ネコ情報
ネコを各種ブログ(Blog)から一括検索します。
トップ > 50 > 50 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年11月21日 11時)
匪賊ジャウ=ワンディの伝記
―チベット高原の一隅にて(31)―
阿部治平(中国青海省在住、日本語教師)
楽しみの少ない中国奥地では「地方誌」を読むことすら娯楽のなかに入る。「地方誌」は統一規格で編集されていて業績が主で失政はほとんど書いてない。だが『史記』紀伝体の伝統が生きていて、巻末に「列伝」がある。そこに歴史上の人物と革命家と反革命分子が登場する。革命家にはお定まりの賛辞、反革命とされた人物は罵倒される。だが、罵詈雑言にはえもいわれぬ味がある。
その悪党「列伝」に、もう何年も気にかかっていて長年の知人だったような感じの人物がいる。
加吾完徳(ジャウ=ワンディ)(1933-1961)
男、チベット族。青海省海南蔵族自治州同徳(カワスムド)県パゴ郷ジャウ村民。1958年11月、武装反乱の罪で捕らえられ投獄、判決は無期徒刑。
59年4月、看守が囚人らを付近の巴水河へ水汲みに行かせたとき、ジャウ=ワンディはタンジョンタイらとともに看守にとびかかり、殺害して武器を奪い逃走した。
彼はタンジョンタイと黄河東岸のジュブリンという山岳森林地帯に隠れ住んだ。小銃とピストルを持ち射撃は巧みで、行動は敏捷、中国語にも通じ、故郷付近はもちろん黄河最上流部や青海省都西寧にも出没した。
ジュブリンで彼らは貴南(ティカ)県紫羊場の場長と幹部一人を殺した。ただちに公安幹部など4人が討伐に向かったが、これを待ちぶせして3人を射殺し1人を負傷させた。このため解放軍部隊が出動し、銃撃をまじえたが彼らは巧みに逃走した。
2人は役人や解放軍の衣服を剥ぎとって、その後はときには役人、ときには解放軍、ときには牧民をよそおって人を欺いた。
作者:tiger21
更新日:2008年11月22日 0時0分
今なぜロバアト・オウエンなのか
あす、明治大学で没後150年記念講演会
岩垂 弘 (ジャーナリスト)
ロバアト・オウエンという人物を知っていますか。
18世紀から19世紀にかけ産業革命期のイギリスで活動した人物で、「イギリス社会主義の父」とか「協同組合運動の父」と呼ばれています。そのオウエンが死没してから今年で 150年となるところから、それを記念する講演会が11月22日(土)午後1時から、東京の明治大学リバティータワー・図書館地下1階多目的ホール(JR御茶ノ水駅下車)で開かれます。ロバアト・オウエン協会主催の「ロバアト・オウエン協会50周年記念講演会――オウエン没後 150年――」です。たまたま今年が協会発足50年にあたるところから、その記念も兼ねた講演会となりましたが、講演会の中身は「オウエンの再評価」ともいうべきものです。
鈴木俊彦著「協同組合再生の時代」(農林統計出版)によると、オウエン(1771年~1858年)はイギリス・北ウェールズ地方で生まれました。10歳の時、親元を離れ、ロンドンで少年店員として働き、19歳で小さな工場の経営者として独立しました。29歳でグラスゴーの実業家として名を知られていたダビッド・デールの娘と結婚、これが機縁となって、グラスゴーの近郊ニューラナークにあった、2000人近くの労働者が働く綿糸紡績工場を買い取り、その経営に当たります。
その後、産業革命の波に乗って大綿業主として経営手腕を振るいますが、産業革命下の労働者の悲惨な労働条件に胸を痛めます。そこで、労働者たちを絶望的な状況から救おうと決意し、ニューラナークの自らの工場を模範工場として労働条件の改善に努めます。
作者:tiger21
更新日:2008年11月21日 0時0分
小沢民主党よ、麻生と一緒に踊るな!
暴論珍説メモ(48)
田畑光永 (ジャーナリスト)
17日夕、突然、麻生首相と民主党の小沢党首との党首会談が行われた。まさかあの福田前首相との「大連立話」の再来ではあるまいとは思えども、なにしろ「ボス交」の好きな小沢氏のこと、一抹の危惧を感じさせたが、結局、第二次補正予算案を早く国会に提出せよとの申し入れであった。
もっともそれは早期解散に追い込もうとの戦略が、麻生首相の逃げの一手にかわされ続け、年末解散・正月選挙という一縷の望みも「解散先送り示唆」の14日ワシントンでの麻生発言によって絶たれたゆえの、国会で強硬戦術に転換するための儀式であったようだ。
確かに「政局より政策」「政治に空白を作れない」というもっともらしい口実で、政権の正統性を問う選挙を先送りした麻生内閣が緊急経済対策という看板で打ち上げたものを実施するための補正予算案を開会中の国会に出さないというのは話がおかしい。しかし、麻生首相の答えは「今、やっているところだから何とも言えない」というものであった。
この答えで十分ではなかったか。麻生という人、それに麻生内閣の内実のいい加減さはあの定額給付金の一件で天下に明らかになった。だから「何とも言えない」はおそらく正直なところだろう。国民は「そうだろうな、この内閣では」と納得するはずだ。
ところが小沢氏は「それならこちらも」とインド洋での「給油延長法案」と金融機関への公的資金注入のための「金融機能強化法案」の採決を先延ばしするという戦術に出た。これまで解散させるために審議に協力してきた(この戦術そのものが奇妙なのだが、それはこの際措く)のに、解散しないならこちらも報復として参議院で寝るというわけだが、このもって行き方にはいかにも無理がある。「補正予算とこれら二法案は別の話だ。それを絡めるのは筋が通らない」という麻生側の言分のほうがそれこそ筋が通っている。
作者:tiger21
更新日:2008年11月20日 0時0分
留守児童 出稼ぎの両親不在、2000万の子供たちは・・・
こんな「言葉」が!(31)中国で
丹藤佳紀 (早大講師)
両親のいない留守を預かる子供たちである。ただ、両親の「不在」は、故郷の家に子供を残して都市に出稼ぎに行ったためだから、普通、かなり長期にわたる。出稼ぎの問題は仕事や身分が不安定なことや待遇が低水準であること、市民の権利が与えられないなどいろいろな角度から取り上げられているが、「留守児童」のことはあまり知られていない。
「盲流」から「農民工」へ
収入の乏しい農村部の農民が、現金収入を求めて都市に行く出稼ぎは、農民を農地に縛りつけていた人民公社の解体と時期を同じくして1982年ごろから始まった。いい仕事口があるという不確かな情報を頼りに都市に押しかける農民が多かったことから、「盲目的流動」を短縮して「盲流」と呼ばれた。
しかし、天安門事件(1989年)を経た中国で、90年代に高度成長が始まると沿海部の都市で労働力需要が高まり、都市勤労者の嫌がる単純労働や“3K労働”の引き受け手としても出稼ぎ農民が認められるようになり、出稼ぎが常態になった。
たとえば、この春、大地震のあった四川省を例にとると、重慶市が北京・上海・天津に次ぐ直轄市として分離されるまでは全省で約1億1000万人という、日本の総人口に近い人口を擁していた。
他方、内陸部にあって産業が立ち遅れていたため、雇用吸収力が低く、仕事を求める農民は大挙して広東省などの都市に押しかけた。それに「川軍」(四川軍団)のあだ名が付けられたほどだ。
しかし、その出稼ぎ農民の故郷にもたらす現金収入は農村部の所得向上に一役買っており、四川省の場合、「年間100億元以上の現金」(『中国年鑑』2007年版)がもたらされたという。こうしたメリットが認められ、90年代、「盲流」ではなく「(農)民工」と呼ばれるようになった。
作者:tiger21
更新日:2008年11月19日 0時0分
アクセント
ことば (38) 日本語のアクセント
松野町夫 (翻訳家)
日本語のアクセントはやっかいだ。東京に通算で30数年も生活しているというのに、私はいまだにアクセントで迷う。寿司屋でカウンターに座って刺身を注文する際、たとえば、「あじ」や「さば」がほしいとき、アクセントで戸惑ってしまう。鯵(あじ)は「あじ」と「あ」を高く発音しなければならない。アクセントをつけずに「あじ」とフラットに発音すると味(あじ)になる。鯵(あじ)や味(あじ)、橋(はし)や箸(はし)、端(はし)など、同音異義語はアクセントで区別する場合が多い。おー、恐ろしや、複雑怪奇な世界。
まぐろ、はまち、とろ、あじ、さば、こはだ、いくら、うに、あかがい、うなぎ、あなご、あわび、いか、たこ、あまえび、しゃこ、かずのこ…など、それぞれにアクセントがある。とても頭では覚えきれない。アクセントはまさに、「習うより慣れよ」の世界だ。本当は「あじ」を食べたいのに、アクセントに自信がなくて「こはだ」を注文したなどと、地方出身者なら誰でも一度は経験する話だ。この手の苦労は東京やその周辺で生まれ育った人にはわからない。
何せ、東京語のアクセントには、頭高(あたまだか)、中高(なかだか)、尾高(おだか)、平板(へいばん)の4種類の型があり、単語によってそれぞれ異なるのである。
頭高型: 「あじ」、「とろ」、「うに」、「たこ」、「あわび」、「しゃこ」、箸(はし)
中高型: 「あかがい」、「あまえび」
尾高型: 「なまこ」、橋(はし)
平板型: 「まぐろ」、「はまち」、「さば」、「いか」、「うなぎ」、「こはだ」、「あなご」、「かずのこ」、味(あじ)、端(はし)
田舎から東京に出て来ると、まず面食らうのが東京語のアクセント。そのパターンの多様性に驚く。ちなみに、私の田舎は鹿児島県鹿屋市吾平町(かのやし・あいらちょう)。鹿児島弁には多様性どころか、どうもアクセントそのものがないような気がする(あるいは平板調のアクセントのみ)。ただし、アクセントについて、特に方言のアクセントについては、正式に学習したことがないので間違っているかもしれない。しかし、ここに記述したこと(文章)をためしに鹿児島弁で読んでみたら、すべての語を起伏のない平板調のアクセントで読んでいる自分に気づいた。頭高は皆無。たぶん尾高型か平板型のどちらかだと思うが、判断に迷う。どちらの型も単語レベルでは起伏がなく区別できないが、助詞(てにをは)を補足すると違いがわかる。ひょっとしたら、鹿児島弁はどうも、尾高型が圧倒的に多いのかもしれない。
作者:tiger21
更新日:2008年11月18日 0時0分
具体策皆無のG20金融サミット
―こんなことは1年前から分かっている―
半澤健市 (元金融機関勤務)
11月16日(日本時間)に発表されたG20金融サミット宣言とブッシュ議長(米大統領)の記者会見を読んだ。その感想を書く。
《G20金融サミットでなにが決まったのか》
米金融帝国主義が壊滅の危機に瀕しBRICsにまで深刻な影響を与えている。「世界恐慌08」の対策会議に、20カ国もの参加と合意が成立するのだろうかの懸念は幸い回避された。
ブッシュはそれを「3週間前には想像できなかったG20が成功裏に終わった」と誇らしげに語っている(I don't think we could have predicted then how productive and how successful this meeting would have been)。しかし米ドルは依然基軸通貨である。命の次に大事なカネの行方を論ずる会議にブッシュが嫌いというだけで欠席するわけにはゆかないだろう。
今次サミット宣言の要点をつづめて言えば次の5点である。
①危機の根本原因
市場参加者のリスクを適正に評価しなかった、脆弱な証券引受基準、不健全なリスク管理、複雑な金融商品、過度なレバレッジがシステム危機につながった。いくつかの先進国では政策・規制当局がリスクを適切に評価せず金融技術についていけなかった。これは「要するにバブルだった」ということである。
②とるべき措置
あらゆる追加的措置、金融財政支援、途上国への資金援助、世銀・IMF体制への十分な資金供給。要するに国内外における財政金融政策の発動である。
③規制強化による金融市場の改革
金融商品の透明性を強化、全ての金融市場・商品・参加者を監督と規制の対象とすること、格付け機関への監督強化、公正性の強化、国際連携の強化、途上国・新興国の発言権強化を含む国際金融機関の改革。要するに、毒入り饅頭的金融商品を売らせない措置であり途上国の発言権強化への転換である。
④財務相と専門家への宿題
09年3月までに行動計画と具体的提言を策定、ブラジル、英国、韓国が世話役となって財務大臣が決める。その提案を基礎に09年4月までに再度サミットを開催する。要するに政策各論の明細とタイムテーブルを三カ国を「幹事」で決めようということだ。
⑤開放経済へのコミットメント
保護主義の徹底的な否定。要するに29年恐慌の再現を防ごうというのである。
作者:tiger21
更新日:2008年11月17日 0時0分
ミステリー作家の解き明かす「本能寺の変」の明智光秀像
〔書評〕真保裕一著『覇王の番人』(上下)(講談社、各¥1785)
雨宮由希夫 (書評家)
'91年、『連鎖』で第37回江戸川乱歩賞を受賞し鮮烈なデビューを果たしたミステリー作家・真保裕一が初めて挑んだ歴史時代小説である。
真保裕一は、「後記」で書いている。
ずっと疑問でならなかった。ある歴史小説では、光秀の描かれ方が、実に凡庸な愚将扱いされていた。真面目だけが取柄で信長に散々こき使われた挙句、後先もろくに考えず謀反に走るような男がどうして織田家中で秀吉と並ぶ武将であったというのか。主君の命を奪うことが本当にできたのだろうかと。『太閤記』などの軍記物によるねじまげられた事実の上に則って、近代の歴史小説家も、自分なりの物語を書いてきたといえよう。
本能寺の変には、どうも謀略の匂いがしてならない。この物語を書き終えた今、私は確信している。明智光秀こそが、実は戦国時代を終わらせた真の武将なのだ、と。
物語の時代背景は「徳川様の世」。とある「山深き末寺」に、「若いお武家様」が、光秀ゆかりの小平太を訪ね来るという舞台装置である。末寺の僧侶こそ、かつて光秀を慕い影のように支えた忍びの小平太であるに違いないと思っている「若いお武家様」の正体は、物語のエンドまで明かされることはないが細川家ゆかりの者であるらしい。山崎の合戦後の光秀や細川ガラシャと深いかかわりを持つ小平太のサブストーリーが実在の歴史と絶妙に組み合わさって、『太閤記』や『信長公記』とはまったく異なる「戦国時代」が描叙されていく。
作者:tiger21
更新日:2008年11月16日 0時0分
オバマ政権は中東政策をチェンジできるか
親イスラエルの米世論の中で
伊藤力司 (ジャーナリスト)
バラク・オバマ氏が米大統領選挙で圧勝したことを、イスラエルを除く世界中の国々が歓迎した。オバマ次期政権が悪評高いブッシュ政権の政策を変えてくれるだろうと期待したからである。ただしイスラエルの有力紙イディオト・アハロノトは、イラン大統領との対話を主張するオバマ氏の登場に危惧の念を表明した。一貫してイスラエル贔屓の姿勢をとり続けてきた米国の中東政策が変わるとしたら大変だからだ。しかし投票日から2日後、オバマ氏がラーム・エマニュエル(Rahm Emanuel)下院議員(48)を次期大統領首席補佐官に指名したとたん、イスラエルには安堵の空気が流れ、メディアは「われわれの仲間がホワイトハウスに」と一斉に報じたという。
エマニュエル氏はイスラエルから移民したユダヤ系の家庭に生まれたシカゴの政治家で、クリントン政権時代にホワイトハウスのスタッフを勤めた後、2002年から下院議員に連続4回当選、今では下院民主党ナンバー4の地位にある実力者。同じシカゴを地盤として04年上院に初当選したオバマ氏と親しく、ホワイトハウスの“事務総長”とも言うべき首席補佐官として、オバマ政権を取り仕切るわけだ。エマニュエル氏は1990年の湾岸戦争時に、イラクからミサイル攻撃を受けたイスラエルの軍事基地に飛んで、市民ボランティア活動をした経験があり、イスラエルを同胞視している人物という。
旧フセイン政権下のイラクはイスラエルにとって最大の脅威だったから、フセイン政権征伐のためにイラクに侵攻したブッシュ大統領はイスラエルにとっては最大の恩人である。オバマ氏は米上院で当初からイラク戦争に反対し、それを売り物にブッシュ大統領を批判して大統領選挙を勝ち抜いてきた。フセイン亡き後、イスラエルにとって最大の脅威となったイランを「悪の枢軸」と呼んだブッシュ大統領は頼りになる味方だが、「イスラエル抹殺」を叫んだというアハマディネジャド・イラン大統領と、前提条件なして対話することを排除しないというオバマ氏の登場は心配の種だった。
作者:tiger21
更新日:2008年11月15日 0時0分
黒澤明全作品30作の放映(26) 『どですかでん』(1970年)
―なぜ教養主義と訣別したのか―
半澤健市 (元金融機関勤務)
■『どですかでん』は08年11月15日(土)午後9時からNHK・BS2で放映されます■
《山本周五郎原作のもたらした感動』》
『どですかでん』の原作は、山本周五郎の新聞連載小説『季節のない街』である。
山本は東京下町のスラム街の住人たちの貧しく愚かしく哀しく、しかし人情味のある生活を15の短編で綴った。原作の15編から黒澤、小国、橋本の脚本家が次の8つを選んだ。
電車馬鹿の少年六ちゃん母子(菅井きん、頭師佳孝)の生活、恐妻家島さん夫婦(伴淳三郎と丹下キヨ子)と会社の同僚の物語、二組の若い夫婦(井川比佐志ら)の夫婦交換、家の建築計画に蘊蓄を傾ける乞食(三谷昇)親子の悲劇、妻(奈良岡朋子)の不貞で人間不信になった男(芥川比呂志)の話、5人の子供の父親が全部違うといわれても笑いとばすブラシ職人(南伸介)の人生観、伯父(松村達雄)に乱暴された娘が好きな少年に切りつける話、人生に達観した彫金職人(渡辺篤)が自殺志望者(藤原釜足)、泥棒、ヤクザ(ジェリー藤尾)と向きあった話。こういう登場人物が、小市民的モラルからは相当に外れた倫理観をもって行動するのである。これまでの黒澤作品では『どん底』に共通するところが多いだろう。
私は、『どですかでん』を71年(70年末に先行公開。一般公開は71年初)の公開時に見たが記憶がほとんどない。私は今度、まず『季節のない街』を読んだ。そしてその魅力にすっかりはまった。山本周五郎は原作の「あとがき」で次のようにいっている。
▼私はこれらの人たち〈小説の登場人物〉に、もっとも人間らしい人間性を感じるのは、その日のかてを得るため、いつもぎりぎりの生活に追われているから、虚飾で人の目をくらましたり自分を偽ったり暇も金もない、ありのままの自分をさらけだしている、というところにあると思う、――・・かれらにも虚栄心があり、みえもあり、嫉妬や誹謗や貪欲などもある。しかしそれらは、いかにも底が浅く単純なので、すぐにみすかされてしまうし、逆効果をまねく場合が多いようで、そんなところにも人間の弱さやかなしさが率直にあらわれるのである。・・これらの人たちは過去のものであるが、現在もなお、読者のすぐ身ぢかにあって、同じような失意や絶望、悲しみや諦めに日を送っている人たちがある、ということを訴えたいのである。
全くこの通りだ。作者の言葉をそのまま引用するのは芸がないが、私はこれに付け加えるものは何もない。山本文学の精髄がここにあるとさえ思う。そのあと私はDVDを見たのである。前説が長くなりすぎた。さて『どですかでん』である。
作者:tiger21
更新日:2008年11月14日 0時0分
八ヶ岳山麓の四季 18
小口隆三
秋晴れが続き、大気中の湿度が低くなり空気が澄んでくると、雪を冠った遠くの山々がよく見えるようになります。今回は視野を少し遠くへ広げて入笠山(1955m)山域から北アルプスの山々を眺め、また戻して八ヶ岳を眺めました。いずれも日本百名山に名を連ねている山々です。入笠山は日本中部の有名山岳を一望できるところとしても知られています。
「晩秋の山々遠望」

写真①は北アルプス穂高連峰を、入笠山にある牧場越しに眺めたものです。穂高連峰は国内屈指の名峰で、主峰・奥穂高岳(3190m)は日本第三の高山(写真の真ん中)。撮影場所からの直線距離は65km前後。穂高連峰の右の端の方には、よく見ると槍ヶ岳(3180m)の姿も写っています。

写真②は白樺林越しに眺めた後立山連峰。撮影場所からの直線距離は90km前後で、これだけはっきり見えたのは幸運でした。後立山連峰には鹿島槍ヶ岳(2889m)、五竜岳(2814m)、白馬岳(2932m)など、山好きの人にはよく知られた山々が連なっていて、稜線は長野県、富山県、新潟県の県境になっています。
作者:tiger21
更新日:2008年11月13日 0時0分