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トップ > it > it - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月4日 12時)

世相を表す流行語が表してしまった。

今年の流行語大賞は『アラフォー』と『グ〜』らしい。
今年はそんなにブルボンのチョコレート菓子が流行ったのかと思いきや、
あれは“アルフォート”でした。

念のために言っておくが、僕は最初、本気でそう思った。(おやじギャグじゃない。)
それくらい、このアラフォーという言葉は聞いた事がないんやけども、
意味は《セレブな40歳前後の女性(around 40)》という事らしい。
ちなみにセレブの語源である“celebrity”は著名という意味で、金持ちという意味ではない。

しかしここで言うアラフォーとは、著名な40歳という意味ではなく
【活き活きと生きるセレブな(金持ちでリッチな)40前後の女性に憧れる、またはそうなりたいと願う】といった感じの意味で流行語となったみたいや。
・・・みんな不況なんやなぁ。バブルよもう一度って事?


そしてもう一つが『グ〜』。
これは知ってる。
エドはるみさんのギャグ。

とりあえず、現在進行形か名詞形に変えて、語尾を伸ばしちまえ!



流行語は世相を反映していると言われている。
もしも本当にそうなんやとしたら、世間は
金持ちでリッチな生活に憧れる反面、とりあえず何にでも『グ〜(good!)』を付けて、嫌な事があっても何となく前向きに行きましょうや、
・・・といった感じになっているという事なんやろうか?

これに対して、拝金主義とことなかれ主義を感じてしまうのは
僕だけやろうか?

“農業”とか“アナログ”とか、来ないなぁ。
ま、一時のブームやねんから来なくていいんやけど。



全然興味のない事について書いてみたら、
こんな薄っぺらな短い日記になってしまった。
しかも目に見える文章の減速具合。
たまにはいいか。




作者:GO

更新日:2008年12月3日 5時52分

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私、本当に怒りますよ。

僕は2階建てのハイツに住んでいる。
数部屋ほどの2階建てハイツが2棟、向かい合わせで建っているんやけれども、
その間にちょっとしたスペースがあって、
布団を干したり、子供達が遊ぶ場になっている。

そこでは毎日のように子供達が楽しそうに遊んでいる。
住んでいる部屋の真ん前にある広場やし、今のこの時代、
そこなら親は安心して遊ばせておける。

さて、その子供達。
毎日のように大声で叫び、喚き、ドンチャン騒ぎで遊びまくっている。
これは僕は全然構わない。元気でええと思っている。
近所迷惑についてはその内に学んでいってくれるハズやし、
ちょっとくらい元気過ぎて、五月蝿いくらいが丁度いい。

そして何故か、毎日泣かされて喚き倒す子供がいる。
これについて僕はなんの問題も感じていない。
嫌な事をされて、我慢できなくなったら泣いてしまう。
毎日泣かされてばかりでないで、たまには反撃の一つでも食らわせんかい、
と、内心応援しているくらいで、まったく気にならない。

しかし、許しがたい行為が一つある。

それは、凄まじい勢いで僕の住んでいる部屋の壁に飛んでくるボールや。
野球にせよ、ドッジボールにせよ、ちょっとしたスペースでやる遊びではない。
窓ガラスに当たったり、傘立てにあたったり、もしも人様のものを壊してしまったら大変やし、壁に当たった時の音には毎回ビックリする。
家の犬が怒って吠えまくっているが、吠えるのを止める気になれない。

さすがに気付いてくれるやろう・・・と思い、1回2回は仕方ないと思っていたが、3回、4回、5回、6回と壁にぶち当てられる度に、
「ちょっと待て、やっぱ子供は分からんか?」
という気持ちになり、今までに2度ほど注意してきた事がある。

本来なら親が教えるべき事なんやろうけども、近所の大人が
教えられる事があれば教えてやらねばなるまい。

そこで、“近所迷惑”について子供達に説明と注意をした訳や。
1回、2回では理解できないかもしれないけれど、分かってくれるまで
説明するべきだと腹を決めていた。



今日、このネタを日記に書こうと決めたのは、
それを越える衝撃的な事が起こったからである。

なんと子供達の親が一緒になってボール遊びをしている!!
しかも、壁にバンバン当たってきているのに、注意の一つもしていない!!
一体、これはどういう事や!?

親が一緒なら、公園に行きなさい。
一番の教育者である親が、近所迷惑の一つも考慮できないようでは
お話にならない。

僕は小さい頃、何度か夜遅くに親と出かけたことがある。
そんな時、僕が少しでも大きな声を出そうものなら
父親がすぐに叱った。
ちょっとくらいいいやんか、と思ったが、
父はそれを許さなかった。


今回はなにかの間違いだったと思いたい。
しかし、次回は話をしようと思う。
年下にこんな初歩的な事を話されるのは嫌だと思うが、
何も言わずに“黙認”というメッセージを伝えてしまう訳にはいかない。

小さな子供が人様に迷惑をかける事に対して、怒るつもりなど全く無い。
しかし大人が、ましてや親がそれを制止しない事に対して、
僕は本気で怒る。

作者:GO

更新日:2008年11月30日 14時40分

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言葉と音

なにやら最近、『泣ける歌』が流行っているらしい。
知らなかったぞい。
みんなこの不況と閉塞感の中、いい話や悲しい話を背景にした音楽で
涙を流したいんやろうか?

僕は最近、涙もろい。歳か。不況か。
親子ものには特に弱い。(なぜか恋愛ものでは一切泣かない。)
そんなところにいい雰囲気の音楽が流れたら一撃で涙を流してしまう。
そして、一度流れ出したら止まらない。
たとえ隣で猫がトイレをしていても、
その悪臭が襲い掛かってきても、しばらく泣きっぱなし。

嗚呼、我が涙腺。
いつからお前さんはそんなに緩くなってしもたんや?



しかし、この『いい話や悲しい話を背景に聞かせる音楽』は
音楽そのものが持っているエネルギーを削いでしまう。
かつて僕は、そういうやり方は音楽をバカにしてるんじゃないか、
とまで思っていた程や。
主役をストーリーに置くならまだしも、音楽を主役にするなら
わざわざ感動的な話を用意する必要なんて無い。

たとえばクラシック音楽の中には、聴くだけで涙が溢れてしまうような曲が沢山ある。
有名な曲を挙げると、『惑星(木星)』、『ローマの松(アッピア街道の松)』、『パッヘルベルのカノン』、『シバの女王ベルキス』、『月光』、
『G線上のアリア』・・・などなど、キリがない。

歌詞も無ければ、いい話も悲しい話も無い。
ただただ、音のみ。
それだけで、激しく心が揺さぶられて涙が流れる。
これぞ音楽やと思う。


現代の音楽は、これに歌詞を重ねる。
それによって、もっと具体的なイメージが伝わるようになるし、
良くも悪くも分かりやすくなる。
しかし同時に、これまた良くも悪くもやけれど、言葉による制限を受ける。

音だけの方が自由度が高い。
楽器特有の音色や、フレーズの運び方、音の強さや形によってイメージを伝えようとする音楽は受け取る側のイメージを自由に膨らませるし、
その膨らませ方は、ある特定の状況や具体的な物語ではなく、
抽象的な感情の膨らみであることが多いように思う。

歌詞はこれを制限する。
ここが歌詞と音楽の融合で一番難しく、一番やりがいがあって、一番楽しい部分でもある訳や。
訳の分からん、個人の日記のような歌詞を乗せている音楽や、
とにかく言葉を乗せまくっているラップ音楽は、この辺を突き詰めないと
消えてしまうと思う。
理由は、時代が変わって環境が変われば、意味が通じなくなるから。

ましてや、いい話や悲しい話を用意しないと感情を揺さぶれないような音楽は、価値観が変わった時に一体どうするつもりなんやろうか?
未来に残せない音楽を作るというのは、ハッキリ言って使い捨てのカイロ以下やと思う。
それは音楽家やミュージシャンではなくて、ただの趣味と違うやろうか?

100年、200年と時が流れても、その時代の評価に耐え、
人々に感動と勇気、希望を与える音楽。
1000年、2000年と時が流れても人々に愛され続ける民族音楽。

それに対して、1年、2年で名前も忘れ去られてしまうような音楽。

どちらを見据えて曲を書きますか?
芸術家の真髄はここにあると思う。



ちなみに・・・
ストーリーを主役にして音楽を使うなら、
ボケ全開の漫才やコントの背景に、『亡き女王のためのパヴァーヌ』のような、ごりごりレクイエムを流してみたりする方がまだ面白そうや。

作者:GO

更新日:2008年11月29日 6時38分

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もうシンプルに行きましょうよ。

『バリアフリー』はみんなが平等になれるチャンスだよ。

・・・と、部屋のカレンダーに書いてあった。
なんで今まで気が付かなかったのか・・・。
もらい物のカレンダーやから有り難く使わせて頂いていたが、
このフレーズを見てひっくり返った。

思わず、どこが作ったカレンダーなのか見てしまいました。
とある障害を持つ方を支援している民間団体でした。



バリアフリーはええと思う。
部屋と廊下の境目の段差をなくしたり、スロープを付けたり、
別にそれで困る人もおらんやろうし、
使いにくくて困っている方々の為に知恵を絞って
何とかしてあげようというのは、とてもいい事や。

弱者権利はいかがなものかと思うが、
弱者のために何とかしてあげようという精神は、決して悪くない。
そもそも、障害者=弱者という表現自体がどうかと思うけど。


ただ、無理矢理“平等”に持っていかんでもええやろう。
同じ人間ではあるけれど、足が動かない人間と、足が動く人間と、
明らかに平等ではないし、また、どちらが良い悪いの話でもない。

ただ単純に、使いにくいんやったら使いやすいように、
煩わしいなら、少しでも快適に、
それだけでええやないか。


平等というのは、障害を持つが故に云々・・・
というのを全てなくしてしまって良い、という性格を併せ持つ。
税金や運賃などの経済負担は軽減してあげるけど、平等やねん。
な〜んて虫のいい話は成り立たない。
はっきり言って、危険な言葉や。

別に不平等でええんと違いますか?
違いがあって、不平等であるが故に
思いやりや優しさ、理解しようとする思考が生まれるんと違いますか?

もちろん、不平等であるが故の危険や不幸もたくさんあるとは思う。
でも、危険や不幸は何もなく、優しさや思いやりだけ頂戴よ、
って、それは難しい。



違いがある。
不平等である。
それで困っている人がいる。
だから助ける。

それでええと思う。

本当に平等にしたいなら、ライン生産で全く同じ人間を大量生産せにゃイカンな。

作者:GO

更新日:2008年11月27日 7時6分

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当然の疑問

なんで最近の歌手って歌が下手なのでしょうか?

いや、まぁね、もちろん中には“下手が売り”の歌手も
何人かくらいは居てもいいとは思う。
もうちょっと言うと、『何がしたいのか?何を伝えたいのか?』
という気持ちが強くて、表現者としての魂を持っているのなら
歌がちょっと下手でも全然いいんやけれども、
限度が・・・あるわな。

たまに音楽関係のテレビを見ると、ほぼ間違いなく
ちゃんと練習してはるんやろうか?という疑問を持ってしまう歌手が
映っておる訳でして、視聴率やなんやと音楽以外の要素が絡んでしまって
ある程度は仕方ないとコチラも諦めてはおるけれど、
本当にしっかりと努力されていて、歌が上手で熱い魂を持つ歌手の方々が
もっとテレビに出てもいいんじゃないか、という
ごく当たり前の疑問があるのですよ。

でないと、本当に2011年からテレビなしの生活を選択しそう。



そんな事を考えていると、『歌が下手で、とても人様に聞かせられたモンじゃない!』・・・と、口パクでやっている歌手の方が、まだ健全な感覚を
持っているように思えてきてしまった。

メジャーデビューを果たしても、会社が歌手としての生命線である
“歌の上達”にお金をかけられない、という現状にも問題があると思う。

ボイストレーニングに自腹で通わないといけなかったり、
芸術家として重要な“インプット”が、過密スケジュールのために
満足にできず、ひたすらアウトプットの連続で干からびてしまったりする。

僕は株に一切の興味がないんやけれど、こういう状態を何とかする為に
株を買って投資する、っていうのは手段の一つになると思う。
別に株じゃなくたって、CDを買ったり・・・、
最近はダウンロードが主流やから、違法なコピーで曲を聴くんじゃなくて、
どうせ1曲300円くらいやねんから、ちゃんとお金払ってダウンロードすれば、歌手のために流れるお金は増えるやろう。

ただ、お金を流しまくるとハングリー精神がなくなってしまって、
いい曲が書けなくなったり、いい歌が歌えなくなってしまう心配があるから、
ライブに足を運ぶのが一番いいんやろうな。

どんな歌手にとっても、ライブはやっぱり別モノやと思う。
お金を払ってわざわざ聴きに来てくれている、という気持ちになるし、
当然、下手なステージを見せる訳にはいかない。

そして、ライブが主な収入源になってきたら
上達を意識せずに歌手生命を維持する事はできなくなると思う。


う〜ん、もしかしたら本当に実力のある歌手は、
あまりテレビに出ないでライブ活動をしているのかもしれない。
代表的なのはB'z。彼等はほとんどテレビに出ないし、
インプットの重要さもよく理解されている。


テレビは、その主な収入源である広告料金をネットに奪われていっていて
大物歌手を番組に呼ぶだけの財力がないのかもしれない。
その結果として、何だかどうしていいのか分からない歌手が
よく映ってしまっているだけなのかも。

あぁ、そうか。
最近の歌手=テレビでよく見る歌手、
っていう僕の考え方がそもそもの間違いって事か。

アンテナ立てていても、テレビやラジオじゃ全然受信できないしなぁ。
相当に感度のいいアンテナを立てていないとダメな時代なんですな。

作者:GO

更新日:2008年11月25日 5時51分

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オラが町の警察官

僕は毎日2回、警察署に通っている。
・・・って書くと、何だかいけない事をした人と思われそうやけど、
副業で新聞配達をしているからです。
(収入ベースやと本業になっちゃうかも。)

朝は、僕の暮らす町にある一番大きな警察署。
夕方は、本当に家の近くにある派出所へ配達しに行っている。


警察というと、『事件にならないと動いてくれない。』
『月末に原チャを取り締まりすぎ。』
『権力争いや、金銭問題で不祥事ばっかり。』
といったネガティブなイメージが、少なからずあると思う。

逆に警察からしてみれば、『阿呆な110番通報が多い。』
といった思いがあるんじゃないかと思う。
これから家族旅行やから、ウチの犬の世話しててくれ!
・・・って110番で言われてもね。

僕はそんな意味不明な110番通報をした事はないけれど、
警察に対して、ホンマに大丈夫なんかいな?という不安はあった訳です。
しかし、毎日毎日警察の方と顔を合わせているうちに、
そんなネガティブなイメージがどんどん変わっていっている。

さすがに毎日、特に朝は月に1回の休刊日を除いて毎朝顔を合わせるので、
お互いに顔も覚え、町で会えば、警察官の方が何かの取り締まりの最中でも挨拶を交わす事がある。

そんな積み重ねで、やっぱり多くの警察官の方は真面目に仕事をされているし、その仕事によってこの町は守られているんやなぁ、と思うようになった。
直接お世話になった訳ではないけれど、感謝と尊敬の意を抱いているのです。

それが原因で、警察官の方と面と向かって挨拶をする時、
以前にも増して緊張するようになった。
親しみが湧くにつれて緊張が増すというのは健康的やと思うけれども、
彼ら警察官の仕事が仕事だけに、何だかとても緊張するようになった。

だからこそ非常に残念に思う事があるんやけれども、
朝、新聞を届けに警察署に入った時、あくびをされる警察官の方がおられる。
朝は眠い。しかも3時とか4時は相当に眠いと思う。
眠けりゃあくびのひとつやふたつ、人間ならしてしまって当然や。

僕が以前と、その更に以前に努めていた会社の方々なら知っていると思うが、僕はよくあくびをするし、あくびだけならまだ可愛いもので、
居眠りをしてしまう事もあった。
そんな僕が言っても、説得力など皆無やとは思うけれど、
せめて一般庶民が警察署の中にいる時くらいは我慢して頂きたいと思う。

こちらはとても緊張しています。
そして、緊張したまま警察署から出たいのです。

作者:GO

更新日:2008年11月24日 6時6分

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円高還元セールって本当?

ドライヤーを買いました。

いつから使っているのか分からないドライヤーで、
そろそろ現役引退させてあげますか、という事なんやけれども、
ちょうど『円高還元セール』という事でチラシが入っていたという理由もある。

この『円高還元セール』なんやけど、本当なのかしら?
家電などの製品がどのようなルールで仕入れられているのか
詳しく知らないから断言はできないんやけども、
数ヶ月前に決済が終わっているんじゃないやろうか?

それに、円高はしばらく続くという見通しがあるけれど、
あくまで“見通し”でしかない。
円安になったら今度は値上げになるんやろうか?

他にも疑問がたくさんある。

輸入商品だけじゃなくて、国内メーカーの商品も値下がりしている。
これは海外に工場を持っていたり、原料を輸入する際のコストが下がったからなんやろうけど、原料ってほとんど石油の事でしょう?
原油価格はピーク時の半分くらいに下がっているんやから、
それなら『原油価格下落セール』よね。
でも、大々的にアピールしている環境への負荷はどうでもええんかいな?


価格が下がる事はええ事という風に考えられがちや。
電気、ガス、水道といった生活インフラの価格が上がり、
ボーナスがカットされてしまうかもしれなかったり、
給料自体がカットされてしまうかもしれなかったり・・・
家庭のお財布事情を考えるとと、値下げは確かに嬉しい。

でも、拝金主義、薄利多売、大量生産、大量消費でここまでやってきて、
それを維持しようとするからしんどい、という側面もあるんじゃないやろうか?

買ったものを長く使えるように手入れしたり、
本当に必要なのかじっくり検討したり、
モノを大切にする、という日本の文化を思うと
価格が上がっているというのは、よく考える為のええ機会なんとちゃうかな。

食料品にしても、BSE、農薬混入、産地偽装、などなどの問題が相次いで起こり、食べ物についてじっくり考える機会が何度もあったのに、
『円高還元セール』でそれが先延ばしになっちゃうのは、かえって危険やと思う。

企業側としては倒産するわけにはいかないし、僕も国内企業が倒産して欲しいなんて思わないし、むしろ海外企業の進出を許さないくらいの強さを持っていて欲しいと思っている。

その為に生き残る手段として、“円高”だとか、“原油価格”だとか、
海外の影響を受けて浮き沈みするような要素にはできる限り寄りかかって欲しくない。

今の円高って、サブプライム問題やリーマンブラザーズ破綻をきっかけに、
相対的に日本の信用が上がっているだけやと思う。
日本が努力して円の信用を上げたから円高になっている訳じゃないよな。
そんなのに寄りかかった還元セールって、企業努力は関係してないって事になるんじゃないの?


ちなみに、この円高還元セールは“ブーム”になっているらしい。
棚からボタ餅をブームにしたらマズイって。
しかもボタ餅なのかどうかも分からないのに。

作者:GO

更新日:2008年11月23日 5時32分

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レコード

最近、音楽を聴くための道具がどんどんアナログ化していっている。
世間じゃなく、僕が。

今、ちょっと買っちゃおうかなぁ、と思っているのは
レコードプレーヤー。
新品がいいのか、古いほうが味があるのか、
ハードについてはいろいろ調べている最中やけど、
レコード盤については古い方が味があっていい。

特にUKモノラル版なんてのは味がある。
劣化してノイズが入るのもいい感じ。


録音する技術は『いかにキレイに録るか?』という方向性で
やってきたと思う。
その時に邪魔になってきたのが“空気”の存在で、
だからライン録りという空気を極力介さない録音方法が
開発されてきた。

そういった、記録としての音源ではなく、
作品としての音源はそれでいいんやろうけど、
もっと空気の響きを大切にした作品が現れてもいいのになぁ、
と最近よく思う。

例えばCDは、ある一定数以上の周波数をカットしてしまう。
人間の声には(って言うか、音には)倍音があって、
ひとつの音程を鳴らしているつもりでも、実際には
他の音程の音も同時に鳴っていて、これが音色を左右している。

その中には人間の耳には聴こえない音も含まれているけれど、
たとえ耳に聴こえなくても、骨が振動したり、
別の部分で人間はその音を感じている。
これが心を揺さぶったり、震わせたりする。

そういう音がカットされてしまったCDっていうのは、
なんだか純度が高くて整理された音に聴こえるから
耳障りは決して悪くないんだけど、ちょっと物足りない。

やっぱり空気感が欲しい。

作品を作るにあたってのスタジオの雰囲気や、
パンチインできない緊張感、マルチじゃないからバランス調整も
その場でやらにゃいかん。
そんな空気感も、それはそれで“作品”としての価値があるやろう。


レコード会社にしてみれば、最初っからデジタルで処理しておいた方が
なにかと都合がいいんやろうとは思う。
CDよりもダウンロード販売が主流になってきているし。

それに下手なアイドル歌手でも、デジタルなら
修正や加工がいくらでもできて、それなりに売れるものが作れる。
そうでもしないと利益があがらないという側面もあるやろう。
音楽も、雨後のたけのこのように新人が現れ、なおかつ薄利多売の時代やから。

でも、プロが、プロの音で、プロならではの雰囲気の中、
一発録りしたレコードっちゅうのは、それはそれは価値のあるものや。
昔はそれが手の届く値段で手に入れることができた。

そう考えると、今の音楽ってどんどんファーストフード化してる。
iPodや携帯プレーヤなどで、自分の好きな音楽をたくさん聴けるから
いいじゃねぇか、という良い面もあるけど、
それなら、仕事歌や子守唄など、もっともっと身近な音楽がたくさんあったはず。

新しいものがダメって訳じゃないんよね。
ポリシーやコダワリがあって欲しいと思う。

やっぱレコードかなぁ。
プロのくせに音を間違えたまま売っちゃった初回限定版や、
再生を繰り返しすぎて、大切にされたが故の音質劣化とか、
たまらんわ。

作者:GO

更新日:2008年11月22日 6時53分

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テロリズム?

“テロ”と言われると、とにかく物騒なイメージがある。
しかし、ただただ不安を抱いたり、恐い、嫌だ、では
その根本にあるものは見えてこないので、
ちょっくら“テロ”について考えてみる。

テロ行為についてニュートラルな視点から見ると、
国家運営に対して、「NO!」というメッセージを
暴力や破壊行為によって訴えているのだから、
そのメッセージに対して話し合いでもって解決に導いていくのが、
法治国家のあるべき姿であると思う。

それなりの生活ができていたら、テロなんて起こさない。
辛い、苦しい、という状況の中に、
辛い、苦しい、とぼやく事のできる環境があって、
管理されている事に対する、『悲劇のヒロイン』的とも言える
心理的なよりどころがあるうちは、きっと誰もテロなんか起こさんやろう。

そのよりどころが無くなって、辛さと苦しさだけになった時、
きっと人は破壊と暴力によってメッセージを伝えようとする。
たとえば今年、チベットで暴動が起こったのは記憶に新しい。

日本では自衛隊法がそれにあたるけれども、
その国で定められている『テロリズムの定義』からすれば、
チベットで起こった暴動は、“定義上はテロ”なのかもしれない。

2001年にアメリカで起こった9.11テロも、“定義上はテロ”である。
これに対して、『テロ=悪』というイメージを定着させた宣伝力は
さすがだと今さらながらに思うが、そのままでは問題解決に至らない。
現在の状況がその証拠となっていると感じる。

しかし、世界は『テロ=悪』で突き進んできた。
その裏にあるメッセージも当然分かっていながら、
“話し合い”という、法治国家として取るべき対処法も分かっていながら、
『平和と安全』という分かりやすい正義の名のもと、
武力でもって解決しようとしてきたし、今もそれは続いている。
中国に至っては、最初から話し合いなどする気はないやろう。

じゃあ、話し合いさえすれば解決するのかと言えば、そうじゃない。
北朝鮮なんかを見れば、話し合いが困難である事はすぐに分かる。
ここからが僕が問題だと感じている部分なんやけれども、
解決に至るプロセスが断片的であると感じている。

武力をもってして解決させるにしても、
話し合いによって解決させるにしても、
『テロ=悪』という、たった一つのピースをあてはめようとして
突き進んできた。

ひとつのピースだけでパズルは完成しない。


今まではそれで良かったのかもしれない。
だが、物事は相反する事柄が作用と反作用を繰り返して流れていく。
上手にその流れに乗らなければ、物事は滑らかに流れない。
一度動き始めたものは、押しっぱなしでも引きっぱなしでもダメという事。

では、一つだけのピースによる断片的な解決方法、と
対を成すものは何かと言うと、“統合”といった言葉が近いと思う。
複数のピースを用いて解決に向かわねばならない。

自分の信念や正義を曲げる事無く、複数のピースを用いるのは
一見すると困難に見える。
より高次元な信念と、それを維持する徳がいる。
ベースを広げないといかんのやろう。

その一歩目は、『テロ=悪』という考え方の破壊で、
個人レベルでの思考を統合させる事だと感じるし、
なおかつ、そのベースには共通した大きな正義が必要で、
大きいが故に感じる浮遊感の中で、確固たる自分を維持できる
精神が必要やと思う。



テロという文字が今朝の朝刊にあった。
これから始まる今日のニュースは、このカタカナ2文字が
世間を賑わすやろう。

さて、新聞ではすでに『テロ=悪』という
従来の方法で世論を形成しようとしているが、
果たしてこれでいいんやろうか?

真似る者が現れるかもしれない。
この『テロ=悪』が、もはや通用しないと、
早く気付くべきなんじゃないやろうか?

作者:GO

更新日:2008年11月19日 6時13分

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まだやってるのね。

今朝、ボイストレーニングに関する相談を無料で受け付けている
メールアドレスに、大量のメールが届いた。

その内容というのは・・・。

『即金!!何にもしないで毎日3万円稼げる!!』
『不労所得を得てみませんか?』
『簡単!確実!月に100万円稼ぐ!!』

(初めて色を付けてみた。)

といった感じのノリ。
いや、実にノリノリである。
なんかちょっと楽しくなっちゃったゾ。朝から笑えるってのは健康に良い。


さて、この相談専用のメアドもついにバレちまったという事で、
ここに公開してしまおう。
僕のサイト、『ボイストレーニングとカラオケ上達法 自然音楽』では
ボイトレや歌唱に関しての相談を無料で受け付けています。

コチラのメアドに送って頂ければ48時間以内を目安に返信致します。
lesson@play-natural-music.net



いやいや〜、まだやってるのね。不労所得の宣伝。
面白そうなので、実際にどんなサイトか拝見しにいったんやけども、
なかなか面白かった。

先に回答を示しておくと、不労所得を得るのは可能です。
ただ、考え方が普通の“労働”とはちょいと違う。

■一般的な労働

・定められた給料に応じた労働力を提供。
・スキルに対する給料の交渉をした後、労働力を提供
・スキルと労働力による成果を示した後、報酬を交渉。


■インターネットビジネスに於ける不労所得

・需要を調査、供給すべきものを用意。
・ホームページ等で、宣伝・集客・販売。
・発送などの諸業務をでき得る限り自動化(DL形式、クリック課金、外注など)

シッカリとしたものを作り上げる事ができれば、不労所得は夢じゃないし、
実際に不労所得で生活をされている方を何人も知っている。
会員制のサイトなんかは分かりやすいモデルや。
とあるサイトは、月額315円の会員制サイトを立ち上げ、
100万人以上の会員を得ることができたそうな。

月の初めにサイトの更新を行えば、月に3億円の収入が発生する。
最近テレビにでなくなった細○○子さんなんかはこのタイプ。
あのお方はベンチャーなビジネスウーマンのお顔も持ち合わせていたようです。


ところが今朝、僕のメールボックスをパンクさせようとした方々は
不労所得を得るのに多くの問題を抱えているご様子や。

まず、
【何人もの方々が同じようなメールを送ってきた。】
という点に注目。

恐らくこれは、同じように『不労所得』というエサに食いついて
“リセールライト商品”を購入してしまったからではないかと思う。

リセールライトとは、再販権の事である。
つまり、“自分の作った商品を販売する権利”を商品にしてしまうという意味で、たとえば『パチンコで儲かる方法!』というマニュアルを作成し、
それを販売する権利を売る。

この時、『この商品は売れまっせ〜!しかも商品・宣伝用サイト、
一式揃えてるから、販売する権利を買えば楽して儲かるわよ〜ん。』
・・・と、アピールする。

その結果、販売する権利を購入した方々は、みな同じものを扱っているので、同じ内容の宣伝メールがたくさん届く。
行き着く先のURLが違っても、内容が全く一緒!
これは笑える。
そんなに分散してしまったら、売れる訳ない事くらい小学生でも分かるのに。


世の中に出回ってしまった『とっておきの方法』は、もはやゴミ同然。
これに食いついたらあきまへん。
とっておきは、誰も知らないからとっておきの方法でいられる。



他にも問題はようけあったなぁ。
審査基準が甘い仲介サイトを介しての販売であったり、
ビジネスモデルが明確でなかったり・・・。

インターネットの仮想世界と現実世界の融合が進んできている、
というのが最近の大きな流れで、これには良い面も悪い面もある。
ただ、インターネットビジネスが否応なくそちらの方向に流されるのは
間違いのない事で、顔と顔とを合わせないような・・・
さらに言うなら、生身の人間同士が関り合わないようなビジネスモデルは
すでに衰退を始めているようや。

インターネットは、いまや現実世界の18倍の速度で変化していると言われている。あまりに速いから驚くけど、すでに一週回って、
人と人が直接関り合うような、基本的なビジネスモデルに原点回帰しつつ
あるのかもしれない。

これは不労所得を得たいなら、そしてネットで物を買うなら、
押さえておくべきポイントやと思う。
生身の人間同士のやり取り。これ大事。

作者:GO

更新日:2008年11月18日 5時39分

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この国の民にもはや誇りはないのか

またしてもひき逃げ事故が起こった。
おそらく、各新聞の一面に掲載されていると思う。

新聞配達をしていた16歳の東川達也さん。
配達中に追突され、そのまま6キロメートル引き摺られて死亡した・・・、というニュースや。

東川達也さんは今年の10月から新聞配達を始めたとの事で、
まだ1ヶ月程しか経っていない。
さらに、事故当日は土砂降りの雨だったという。

これは僕の経験をもとにした推測だが、
背後から迫ってくる車に全く気付かなかった可能性がある。
仕事を始めて1ヶ月程・・・、多分、配達するお宅を何とか覚えて、
集中して思い出しながら配達していたと思う。
ポストの位置に集中してしまい、発車の時以外はミラーを見る余裕がない。
更に、土砂降りの雨は車の音をかき消してしまう。

雨、特に土砂降りの雨なんていうのは非常に厄介や。
地図やリストを見ながらの配達が困難であったり、滑りやすかったり、
視界が悪くなったりと、いつも以上に集中しなければならない。
そしてその集中力は、向かって前方に対してのみになってしまう。

だからと言って運転者に対し、そこまで考慮して車を運転してくれとは言わない。
普通に運転してもらえれば、それで十分。
配達中の危険くらい、自分で予測して自分で回避する。
後方に注意せよ、というのも先輩などから教わっているハズや。
ただ、やっちまった時は自分でケツ拭かにゃいかんでしょう。
たとえそれが配達していた者の不注意が原因であったとしても・・・!


僕も過去にやられちまった経験がある。
ちょっと思い出してみたが、すぐに謝罪しようと車を停めた人は、
覚えている限り2人しかいない。
これはやられた件数から考えると半分以下。

他はみな、どこかへ行ってしもうた。


普段は法に守られた権利ばかりを主張しながら、
いざその義務を果たさねばならぬとなると、そしらぬ顔で行方を眩ます。
権利と義務はセットです。
法に従った罪の償いをイヤだと拒否するなら、被害者の親族に復讐され殺されても文句が言えないと・・・極端だがこうなる訳で。

いやいや、そんなヤヤこしい、難しい話じゃないわな。
『御免なさい』ができない。
そんな人達がいる国。
国の誇りを傷付ける為の謝罪はするのにね。

あぁ、他国の国籍を取るにはどうすればいいんだっけな。

作者:GO

更新日:2008年11月17日 6時22分

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増えるかも

『命を大切にする。』

今まで何度か書いてきたこのテーマ。
やっぱりこれは、何回見ても違和感がある。

その違和感の原因が、昨日ハッキリ見えた。


このフレーズ、命に対して上から目線だぞ。
まるで人間が命をいかようにも操作できるかのような、
そんな傲慢とも言うべき表現になってしまっている。

命は命を繋ぐ為にある。
それ以上でも以下でもない。
「じゃあ、命を繋げない個体は意味がないのかい?」

その通り。
命を繋げない命は最大の役割を果たせない。
でも、直接的に命を繋ぐ事だけが最大の役割とは言ってない。

別に間接的にでもええんじゃない?
直接、自分の子供を残せない命は、
自分ができなかった命のバトンを繋ごうとする者達に対し、
それがしやすい環境を作るべく、汗を流して命をかける。
それも立派な役割やと僕は思う。


そう考えると、命ってのは大切とか粗末とか、そういう次元のものじゃない。
朝になれば太陽が東の空から昇るように、
春になれば桜が花咲かせるように、
そこにあって、ただそこにあるだけのものや。

同時に、太陽が昇る事で生きていけなくなった生物がいるように、
死して土に還った生物のお陰で桜が花咲かせるように、
命を繋ぐ事は別の種を滅ぼすという重さを内包するもの。

そこから見えるのは、大切とかではなく、
見守る事と、理解する事、そして背負う事やと思う。
いや、言葉ではもはや表現できない。
当たり前過ぎて重過ぎる。

当たり前過ぎるが故に、簡単な表現で済まされる時があって、
重過ぎるが故に、出口を失う議論にまで膨れ上がる。





昨日、我が家の猫(オス・メスの双子)に発情期がやってきた。
獣医さんの話では年明けの予定やったんやけども・・・。

誰も教えていないのに不思議なもんや。これぞ神秘。
それを察知したのか、我が家のダックス(これもオス・メス)が
心配そうに寄り添ってペロペロと舐めようとする。
きっと分かるんやろう。種が違うのに、これも不思議。
なぜかハムスターもいつもより激しく回し車で回っている気がする。
(これは多分、考えすぎ。)
そして、お魚のベタ君もソワソワ泳ぎ回っている気がする。
(これはもう、こじ付け。)


数ヶ月前、山中の国道で生と死の狭間を彷徨っていた仔猫達が
命を繋ぐまでに成長しました。
そんな事を考えていると、熱いものが胸に込み上げてくる。

命、ここに在り。



さて、気が早いですが、
もしも妊娠し、無事に出産という事になったら、
里親を探します。

マイミクさん、友人、その他、僕と交流のある方々。
もしも僕から「もしも〜し、あのさぁ、猫って可愛いと思わへん?」
と電話があった場合、そういう事です。



作者:GO

更新日:2008年11月15日 7時37分

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西洋からのメッセージ

昨日、おそらく生まれて初めて、
弟の生演奏を純粋に客として聴きに行った。

弟は音大生です。
そして、さすが音大生の彼らだけあって、
演奏のレベルは高かった。

高校生までの音楽というのは、指導者の特徴が特によく出る傾向がある。
つまり優秀な指導者がいれば、たとえ去年までグダグダでも
大きく化けてしまうという事で、実際に1年前まで地区大会落選という成績だったダメダメ高校が、指導者の腕で全国大会に出場できたというケースが非常に多い。

たった1年で全国進出。これはプロ集団では有り得ない。
それゆえに、高校生までの音楽から感じるのは指導者からのメッセージである。
でも、決してそれがつまらない訳ではない。
1年で化けるほどのポテンシャルは、演奏者自身が持っているもので、
その若さゆえのエネルギーというのは、とても大きい。
荒々しく、なんだかよく分からんけど頑張ってます!という音は
聴く側にとって新鮮で、エネルギーやインスピレーションがどんどん湧いてくる。


これが、大学生になると変わってくる。
指導者だけに頼った音楽はつまらない。
それぞれの演奏者が持つエネルギーの大きさを、演奏者自身の力で
同じベクトルを向けてこそ、聴いていて身震いするものになる。
特に、4人から10人で演奏する『アンサンブル』という演奏形態は、
それが顕著に表れる。

では、そのベクトルの向きって何なのさ?と言うと、
これはごくごく単純に『何がしたいか?』である。

クラシック音楽は、再生音楽であり再生芸術だから、
作曲者の歴史を勉強するのもいいし、
その音楽が生まれた土地の文化を勉強するのもええやろう。

その音楽を『日本人がいかに料理するのか?』が再生音楽の見所。
音大生諸君には、そこをもっと追い求めて欲しい。



音大生や音楽の専門学生というのは、技術力にばかり目が向いてしまう傾向がある。
もちろん技術力は、プロと称する演奏家ならば世界中の全演奏家が持っていて然るべきもので、学生時代に身に付けておいた方がいいのかもしれない。

でも、できるだけ脳ミソがやわらかくて感性が豊かな間に、
『日本人としてこの音楽をどうしてくれようか?』というテーマについて
もって深く考えてみるのもいいんじゃないか、と思った。

クラシック界というのは、規律や伝統的ルールが厳しいという印象がある。
だからこそ、その規律やルールの中でいかに表現するかというのは
他の音楽には無い醍醐味があるやろう。

クラシックもジャズも、西洋の音楽を日本人がどうしてくれるか?に醍醐味があって、そこにこそ世界で通用する価値がある。


しかし、演奏技術は高かった。さすが音大生といったところか。
技術なんてあって当然、といってもそう簡単にできる事ではない。
ただ、僕がそれだけでは満足できない贅沢な耳になってしまっているだけや。
クラシック音楽は、意外とソウルフルな音楽だったりする。
実は美的感性からくる感動って、後からの湧いてくるものだったりするんだな。

作者:GO

更新日:2008年11月11日 7時18分

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売春

最近、こんなスパムメールが目立つ。

『男性の方へ!』
キス・・・1万円
デート・・・2万円
情事・・・5万円
(メールでは“情事”じゃなくて、もっと露骨)

自分で報酬額を決めれば、女性がそれを見て決める。
求める女性と、win-winの関係でお金を稼ぎませんか?

といった内容。

・・・これって、完全に売春よね?
ナンパと同じように単語を作るとすれば
差し詰め“逆売春”といったところか。


男性が性を求めるのは本能でしょう。
子孫繁栄という意味で、無くなるとマズイ。
これがあるから売春はビジネスとして成り立つ訳で、
間違いなく需要がある。

スペインでは合法だったはず。

では、女性は?
逆売春がビジネスとして成り立つという事は
それだけの需要があるという事になる。
男性ほどではなくても、そういった本能はあるんやろう。

ただ、何となくだが、
女性には身体を売り物にしても
自尊心を維持できるだけの強さがあるんじゃないか、と思う。
と、言うか、あって欲しい。

たとえば、家族を守るため。
愛する者を守るため。
大切なものを守るため。

そのためなら、身体を売る事も厭わない。
これが“強さ”であって欲しいと思う。


では、男性はどうやろう?
果たして身体を売り物にして自尊心を維持できるか、どうか?
僕はできないと思う。

ビジネスは、お互いが満足する
win-winの関係が成り立つのが良い。
男性が身体を売り物にできてしまった場合、
下手すれば、このwin-winが成り立ってしまう。
自尊心もクソもない。


身体を売り物にする事を、絶対悪だとは思わない。
ただ、やっぱり“究極にして最後の選択”であって欲しい。
さらには、そんな事をする必要がない社会であって欲しい。

有事であれば考えは当然違ってくるが、
平時に於いては不必要であって欲しいというのが僕の意見。

そういう観点から売春をwin-winにしてはいけないと思う。
ビジネスやとしても、これについては例外や。


余談だが、こういうメールは女性からの送信が多い。
女性オーナーが展開しているビジネスなんやろうか?
それとも名前が女性名というだけ?

いずれにせよ、そういった送信者は
『女性の解放』といった言葉を多用する。
要するに、性の解放やね。

別に開放してくれても構わんが、その行き着く先にあるのは
女性の不幸であり、女性同士の不平等の顕在化やろう。

その辺、ムスリムを見習ってはどうかと思う。

作者:GO

更新日:2008年11月6日 6時13分

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強制偽善者

さて、僕の住む神戸市では
明日から新たなゴミの分別ルールが実施される。

どうやら神戸市のゴミの分別は遅れているらしい。
もっと細かく、しっかりと分けないといけないそうな。
仙台市が本気で取り組んでいる、と比較されていた。


『ゴミの分別は良い事』だと、誰しもが思う。
しかし考えてみて欲しい。
何事にも良い事と悪い事がある。
とにかく分けていればいい、というモノではない。

『ゴミの分別は良い事』
日本人はこの、“○○してれば良い事”
というフレーズに弱い。

これを食べていれば健康。
これを持っていたら安全。
これをしていれば間違いない。

これらに共通するのは、
何も考えずに、ただただ鵜呑みにする。
という怠惰な姿勢である。



物事には目的がある。
それを知らずに無邪気に信じるのは危険だ。
『なぜそうするの?』と徹底的に追求する必要がある。

疑心暗鬼になりなさい、という意味ではない。
判断基準を持ちなさい、という意味だ。

疑問に思って問いただし、
一度返されたくらいで納得してはいけない。
もしも事実を知って、それが信じていたものと違ったら、
今まで無邪気に罪を重ねていたという事になりかねない。




例のゴミの分別。

僕はまず、携帯電話などの精密機器はリサイクルする意味があると思う。
理由は、希少金属(レアメタル)を使用しているから。
このレアメタルは抽、出に大変なコストがかかったり、日本では入手困難
であるといった理由があり、リサイクルする価値がある。

それ以外にはあまり思い当たるものがない。
あえて言うなら、ガラス瓶。
洗ってそのまま使えるものは、長く使った方が良い。


次に、リサイクルする意味が分からないもの。
代表的なのはプラスチックなどの石油を加工してできたもの。
ペットボトルなどが挙げられる。

このペットボトルのリサイクル。
いろいろ胡散臭い話があるが、考えれば誰でも思いつく疑問を
ここに一つ提示する。




仮に石油からペットボトルを作る時に、
“10”のエネルギーが必要だったとしよう。

一度ペットボトルにしてしまったものを、
もう一度ペットボトルにしようと思ったら、
まず最低でも、この10のエネルギーが必要になる。

では、ペットボトルを
ペットボトルの原料へ戻す時のエネルギーは???
ここで、0から作る時には必要なかったエネルギーを
使うはずやろう。

つまり、ペットボトルのリサイクルには、
『原料に戻す時に、余分なエネルギーを使うのでは?』
という疑問が付いて回る。


では、このペットボトルを燃えるゴミとして
捨ててしまうとしよう。
元は石油だから、よく燃える。
結果、可燃ごみを焼却する際に必要なエネルギーは少なくて済む。

有害物質?
とりあえず、ダイオキシンに関しては
『被害が最も酷くて、ニキビができる程度』
という事らしいので問題無いやろう。



リサイクルすれば余計にエネルギーを食うが、
燃やしてしまえばエネルギーを節約できる。
果たしてどちらがお得だと思うやろう?




もう一つ、いわゆる『3R』
Reduce(発生の抑制)
Reuse(再使用)
Recycle(再利用)
の、大変リズム感のよい単語君達。

分別の解説冊子に、この3Rを実践する事で
ゴミが減っていくという解説があった。

ハッキリ言うと、これは“まやかし”だ。
一度作ってしまったものは、間違いなくゴミとなる。

つまり、Reduceの段階でゴミの量は決まる訳や。
こんなの当たり前。

いくら人に譲ったり、リサイクルショップで販売しても、
自分の元から消えるだけであって、ゴミが消えるわけではない。
再び資源として使うにしても、先程書いた通り、
原料に戻すのに余分なエネルギーを食う。

確実にゴミを減らす方法は、たった一つしかない。
それは、『作らない』。ただこれだけ。
食物さえもが最後は糞になる。
人間の作ったものが、ゴミにならない訳がない。
せめて糞並みに土に早く還るモノができれば、まだマシやろう。



僕は明日から偽善者にならねばならない。
疑問は晴れていない。むしろ間違っているという思いの方が強い。
しかし、偽善者にならねば罰金があるとの事。
・・・無茶苦茶にも程がある。

まだ二酸化炭素と地球温暖化の関係性が証明されていないのに、
なんでこう『良い事』となると、みんな先走るのか?
そもそも良い事の定義は、みんなから褒められたい、良く思われたい、
といった程度のものなのではないか?



あ、最後に。
誰か、本当に自分の出したゴミがリサイクルされたのを
見た事がある人はいるんやろうか?

リサイクルには非常にコストがかかるため、そのまま可燃ゴミとして
捨てている業者もいると聞いたことがある。

作者:GO

更新日:2008年10月31日 21時33分

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世相を表す流行語が表してしまった。

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私、本当に怒りますよ。

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言葉と音

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もうシンプルに行きましょうよ。

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当然の疑問

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オラが町の警察官

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円高還元セールって本当?

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テロリズム?

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まだやってるのね。

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この国の民にもはや誇りはないのか

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増えるかも

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西洋からのメッセージ

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強制偽善者

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