カレーを求める一部愛好家が泣いて喜ぶであろうことを狙って企画されたと思われる、典型的要素をすべて兼ね備えた、しかし950円とバカ高い邪道カレー」を食べてしまった。
意地が食欲に負けた。
あぁ不満だ。屈辱だ。でも結構おいしかった。orz
作者:satonao
更新日:2009年1月8日 7時40分
浅草演芸ホール「平成21年初席」
去年の舞台納めは落語だったが、今年の舞台初めも結果的に落語になった。結果的に、と書いたのは、当初は行く予定がなかったから。
つい数日前に「東京煮込み横丁評判記」(坂崎重盛著)という本を読んで、なんだか煮込みが食べたくなり(というか大衆酒場に行きたくなり)、友人とまずは北千住に行ったのが事の始まり。
まず行ったのは言わずと知れた千住の名居酒屋「大はし」である。ただ、本に載っている「大升」「天七」「千住の永見」も射程に入れていた。本に載ってなかった「徳多和良」も行ってみたい。あ、「藤や」も。んー全部行ったら6軒のハシゴ酒になる。新年早々それもどうかと思いつつ、まずは「大はし」。
あー、やっぱりここの肉豆腐はうまいや。刺身もうまい。セロリや串カツもうまい。梅割りももちろんうまい。サービスのテンポも相変わらずのテキパキさ。気持ちいいなぁ。常連さんたちに囲まれて飲んでいるうちに腰が落ち着いてしまってミニ牡蠣鍋までもらってしまう。あぁ食が進むなぁ。ハシゴ酒気分が遠のくなぁ。
長居したい気分を断ち切って大衆酒場「大升」へ。
途中「天七」や「千住の永見」を通り過ぎるもほぼ満席だったので「大升」もヤバイか、と、覚悟していったらガラガラだった。でもボクたちが入って数分で満席に(ボクはわりと客を呼ぶ。思い込みかもしれないけどね)。後から来た常連さんに女将さんが「今日は本当にヒマだったの」と愚痴っているのを横で聞きながら、酎ハイと煮込み、ホルモン炒め、ミリン干しなど。いい店だ。雰囲気が大衆酒場の典型。楽しいな。
ただ、昨晩はなぜか、食は進むのにあまり酒が飲めなかった。頼んだ酎ハイもなかなか減らない。体調かな。まぁこういう夜もある。でもハシゴ酒はどうしよう…と思っていたら、落語好きの友人が「浅草演芸ホールで落語聞きたい」と言い出す。初笑いか!それは名案! と、タクシーに乗り込んだ。
折しも浅草演芸ホールは「平成21年初席」。10日までの正月寄席である。
朝9時から夜9時まで12時間、80人近い芸人が入れ替わり立ち替わり芸を見せる顔見世興行。四部構成なんだけど、それぞれのトリが林家木久扇、橘家圓蔵、三遊亭圓歌、三遊亭金馬。トリじゃないところにも小さんやら小三治やら正蔵やらの有名どころがズラリ。ひとり10分弱の持ち時間で落語やら漫談やらマジックやらを次々やってくれる。
8時前くらいに入ったので9時まで1時間強。春風亭正朝とぺぺ桜井と昭和のいるこいると大トリの三遊亭金馬が印象に残っているかな。持ち時間が短いので小咄が多いのだが、逆に正月の特別気分があって楽しい。いろんな芸人がいるなぁ。噺家も知らない人ばかり。これ、いろいろ知っていくと楽しいんだろうな。
正月三が日は満席らしいが、6日ともなるとわりとガラガラ。前の方に座って金馬とか間近で見るのもまた楽し。ちゃんとした劇場で聞く落語もいいが、小さい常設小屋で唾がかかりそうな近さで聞くのもまた違う趣がある。椅子が古くて腰が痛かったが、なんだか今年はいい年になりそうな気がしてきたよ。
あ〜楽しかった。また寄席に飛び入ろう。
作者:satonao
更新日:2009年1月7日 8時32分
1mmと3mm
1mm程度に短くした髪の毛だが、頭にシャドウな部分がなくなった分(髪の黒っぽい部分がなくなった分)、かなり丸顔に見えるようだ。
初出社で「太った?」とか、まず聞かれた。まぁ確かに1キロくらい体重増えたが、本人としては筋肉増加分だと思っているのでちょと不満。「いや、髪を極限まで短くしたからじゃないかなぁ」と返すと、あぁ…とか頭を見て、「そういえば、そうかもね」と言って、そこからがふたつに分かれた。「でも、怖くなったね」という意見と「でも、優しく見えるようになったよ」という意見のふたつ。
「それって坊主というかほとんどスキンヘッドですよね。ちょっと怖いかも」「んー、サングラスとかしたら完全にヤ○ザですね」という人が半分。
一方「なんか丸くなって優しい顔になったんじゃない?」「可愛くなった」という人が半分。両極端だ。どっちやねん。
んー、どうしようかなー…。1mmと3mm。どっちにすっかなー…。
たった数ミリの違いなんてたいしたことないと思ってたけど、意外と大きな違いのようだ。1mmだとファッションも変わってくるのかもしれない。頭にシャドウがない上に色白なので、黒とかが似合わなくなるかも。というか黒だとより「怖い」方向に印象が流れるだろう。ただでさえ第一印象が悪いボクである。「怖い」方向に印象が流れるのはあまり宜しくない。でも「優しくなった」と言ってくれる人も半分いるし…。
まぁしばらくは1mmに切って様子を見、それを3mmまで伸ばしてまた様子を見、という繰り返しになりそうである。今後お会いする方々、いちいちボクに「どう思う?」と聞かれると思いますが、生ぬるく見守ってやってください。
作者:satonao
更新日:2009年1月6日 7時42分
ゆるやかに発進
この休みの目標のひとつに「カラダを締める」というのがあった。
ヨガと基本エクササイズ。特に腹筋。これらは一週間まめにやったと思う。ただ体重は増えた。まぁ筋肉は重いので筋肉がついてきたとも言えるが、少しお雑煮食べ過ぎたかな(←お雑煮好き)。まぁ基礎代謝(BM)が増えたのでそのうち自然と痩せるだろう。
年末、バリカンの目盛りを下げ、1〜2mm程度にした。
超短髪というかほとんどマルコメに近くなった。が、家族も両親も気づいてくれない。まぁ見た目変わらない、ということだろう。こっちの方が気持ちいいのでしばらくこれでやってみる。刈りたてをジョリジョリ触っているのが気持ちええ。
今日から出社となったらいきなり早朝覚醒。
どんだけイヤなのか(笑)。朝4時前に目が覚めて、その後寝られず、仕方がないからさなメモ書いている。まぁ昨日が惰眠の一日だったので寝が足りているせいもあるかもしれない。ただ、1月の早朝って好きではある。空気の密度が違う感じ。
ちゅうことで、激動の2009年の仕事始め。
年頭の初心を忘れず、マイペースでゆるやかに発進しようと思う。まずは早朝ヨガ(超簡単版)から。ヨガをすると「体が資本」って言葉を思い出すね。からだがスッキリすると頭が働く。頭が働くといろんな心配事が解決し出す。いい循環だ。
作者:satonao
更新日:2009年1月5日 4時51分
自己肯定の弱まり
お正月休み最後の日。
心安らかに連続して休めるのは今年はもうないかも、と、サイトをいじったりするのもやめてベッドで物思いにふける日にした。別名、ほとんど惰眠。
惰眠中、ふと気づいた。
このところの精神的迷走は「自己肯定の弱まり」が原因だったんだな。自己否定が強まりすぎた。本業もプライベートも領域を広げすぎたせいで全体の密度が薄まり、部分部分の完成度が低くなり、それを悔いて内省的になってしまった。それが強い自己否定につながった。そんなことよりも領域をここまで広げられた自分をもっと肯定するべきであった。もっと誇りに思うべきであった。
また寝て、ふと目が覚める。
そういえば、この休み中、娘のこともよーく見ていたが、彼女もこのところ自己肯定が弱い。自己否定的な発想をする。謙虚というには否定的すぎる。これはボクのが移っているのではないか。いかんいかん。ボクも直すけど、もっと彼女自身のイイトコロに気づかせてあげて、自分を好きになるようにしてあげないと。
以前オサニチに「不得意なものを克服するには、人生はあまりに短い。自分のいいところだけを伸ばして生きていきなさい。」というのを書いた。そういうことだよな。こういう言葉は自己否定的な時に限って思い出さないもの。休み最後の日にふと思い出せて良かった。
安心してまた眠りに落ちる。そんな一日。平和である。
作者:satonao
更新日:2009年1月4日 16時8分
箱根駅伝応援 & 撮影行
箱根駅伝を応援に行ってきた。
復路第10区。田町駅で降りてNEC本社ビル前あたり。
箱根駅伝って「そういえば母方の祖父が大好きでいつも正月はテレビで見ていたなぁ」程度の記憶しかなく、ボクはあまりちゃんと見たことがない。今年は何も予定がない正月ということもあって、昨日ほぼ初めてスタートからゴールまでゆっくり見てみたが、いや〜おもしろいね、これ!(何をいまさら)
で、娘が今年も「港区観光フォトコンテスト」に応募するというので(去年はニューエイジ賞に入賞)、「じゃあ箱根駅伝を沿道で応援する人の表情とか撮ったらどうだ?」という話になり、「えーと港区のコンテストだから港区で撮らないとな。そうすると田町駅あたりかな」ということで、沿道応援&写真撮影に出かけたのである。まぁ観光フォトコンテストにふさわしい題材かどうかは迷うところだが、風物詩ではあることだし、応募できなくても練習としては最適。
狙いは旗振りながら応援する子供とか老人とかの表情。
沿道向かいから300mmの望遠レンズでアップを狙ってみるという、娘としては初めてのトライをしたが、ちゃんとブレずに撮れてるかな(デジカメじゃなくてフィルムなのですぐに結果がわからない)。まぁ望遠レンズで、しかも銀塩フィルムでバシャバシャ撮るのはいい経験だ。一枚一枚の緊張感が違う。
ランナーたちはまさに一瞬で目の前を駆け抜ける。
あらかじめ狙ってた被写体の表情のアップと、駆け抜けるランナーたちの動きがちゃんとフィルムに定着しているかどうか。いくらでも失敗が出来る、かつ、結果がすぐわかるデジカメでは味わえないドキドキ感である。
撮影の帰りにボクはひとりプールへ。
あぁやっぱり気持ちよい。でも久しぶりのせいかかなり疲れた。200m泳いではゼイゼイ。結局1000mくらいでダウン。少しずつ体力戻さないとなぁ。今晩はNHK BS2で「ロックの学園」の再放送があって、斉藤和義のライブが見たいと思っているんだけど、この疲れ具合だと寝ちゃうかもなぁ。深夜2時半くらいからっぽいので(←うちのレコーダーはBS2が録画できない)。
作者:satonao
更新日:2009年1月3日 16時7分
「弁いち」さんのおせち
雲もなく風もない暖かい元日。
おせちは昨年同様「弁いち」さんのをいただいた。
お重を開けると全体に茶色くて、派手で美しい料亭のおせちには見劣りするんだけど、この飾り気のなさにこそ有り難みがある。美しい既製品使いのおせちが多い中、いちから地道に丁寧に手作りしていったことが感じられる料理群。大量生産ではないからこそ出せる味が詰まっている。
「弁いち」さんは浜松にある割烹である。サイト上で1999年から長く続く板前さんの日記を、その初期の頃から毎日のように読んで、「こういう人が作る料理を食べたい」と思ったのがご縁の始まり。浜松は遠くてなかなか行けなかったが、ようやく一度だけお邪魔でき「料理って作った人を食べることなんだな」という実感を持った。あの頃から料理や料理店に対する見方が大きく変化していった。そのきっかけになった店でもある。
一軒家ではあるが、こぢんまりした店である。
そんなに広くないであろう厨房で、そんなに巨大でないであろう冷蔵庫を駆使しながら、数多くのおせち料理を一品一品丁寧に作ってくれているのが目に浮かぶ。西麻布の「眞由膳」さんもおせちをするらしいのだが、彼女によると「冷蔵庫のスペースが足りないので、店の暖房を切って、寒い厨房でダウンジャケットを着て作ります」とのこと。「弁いち」さんもそうやって作ってくれているのかもしれない。作る品数が多いから段取りとかも大変だろう。大晦日の夜ぎりぎりまでそうやって作ってくれる有り難さ。
もちろん対価は支払っているが、そういう料理人の料理って等価交換以上のものが入っている。素材費や技術料だけでない「その人の想い」みたいなもの。特におせちって、味を楽しむというよりは、そこにかけた時間とか手間とか願いとかを味わうものだ。そしてボクはこのおせちからそれが感じられる。
時間とか手間とか願いとかを味わうという意味では、家でおせちを作らなくなったのは大きな出来事かもしれない。母親たちがおせちにかけた時間とか手間とか願いとかを家族で共有する場がなくなった。お正月が「願い」の場ではなく、単なる「イベント」に変わったのはおせちを作らなくなってからだろう。
祖母が死に、その技を受け継いだはずの母も老いて「もう作るのはしんどい」と言いだし、急に途絶えた。一品二品ならまだしもお重を埋めるほどのおせちを作るのは重労働だ。数人がかかりっきりにならないと無理。妻ひとり奮闘しても難しく、そもそも彼女も年末ぎりぎりまで働いている身である。数年粘ったが、いつしか自然とおせち作りは途絶えてしまった。
中2の娘にはせめて時間・手間・願いがこもったおせちを、と、作る人そのものが感じられる「弁いち」さんのおせちをお願いしてきたが、お店のサイトで年頭に明らかにされているように、「発展的に店をスリムに」されるようである。ボクと同じく「ダウンサイジング」が今年のテーマのようですね。シュリンクするのではなく最適にしていく感じ。その辺の志向も似ていて好ましいのだけど、おせちを買えるのはこれで最後かも。
よく味わって、いただいています。
ありがとうございます。
作者:satonao
更新日:2009年1月2日 8時35分
2009年あけましておめでとう
東京は雲ひとつない穏やかな元日です。
初日の出は6時50分だったので、ベランダに出てビルの合間から昇ってくる太陽を拝みました。
今年はどんな年にしようかな。すべては自分次第。すべては自分次第。すべては自分次第。
テーマはいい意味での「ダウンサイジング」。
不景気な意味の「規模縮小」というニュアンスではなく、「規模最適化」に近い感じ。生活をシンプルに整理して「自分にできること」を粛々とやっていこうと思います。一方で「自分にできること」をひとつひとつ増やしていく勉強の年にもしたいですね。そう書くとえらく地味な感じだけど、イメージとしては「ホップ・ステップの年」。ジャンプまでの助走の年。
あ、写真は娘が撮ったウシの置物。うちは優子がウシ好きなので(たぶんチーズ好きから派生してます)、ウシの置物が多いんです。ボクがウシ年生まれということもあるけれど。
作者:satonao
更新日:2009年1月1日 8時2分
今年のトピックスはやっぱり「明日の広告」
個人的に2008年の最大のトピックスは、本「明日の広告」を出したことだと思います。
いままで単に「食のヒト」的に思われてきたのだけど、これでようやく「広告メインのヒトだったんだ」と世間に認識された感じ。ええ、実はそうだったんですよ(笑)。本業は広告を中心としたコミュニケーション(今は広告の枠組みを出ようと思っています)。食は趣味のひとつです。
おかげさまで「明日の広告」は広告の本としては異例に売れて、いままでで累計8万部(5刷)。ボクが出した本の中で一番売れた本になりました。
最高でアマゾンの総合10位。レビューも29件書き込まれ、平均で星5つです。発売後1年近く経つのに昨日見たらまだ500位以内(まぁこれは乱高下するんですが)。本当にありがとうございます。ついでに言うと、青山ブックセンターでは上半期ベスト1だったそうです。
年末になって「2008年ベスト10」みたいな特集が組まれ、いくつかの雑誌やブログでありがたいことに上位に選ばれました。
光文社の「本が好き!」という書評誌では「今年読んだ『最高の一冊』」に選んでくださった評者もいました。リクルート「R25」の「2008年R25特選」にも大きく取り上げてもらい、「この本を広告関係者だけに読ませておくのはもったいない」と書いてもらいました。ありがとうございます。
本が話題になった副産物として、講演依頼が増えました。
今年は結局80本くらい講演・講義・セミナーをこなしたのではないかな。週2本弱。夏から秋にかけては週3本とかこなしてました。しゃべりがうまくなったわけでは決してないけれど、かなり経験値が上がりましたね。場数をこなすことの大切さを改めて認識した感じ。特に札幌での新聞大会のパネラー体験。あれは本当に緊張したけど、舞台度胸がつくと同時にとても勉強になりました。あ、あと天野祐吉さんの本の対談相手も勉強になった。ああいう大きな経験って自分が活性化されるんですね。
そういう活性化も今年の収穫のひとつです。
いろんな人と話して、いろんな経験を積んで、どんどん自分の中が活性化され、考え方が進化していく感じ。
サイトで情報をずっと出してきたので「情報は出せば入ってくる。いっぱい出せばいっぱい入ってくる」とは知っていたけど、今回の本はその予想を上回って莫大な量のインプットがありました。やっぱりアウトプットは大切。これからもずっとアウトプットし続けます。
今年はホント、いろんないい出会い、大切な出会いがありました。
反省点もたくさんあったけど、広くフレキシブルに動けた1年でもありました。今後の仕事人生の方向性に大きな変化をもたらす1年だったかも。つらかったけど、きっと後々思い出す大切な学びの年だったのでしょう。
さて、明日から2009年。
四柱推命によると、ボクは2010年から20年間「天井知らずの運気が来る」らしいので(笑)、もっと学んで、いい助走をして、来るべき大ジャンプに備える年にしたいと思います。大ジャンプ前のホップ・ステップという感じ。ええ、そうですね。静かに燃えてます。
……ただ、問題は、まだどこに向かってジャンプするのか決まっていないこと。
ダメじゃん!
作者:satonao
更新日:2008年12月31日 15時4分
ゆっくり、じっくり
年末にかけてご心配をいただきましたが、ここ数日わりと眠れています。
相変わらず早朝覚醒ではありますが、これは昼寝で寝が足りているからでしょう。過緊張で目が覚めるというよりは、自然に目が覚める感じ。年末年始はほとんど予定を入れてないので、じっくりと心とカラダの不調を直していこうと思います。
クナイプ入れたいい匂いのするお風呂にゆっくり浸かり(いつもは烏の行水)、メールで教えていただいたヨガ体操を念入りにやり(超初心者向けのから始めてます)、ぼんやりクラシックやジャズを聴き(ドゥダメル!)、1週間かけて心とカラダを正常に戻していく作業。
これでまだ戻らなければ東洋医学とか心療内科とかホメオパシーとかにヘルプを頼む感じです。みなさん、本当にご親切にいろいろ教えていただき、ありがとうございました。
そして広告の勉強もじっくり。
本を書いたり講演をしたりすると「情報が向こうからどしどしやってくるようになる」という流れが起こるのだけど、そうすると自分の勉強不足を痛感するような事態も頻繁に起こります。コレを新たに語るためにはアレを知らなければいけない、アレを知るためにはコノコトを掘り下げて研究しなければならない、みたいに領域や考えが否応なく広がっていく。だから加速度的に前に進みます。その一環。
いま勉強し直しているのは「定性調査と定量調査」。赤ペン持ってじっくりと。こんな本読んでるクリエィティブ・ディレクターって変態だよなぁとか内心笑いつつ。でもね、今後のクリエィティブの必須学習事項だと思う。戦略PRを含めて。あとはメディアの収益構造についてもう少し学べたらこの年末年始の目標は達成、かな。
そうそう。ここで宣言したサイト更新作業も毎日しこしこやってます。
でもまぁハッキリ言って間に合わないかも(笑)。すごい量なので。まぁ冬休み中に100店くらいは増やせると思うけど。でもこれは来年の早いうちに必ず追いつきます。ちょっと思うところもあるので。
明日はもう大晦日。いろいろあった2008年もオシマイです。来年デフォルトなんかがもしあったら、「のんびりしていた最後の年末」とか、後々思い出すのかな。そんなことを思いつつ。
作者:satonao
更新日:2008年12月30日 22時5分
2008年を振り返っていろいろ反省しています
来年飛び上がるためにも、一度ググッと深くしゃがまないと。
ということで、自分を振り返って厳しめにいろいろ反省しています。
2008年は仕事面で反省点が多かったですね。原因を二日かけて探ったのですが、「自分ができること」と「自分ができないこと」をきちんと把握せずに事に及んだことが大きいかな。「明日の広告」なんて本を出したこともあって周囲の期待が大きくなり、それに応えようとしすぎた感じ。スーパーマンじゃないんだから一人でできる質も量も限られます。その点を甘く認識して仕事を受け、オーバーフローし、それぞれが中途半端になっていってしまった。これは来年からかなり厳しく改めたいと思っています。
あと、視点の変化にうまく対応できなかった。
「明日の広告」はわりと広めの視野で書いた本です。それでもまだ「広告」という分野に限っている。でも、実は出版から約1年経って、その「広告」をほんの一部とする「パブリック・リレーションズ」(この言葉も古いけど、いまはこの言葉しか当てはまる言葉がない)に興味も関心も向かっています。プッシュ型広告、プル型広告、広報、戦略PR、コンテンツ、WEB2.0的自走コミュニケーション、次世代テクノロジー、クチコミ、そして商品そのもの……などをすべて使って生活者とコミュニケーションしていくやり方ですね。
「コミュニケーション・デザイン」という概念はこれにとても近いのだけど、まだ「広告まわり」の意識が強い。パブリック・リレーションズは、もっと視野と領域を広げて、すべてを関連させてコミュニケーションを作っていかなければいけません。最近ではオバマ次期大統領がこの方法を効果的に使って選挙を闘い、「マーケッター・オブ・ザ・イヤー」を獲りました。
で、志向も思考もそちらに向かっていて、自分の中でのリワイアリング(配線組み替え)もある程度進んでいるのに、実際の仕事が、たとえば「広告」という分野の中の「プッシュ型広告」という分野の中の「クリエィティブ」という分野の中の「CMプランニング」だったりすると、どうにも視点が切り替えられず、プランニングの細部が少しずつ甘くなっていきます。これは悩みました。ここ十数年ずっと普通に見えていたはずのものが、ふと気づくと見えなくなっている。ショックでしたね。でもきっと空から俯瞰すると細かいものが見えにくくなる、みたいなことなのでしょう。使う筋肉が違う。偉そうな意味ではなく。 俯瞰も細視も両方できるのではないか、と甘く考えた自分がいけない。
あと、広告プランニングでは重要な「コア・バリュー」とか「コンセプト」とかいう考え方も、ボクの考えるやり方では「それはひとつではなく伝えたい相手によって分散して存在する」「だからいろんなメディアやソース、タイミングを組み合わせる」ので、何かひとつに絞るという発想がなかったりします。
でも、トラディショナルな作業だと、いきなり「コア・バリュー設定」なんですね。それに直面して初めてそういう発想自体が自分の中で消えていたことにハッと気づいたりしました。自分が変化していることを他から知らされて戸惑う感じ。アレレと困っているうちに、ふと気づくとスタッフとの間で意識乖離が起こっている…。この乖離をちゃんと埋められなかったのも大きな反省点のひとつです。
というか、ボクがトラディショナルなプッシュ型広告の現場に細かく関わっていること自体がすでに非効率的なのかもしれません。
広告制作現場が好きなもので未練たらしく関わり続けていますが、もう志向も思考も変わったのだから、潔く離れるべきなのでしょう。そして、自分が考える新しいコミュニケーション分野の開拓に邁進するべきなのかもしれません。
2009年は大変厳しい年になります。大不況という言葉で片付けられたらラッキーなくらい。
そういう年は「やり方を変える千載一遇のチャンス」でもあることは前に書きました。そしてそれは「個人」にも言えること。自分自身、大きくやり方を変える年にするべきなのだろうな、と思います。クリエィティブ・ディレクターという肩書きからも自由になる頃合いかもしれません。
来年はちょうど年男。つまり48歳。あとひと回りで60歳。
いつまで仕事するかは別にして、残された時間を考えると、自分がいままでやってきたやり方を大きく変えるにはいいタイミングなのだと思います。
そんなことをつらつら思う年の暮れ。
作者:satonao
更新日:2008年12月29日 16時48分
三人集 〜談春、市馬、三三〜 @読売ホール
落語を聞いてきた。
今年はいろんな舞台を見たが、年末の〆が落語というのもまたいいものである。
舞台納めは「三人集」と名付けられた寄席。人気若手3人の会である。立川談春、柳亭市馬、柳家三三の3人(出演順)。昼夜公演の昼の部で、昼も夜も違う演目な上に、三三は昼夜共に大ネタのネタ下ろしだ(「双蝶々」と「鼠小僧 蜆売り」)。一番若い三三がトリを務めて大ネタをする、ということからわかるようにほとんど柳家三三が主役の会である。三三は6月に独演会を見たこともあり、ちょっと応援中。
3人並んでの「口上」から始まったが、かなりくだけた雑談調。
三三に談春が絡むのだが、これがちょっとわざとらしい。いじり下手な上に目が笑っていない。今年は「赤めだか」(立川談春著)が大ヒットして、ボクも7月だったかに読んでいるが、読んだときに感じた違和感を思い出した。談春には独特の上から目線があり、何をやってもどこか説教になってしまう。この本、すごい評判が良かったが、ボクには全く合わなかった。なんでこんなに人気があるのかわからなかった。たぶん相性が悪いのだろう。だって「口上」での絡みを聞いているだけでどんどん違和感が大きくなるくらいだし。
その立川談春の「明烏」が始まった。
途中までは快調。おばさんとかならず者とかはとても良い。でも若旦那が可愛くない。生真面目な若旦那の変容がキーポイントなのにそこが色っぽくない。しかも大きな間違いを二ヶ所でした。落語初心者のボクでもヒヤッとするほどの大間違い。客席もしばし凍る。一回目の間違いは知らん顔で通した。二回目のは自分で間違えを認めて笑いに変えてくれてホッ。
と、なんだか談春を見る目がネガになってしまうのも相性かな。どうやっても上から目線に聞こえる見える。教えてやるよ、という姿勢が見え隠れするように感じてしまう。後で落語にくわしい人に聞いたら「あれはやはり談志の影響かな」とのこと。確かに談志は上から目線だなぁ。でも談志は談志だからなぁ。というか、同じ立川流でも志の輔には上から目線を感じないぞ。この違いはなんだろう。
とか考えながら、続いて柳亭市馬の「三十石」。
ネタ下ろしらしい。彼の大らかでほがらかなお人柄がまっすぐに出た好演。いい人なんだなぁ。ただ若干退屈で眠くなった。宿帳のところとか、もっと爆笑に持って行って欲しかった。舟唄はさすがにうまい。もっと別の演目を聞いてみたいな。夜の部では彼の十八番らしい「掛け取り」をやるらしい。聞いてみたかった。
仲入り後、柳家三三の「双蝶々(ふたつちょうちょう)」(上下)。
上下というのは、大ネタのネタ下ろしなので、体力気力ともに大変、ということで、構成を二部に分けたもの。その間に談春の「お楽しみ」というのが入る。
で、三三の「双蝶々」。これは良かった。人情物でちゃんと泣かせる。登場人物が多いのだが、それぞれの演じ分けが素晴らしい。特におっかさんがうまい。うまいなぁ。贔屓目もあるかもしれないが、今年で34歳にしてはうますぎる。というか、彼の弱みはその老成加減かも。老成しすぎ。ちょっと華がないのも損。でもうまい。
ただ、父親が息子のお金を受け取るに至る心理描写が描けてなかった気がする。そこは残念。
間に挟まった立川談春の「お楽しみ」は「権助魚」だった。
落語初心者としては、三三のしんみりした話の間に、しかも長吉が殺人をしでかしてしまった直後に、こういう大笑い物を挟まれるのはずいぶん興醒めなんだけど、こういうものなのかな。
談春の権助はとても良かった。でも「すぐに帰って」と旦那が言ってしまったのはネタばれで、これもミスじゃないかなぁ。なんか全体に集中力不足を感じた。
はは。また談春に厳しいや。
まぁフォローすると、彼のこのアクは、逆に年を取って枯れてくるとすごい味になると思う。いまは変にまとまらないで、ボクみたいな素人に嫌われているくらいがいいのかもしれない。逆にいまいい味が出ちゃっている三三の老年期が少し心配。落ち着いちゃわないといいなぁ。とか。素人感想。
作者:satonao
更新日:2008年12月28日 13時50分
来年の出発点
モスクワに帰った岩田守弘さん。
さみしいけど、帰ってからブログを頻繁に更新してくれているので遠くは感じない(このエントリーにはボクの名前もチラリと)。やっぱりブログって素晴らしいメディアだな、と有り難く思う。
彼はいつも要所要所でメールをくれるのだが、それがボクのさなメモに対する短信で、いつもとてもほのぼのする。
昨日のさなメモで「ゆっくりお風呂につかり」と書いたら、彼からさっそく「こんにちは佐藤さん。そうだ、お風呂だお風呂だ!!」と短いメールをもらった。ボリショイの第一ソリストに向かって言う言葉じゃないかもしれないけど、なんか可愛いww
ボクは彼からいろんなことを学ばせてもらっているが、その中の一番大きなものは「素直さ」だ。こういうメールをもらうと心底「ボクも彼みたいに素直に生きていきたい」などと思う。でもまぁボクみたいなひねくれものにはほとんど無理っぽい。これって後天的には難しいのかな。先天的に素直じゃないと無理なのだろうか…。
だったらせめて、二番目に大きく学ばせてもらっている「努力」だけはなんとかしたいと思う。彼の「努力」に少しでも追いつきたい。
彼の言葉にこんなのがある。
「世界中の35歳の中で僕ほど努力したものはいないと胸を張って言えるんだ」
一度ここで紹介したことがある言葉だが、年末で自分を振り返るこの時期、もう一度取り上げて自分への戒めにしたい。
この言葉、彼を知らない人が聞いたら誤解する言葉かもしれないけど、あそこまで素直で謙虚な彼の口から出ると本当に納得する。そして自分を振り返って思わず下を向いてしまう…。ボクは今年、世界中の47歳の中で、どのくらい努力したかな。少なくともオバマには負けたな(←比較になりません)。
素直に認めよう。
ボクは、今年、自分に与えられた環境において、自分で誇りに思えるほどの努力をしなかった。成長はした。経験も積んだ。でも「努力をしたか」と言われると胸を張れない自分がいる。
この悔恨を来年の出発点にしたい。
48歳になる来年、ボクはいままでの経験やスキルを食いつぶして生きていくのではなく、もう一度意識して青臭い「努力」をしたいと思う。本業の広告も誰よりも勉強しようと思う。文筆系もしっかり自分に向き合ってチャレンジしてみようと思う。もちろん遊びも食事もその他もろもろも。
こういう思いって、10代の頃から毎年のように誓っては挫折してきたことでもあるが、ボクにもう先はない。50歳を目前に控えて先送りしても意味がない。バレエ・ダンサー引退の年齢(38歳)を迎えた岩田さんと同じ心境。背水の陣。本当に猶予はない。最後のチャンスだと思っている。
作者:satonao
更新日:2008年12月27日 20時54分
戻すぞ!
さて、今日で仕事納め。
いつもの年越し蕎麦の店「泰明庵」が予約できなかったので、今年は違う店に。あぁ毎年あそこでワイワイ〆るのが恒例だったし楽しかったのになぁ。
12月はボリショイやドゥダメルや大阪行き、高知行きなどがあって一見派手っぽかったが、仕事は相変わらず忙しく、体調も「なんとか年末まで持たせたい!」とギリギリだった感じ。ようやく今日に辿り着けてマジうれしい。いや〜きつかった…。人生でも最高レベルにきつい一年だった…。特に秋から冬にかけて、精神的にもかなり危機っぽかった。紙一重。
年末年始はどこにも出かけず、メールでいろいろ教えていただいた健康法を実行に移し、体調を元に戻すことに専念するつもり。
毎日ゆっくりお風呂につかり、精神的にもゆったりしたい。エクササイズやプールも無理なく再開しようかと思っている。今年は1月に「明日の広告」を出してから急に多忙になり、精神的プレッシャーも強くなり、エクササイズもプールも疎かにしてしまった。体重計には毎日乗っていたので体重は増えていないが、体型がだらしなくなった。戻すぞ!
そういえば今年は読書も疎かにした。いろんな「いい習慣」がたった1年で崩れ去ってしまった。メールのお返事も溜めまくる毎日。仕事も後手後手に回った。ちゃんと続いたのはこの「さなメモ」のみかも。なぜかこれは苦もなく続く。なんでだろ。
ちなみに「いつも何分くらいかけて書いているんですか」という質問をよくいただくのでお答えしておくと、今日でだいたい10分くらい。もう少し長い文章や、そこそこ神経使ったりする内容のものは15分から20分くらい。観劇記とか長いのになると30分くらいかかってしまいますね。書く前に内容が頭の中でまとまっている場合はもっとずっと短く数分で。でもたいがいは最初の一行を書いてからダラダラと話を広げていくことが多いです。
作者:satonao
更新日:2008年12月26日 9時2分