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トップ > social > social - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月2日 3時)

それぞれの愛され方


人の[愛され方]は多分、
大きくは以下の二種類しか無いだろう。


ひとつは
 不特定多数の人たちに愛されたい人。

もうひとつは
 限られた人からの信頼だけを見て生きて行く人。


愛情渇望者の特徴として前者のパターンが非常に多く、ある限界を越えた時、
愛情ではなく多勢からの崇拝を強く求めるようになるようだ。



某SNSの私のコミュ内でちょっとした議論があり、
挙げ句議論の相手から私に対する人格否定の発言が、内々のメールにて送られて来た。

私はこの相手に対し、或る自分なりの見解があり、
またコミュ内に於いてその筆頭者として取るべきスタンスを優先した。…


相手は[対 個人]の暖かさと優しさを私に要求していたが、
私はそれよりももっと大切な目的の為に自分に対する相手からの好評価を、諦める立場を通した。


誰にでも良い顔をする人間が結局は誰からも信頼されない事を、
長年組織の中で見て来た私…。

人の上に立つ事ではなく、

人の上に立たされる事の重い責任から私は、逃げようとは決して思わない。


私がスピリチュアルな生き方を決めた理由のひとつに、オウム真理教のサリン事件があった。
サリンを撒いた方も撒かれた方も同じ人間であり、
対等な人権を持っている。

恐らく、
サリンを撒いた犯人にもかつては家庭も職業もあっただろうが、
それを捨てさせ人々を殺める言動に走らせたのは、カルト宗教以外のなにものでも無い。


コミュ内で論争になったその人は、
犯罪者の人権を私に主張して来た。

犯罪者にも家族があり、生活があるのだと。


その為に犯罪者が行うマインドコントロールが間違いだとは思わない…と言い、
私の人間性を否定して来たが、私はこのユーザーがただの偽善者に思えてならない。
 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月29日 18時25分

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[インディゴ(indigo)]についての雑記


[インディゴ(indigo)]について度々質問を受けるようになり、
それならWikipediaやその他の辞書の引用ではなく、真のインディゴらしい見解を発信すべき…と感じ、
まだ途中段階ではあるが自分なりにまとめてみた。


---

[インディゴ]は外部からの判断が難しいが、
同士が出会った場合には必ずそれを共有し合えるものだ。


一定の目的と使命を持ち、
長い間その目的意識を失わずに転生を繰り返して行く人、或いは意識の事を指す。

生まれる前の記憶を確実に保有しており、
それ故に幾多の魔界(dark)からの覚醒妨害に遭う危険に晒されている。

インディゴと呼ばれる人の約70%近くがそれら魔界の妨害に、ミッションを放棄してしまうと言われるが、
残る30%が脈々と同士を呼び寄せ互いに守り合い、細く長く転生を繰り返して行くと言われる。


インディゴは地球に関わらず三次元層の至る所に存在し、
超感覚の領域になると時空間を超えて互いに透視をし合ったり、又…テレパシーやチャネリング等で連絡を取り合う事も日常的に行っている。

それ故、無意識層に暗躍する負の情報を無波動状態で正確に捉える能力を持ち、
それ故常に念障害を受けないよう、波動のレイヤーを高める修行を無意識に続けている。


---

最近、[インディゴ]をコンセントにした選民思想が巷に氾濫しており、
[インディゴ]と学習障害者を同一視してみたり、[インディゴ]と犯罪者を同一視する…というおかしな傾向が見られる。

自分が世のならわしや常識に適合出来ない理由は[自分がインディゴだからではないのか…。]という、
非常に歪んだモチベーションの思考パターンを持つ一般の人たちが増えている。


使命感を棄てた人、
判断能力が著しく欠如した人は[何かに優れて生まれたしわ寄せ]ではなく、やはり障害を持っている…とみなす方が正しい。



あなたの周りの[インディゴ]が果たして本物のインディゴかどうか、
このコラムを読みながら確かめてみたら面白いと思う…。

 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月28日 3時4分

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猟奇的な信仰と本能

自分に異を唱える全ての対象について、安直に[邪気]とか[魔]である…等と判断し、
その異論提唱者を本能のまま攻撃する事で、自己のアイデンティティを確立しようとするスピリチュアル探求者が多数存在するようだ。

彼らにとって[知性]或いは[理性]は最大の敵であり、
自分の言葉に逆らわない人たちの中での身勝手なアイデンティティの確立を邪魔する存在を、
ただただ本能的に[邪気的存在]だと識別しているにすぎない。


真の神とのコンタクティの条件は先ず、
[ピュアでありかつ偏見を持たない事]。

異論・賛同論者を問わず自らが直結する神や神格的存在に、
知性で対話を試みる事が出来る事、

そしてパブリックな視点から物事のミクロ・マクロの両方を視て判断が出来る事。…


神とは普遍の存在であり、
その普遍の波動の境界を正確にキャッチしたり認識するには、
[己]という媒体が自己崇拝の毒素にまみれていてはそれを実現する事が難しい。


又、神は元々一つであり、こと三次元世界に於ける[神]の認識は、
叡智・神(しん)の媒体者の心や思想・価値観によって塗り替えられたものである。

私たち人類が[神]と崇めている存在は、根本的な神(しん)とは全く別物であり、
総ての地上の信仰対象は物や個別の思想を偶像化したものにすぎない。


[神(しん)]は信仰や服従を求めず、
異論も賛同も含め総ての物事が一定のリズムとベクトルをもって、ただ一ヶ所に向かって動いている事を熟知している。
よって[神(しん)]にダイレクトに直結出来る媒体者なら、パブリックな視点でそれを認識し言語化して発信して行く事を責務とし、
他の何者をも個人の都合でバッシングする事無くミッションを全うし続ける。


アイデンティティとは声量や賛同者数によって確立するものではなく、
いかに理性的・理知的に物事や思考を組み立てられるか…、

その能力を駆使した者が初めてそれを確立出来る。

そして、いずれアイデンティティを超え、
自らを真の意味で空洞化し[神(しん)]と一体に近付けた時、
世の猟奇的崇拝思考者がいかに危険な存在であるかという事を、パブリックに発信して行く為の新しい任務を得る事になる。

 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月26日 15時23分

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浅草橋で石談義、そして“彼女”のこと

e7cb0c6a.jpg
午後、恋愛カウンセリングの用事で錦糸町に行った帰り、再度浅草橋に石を買い足しに寄った。
夜のライブとの50分ほどの時間の隙間を縫うように、行き着けの石問屋に行くと、
話し好きの社長自らの出迎えを受け殆ど30分間、
石の講義で時間が過ぎた。


あれは天然だがあっちは紛い物、
…何処何処の何という職人が何時間かけて焼いた天珠は、ウチでは幾らでデパートでは幾ら…等と、
業界の人じゃなきゃ分からないようなあれこれをお米の詰まったおにぎりのように、聞いて来た(笑;)。


そもそもその石問屋は、一年前に仲違いしたパワーストーン作家の女性から紹介された会社。

時折、私たちの仲違い等何も知らない社長から“彼女”の近況を聞く事があるが、
無事に頑張ってるのね…という安堵と、
“彼女”と仲違いの原因になった幾つかの出来事に対する怒りの両方が湧き上がり、
複雑な心境になる。


今、私たちが再会したとしても、
“彼女”が私のスピリットのベーシックを決して受け入れず、有名どころの価値観を私に押し付けて来るようならば又、
同じ結末へと向かうだろう。



実は“彼女”には若干のお金を借りており、
私はそれを意図的に返済しないままで居る。
どちらが悪いわけでもないと思うのだけど、
普通、仲違いした友人と仲違いした直後に物品の売買はしないだろう…。


だが、“彼女”は私が仲違いする前に頼んだ或る商品を、仲違いの直後に、
私に直接…ではなく私の勤めているライブハウスに黙って置いて行ったのだ。
少なくとも私なら、仲違いと同時にプライベートモードな物品のやり取りも“無かった事”にするだろう。

…だが、彼女は私とは直接会わない形で、品物だけを強引に小屋に預け、
請求書をつけて来たので、
私はその品物の入った袋ごと小屋のスタッフに破棄して貰った。




…ま、これは事の一部であるがただ、難しい病気で苦労していた“彼女”が元気で暮らしている事については、
どこか嬉しいような感情にもなるから不思議だ。


そんなこんなで石談義も早々に引き上げ、
ライブに向かう道中の私はどこか石に元気づけられたみたいに、
活力がみなぎって来る…。
 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月25日 19時36分

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石の鑑定を頼まれるけれど…

昨日は三件、石の鑑定を依頼された。

一つは直径40mmの丸玉のルチルクオーツの鑑定、
もう一つは写真①のブレスレットの鑑定だったが…。


(※因みに写真②は、私が撮影した自作のブレスレット。)

 
 
351eff7e.jpg
445fc771.jpg

某石コミュ内でも度々写真による鑑定を頼まれるが、
残念ながら写真一枚だけでその撮影者のモチベーション、生活設計、メンタル、食生活…等々、
全てが分かる。


…が…、肝心な事は、[私が石の鑑定を依頼されている]点。
その肝心の[石]の写真があまりに不鮮明な事に、殆どの依頼者が気づいていないのは一体、どういう事だろうか。



---

写真①の真ん中の黒い石、

注釈をつけて貰わないと[オニキス]にしか見えないがどうやら、
[ブラックパール]らしい…(困;)


依頼者に、

[写真が不鮮明なのでもう少し光度を上げて撮影して下さい。]

…と再三メールをしても、
一向に薄暗いまま石を撮影した写真だけが送られて来る。


そんなやり取りが三~四回続き、
私はこの依頼者が相手の要求や相手の言葉を理解する気が無い、

…つまり平たく言えば[認識障害]の類いの心の病いを持っていると判断し、
依頼を断った。



上記のような依頼者に私がどれだけ時間や労力を割いたとしても、
ハナっからそれを噛み砕く能力も気合いも無いのだとしたら私は、
もっと有意義な事に時間を遣いたいと思ったのだ。


一方ルチルクオーツの石の鑑定依頼者の方は、
その石に邪気が入っているかどうか…という質問だけを、再三に渡り突き付けて来る。

誰に言われたのかは知らないが、
質問の相手は依頼者にとって誰でも良かったように察知し、
その依頼も丁寧に断った。


いずれにしても、この二人の依頼者の共通点は、
石に何らかの仕事をして貰い自分はそのあやかりに乗って、幸せ(幸運)を勝ち取ろう…といった、
単純にて卑しい他力本願を捨て切れない事…。


依存された石が可哀想だ(爆)!



私に鑑定を依頼される方に言いたい。

最近の携帯カメラは[接写]や[明るさモード]の調節が、かなり細かく出来る筈。

ブレスレットを撮影する時は先ず、


  ①全体像、次に
  ②接近モード、

そして

  ③各パーツの写真


少なくともこの三点を然るべき明るさで、肉眼で見るよりは明るさモードを上げて撮影したものを、
必ず数枚添付して欲しいと思う。

 
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作者:mintpiano

更新日:2008年11月24日 2時46分

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出会いのチカラ

多くの人たちは多分、
人と人の出会いによって自分が変わって行く事だけを期待している。

それを“学び”だとか“気づき”だとか…

“引き寄せの…”等と呼び名を変えながら、結局のところ、
出会った相手による自分の変化を受け身的に期待しているのだ。



出会いが相手を変えて行く事を望む人は、
何故か日本人にはとても少ない。

おそらくこれは“頂きもの賛美思想”の日本人の悪い習慣なのだと思うが、
とかく日本人は“つまらないもの”…を最もつまらない言葉を使って
相手に贈り、相手からは“つまらないもの”をことさら丁寧に受け取る事に美意識を持つ、おかしな民族である(笑;)。



出会いによって人生をより良いものにシフト出来るのは、
その出会い有無に関わらず、いつも自分磨きをコツコツと積み重ねている人だけに限定される。

自分磨きを習慣付けでいる人の半分は、
磨いた自分ではなく自分を磨く過程に興味があるので、出会いの事など忘れて日常生活を営んでいる。


…そんな、自分磨きを楽しみ
出会いの事など忘れて日常生活を営んでいる人同士が、何らかの理由で出会った時だけ、
変容と昇華の奇跡は起きると私は思っている。



出会いが“学び”や“気づき”だ…等という闇雲な盲信に落ちている人たちは、
それが本当にそうなのかを見抜く目を持たない。
そのくせ
出会いの本質を見極める前に、出会った相手をやたら独占しようとするものだ。


“これがそうなのだ”…という出会いの“引き寄せ妄想”にすがりつくあまり、
相手のパーソナリティや自分とその人の境界線を勝手に見失い、
出会った相手がまるで神様からの最後の贈り物でもあるかのように
有頂天になり、
前世からの親友のようにいきなり深い交流に高飛びしようとする…(苦笑;)。

その相手と深く結ばれる事が自分を輝かせてくれると
勝手に決めつけ、
静かに、時間をかけてお互いのパーソナリティを観察しながら、
温まるべき関係だけを的確に温めて行く手間暇を惜しみ、“頂きのメリット”だけを短絡的につまみ出す。


これら全て、引き寄せの妄想の悪癖にすぎない。


出会いのチカラとは、
その出会いを着実な交流に実らせる、相手との距離感と思い遣りと客観性がうまく複合した時、
初めて発揮されるものである。

そして、
出会いにより自分が輝く事ではなく先ず、相手がその出会いを喜んでくれるかどうか…。

贈り物は最高の形をもって、
最高の言葉を用いて相手から紐解かせる寛容さを持っていたいものである。




---
ところで…(苦笑;)

[テレビのチカラ]という番組が以前放映されていたと思いますが、
最近視た人、居ますか?
 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月23日 10時38分

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インディゴの判断

久しぶりにmixiを放浪した数日間。

私がmixiを利用しなくなった理由は、あまりに巨大化し過ぎたmixi-SNSの管理体制のずさんさが原因だった。

[個人に対する誹謗中傷はネチケットに反する。]
~とは書かれているものの、その現場を通報しても適切な対処が為されず、
長期間に渡り誹謗中傷の履歴が放置されてしまう状況があり、安心して利用が出来なくなった。


もう一つの理由に、宗教関係者の布教活動が公然と成されている現状に、
嫌気がさした事も大きな理由の一つだが…。


そんなmixiで、[インディゴ]についてささやかに議論されている。

争点となっている事は、

 [学習障害者がインディゴだ。]

…と言うスピリチュアル・カウンセラーが多数存在する事だ。


---

インディゴかどうかを見分けるには、まず以下の点に注目すべきだ。


◆物事の判断が極めて理知的である事。

◆目的意識がしっかりと定まっており、思考に無駄が無い事。

◆物事に対し視野が広く、近視眼的ではない事。

◆利己的な感情をコントロールする能力に優れており、常にパブリックな視点から物事を冷静に判断する能力がある事。


---
学習障害についてはまだまだ研究段階の日本の脳科学界隈ではあるが、
親の糠喜びのインディゴ判断は、その子供本人本来の成長の妨げとなる可能性を多分に孕んでおり、
[特殊な能力]と[得意な異常]の判断を素人判断で誤ってはならない。

又、とかく人というものは不思議信仰に走りがちではあるが、
不思議依存に向かう前に[現実]や[現状]にしっかりと向き合って欲しいと思う。
 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月22日 12時18分

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自分の時間、他人の時間

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物欲もお金に対する欲もあまり無い私ではあるが、
代わりにそれに代わるものは大切に使いたいと思う。



例えば…

出逢ってからたった数日間で無為の親友のように振る舞われ、
雑談かカウンセリングの依頼かも分からないように、紛れ込ませの電話を掛けられる事は、
人として迷惑だという事は常識の範疇だ(苦笑;)。



 私は貴女のお友達ではないですよ。


…とは言えないので、やんわりと此方の心情と信条を伝えては行くが、

例えば…

隣の豆腐屋さんの若女将とは親友だから…という理由で、
豆腐屋の店先に長時間立ちふさがり、挙げ句の果てに“お豆腐を二丁、タダで頂けますか?”
…と言うような人を私は、[非常識な人]だと認識している。



上記はあくまでものの例えであるが、
この例えに相当する出来事が実際に起きている。


メールで済みそうな事を、電話を使ってしようとする先方からは、
つい先だって或るカウンセリングと霊視の依頼を受けたのだが、
日にちだけを決め、私がその日にちを空ける為の金銭的な契約の打診についての明確な返答が得られない。


…という理由で私はこの依頼者が、金銭的な契約にきちんと応じない以上、
電話で話しをする事は差し控える事に決めた。



先方には、

 Time is money…!



…とだけ伝えておいた。


知人、友人、カウンセラー…、親兄弟、親族…。

それぞれの関係性の相違、境界線はしっかりと見極め、
ケジメはつけて頂きたいと思う。
 

---

いよいよ年の瀬に近づき、本業及びスピリチュアル方面ともに多忙期に入っている。

ブログ、メリマガ共に更新が滞りがちになるとは思うが、
暖かく見守って頂けたらと思う。…


 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月21日 19時20分

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地球を感じる、石を楽しむ


昨日の夕方…、昔私の主治医だった漢方系の女医さんが、久々に北京から上京して来たので、
写真のブレスレットをプレゼントした。
 
 
00290c63.jpg
彼女とは殆ど毎日メールのやり取りをする仲で、
彼女が某大病院の医師を辞めてからもプライベートでお世話になっている。


私が黒玉から石の玉に持ち替える事を、
真っ先に応援してくれた人でもあった。


(※黒玉:音楽用語で音符の別表現。)





丁度ここのところのパワーストーン・カルトの事を色々相談していた時だったが、
何より“石は昔、それを粉にして煎じて飲んでいた。”事を実証して見せてくれた彼女の、石への思いはまたひとしおだ。


そんな彼女の最近のお気に入りは、アメジスト・ファントムのワンド。
さすがに写真には撮らせてくれなかったが、触れるとピリピリとした石独特の波動が全身に染み渡り、
彼女は実際にそれをクランケの患部に当て、ストーンヒーリング療法を実践している人でもある。


石は、その石と持ち主との波長のコラボレーションで、波動を変えて行く生き物だと彼女は言う。
つまり、同じ石を持っていても持ち主によって、性格を変容させてしまうところに石の怖さがある…とも言える。



よく言われる“邪気ってる。”…という言葉。

その言葉を聞いた瞬間に、石を本当に邪気体質に変容させる事が可能だと、私も思う。

石を扱う人たちに対し石の効能やパワーに依存した使い方をするのではなく、もっと石を楽しんで愛して欲しいと、最近思う。
 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月20日 13時2分

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価値観を持たない…という生き方

多くの人たちは固定の価値観や宗教を持ち、その枠の中に自分の視野を閉じ込め、世間を見回しながら生きている。
特定の宗教や価値観を持たない人たちをむしろ、軽蔑するような風潮がどこかしらに根付いており、
価値観や宗教を持てない人を“根無し草”的に捉えているようだ。



先導力・統率力のある声に導かれ、その声の傘下に身を置く事で思考の努力を逃れ、
声の鳴る方向にただついて行き生きている人たちにとって、“生きる”とか“考える”事は何だろうかと疑問に思う。



風潮や、多くの常識は、集合体をまとめるに都合の良い“便宜”が決めて行く。

多くの支持者を一見得ているかのように見える先導者が、
実は催眠術やマインドコントロールの達人であった…という話しは、そう珍しい事ではない。

政治家しかり教職者・聖職者しかり、話術だけで大勢を騙せる達人なら世の中沢山居るだろう。


だが、仮に支持者がゼロになったとしても不動の概念を曲がりなく訴え続けられるほどの、強靭な精神力を持つ人は、
この地球上のほんの一握りではないかと思う。



“本物”は、いつもごく一握りの存在だ。

その一握りの価値観を曲げない為に、世間の突端でスピリットを痛めながら、守りながら細々と生き長らえて行く。



そして皆、知っている。

“本物”がいかに険しい道のりを歩んで生きているのかという事を。

だからこそ、甘く危険な“本物もどき”の多勢に紛れ、
多くの人たちは自分を甘やかしながら生きている事に、潜在的な罪悪感を抱いているのだ。

 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月20日 2時5分

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石を通して思う事

0b85fc1e.jpgオークション用のブレスレットと、
オーダーメイドのブレスレットを何本か組むうちに、
誘い水のように色々なアイディアが浮かんで来る。


石は地球の肉片のようなものだが、
崇拝に浸り崇めたてるものではない。



某SNS・あるパワーストーンコミュニティーの管理人が“ペナルティ”という規則を設け、
地球を“地球さん”などという相性で呼び、管理人自らが作った石崇拝規約に反したコミュニティー・ユーザーは、地球の恩恵を受けられず手痛い罰を喰らう…などと吹聴しているとの噂だが、

私は石を扱う専門家としてこれらの妄想崇拝事項を、一切否定する。


人間がたかだか人間であるように、
石もたかだか“石”なのだ。
その“石”に付加価値をつけるのはその石の持ち主であり、そこに石と持ち主との安らかな相乗効果が生まれるだけなのだ。


多くのユーザーたちがそのパワーストーン・コミュニティーに、半ば強引に勧誘されては脅され、
洗脳と崇拝の糧にされて行く現状は見ていて痛々しい。


何事においても、フラットな価値観と視点を持つべきだ。

私はその要でありたいと、心から願って止まない。

 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月17日 2時58分

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雨の匂い


この気候、この時期にも関わらず、
この時期らしからぬ雨の匂いを嗅いだ。



独特の、湿った土の匂い。

昔の人たちはこんな些細な日常の狭間に立ち込める匂いを、
現代人なんかよりも敏感に嗅ぎ取って、色々な予測を立てたのだろう。




人間は日に日に退化して行く。

本来感じる筈の機微を、日に日に感じ取れなくなっている。




取り戻して欲しい、

退化して行く現代人に
人間本来の感覚を…。



すべての答えは
自分の中にしか存在しない。

だからもっと、自分を信じて生きて欲しい。



…そんな事を思う、雨間近の土曜日の夜…。


 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月16日 0時47分

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優しさとは…


[優しさ]とは一体、何でしょうか。

多くの人たちはそれを口調に見いだす傾向があり、
その瞬間だけ人を甘く元気づける[優しい口調]で話しかける人を、
[優しい人]だと認識するようです。



それを医療に当てはめると、こうなります。


◆例えばクランケがレベル2の胃癌を患っている場合。


---
あゝそれは大変ですね。
痛むでしょう?
背中をさすってあげましょうか?
お水を差し上げますから、ひとくち飲んで下さい。

あゝそれに、この毛布をかぶってそこ(ベッド)に横になって下さい。

先ずは体を休めなきゃいけませんから…。


お大事に。



(医者)

---

↑↑↑
例えばこんな医者がいたとします。

確かにこの医者、とても優しい口調でクランケに話しかけており、モチベーションを完全に崩したクランケを慰めてはいますが、
具体的な治療についての差し迫った話題には、これでは至れません(笑;)。


真の優しさよりも、その場(しのぎ)の優しい素振りの方を、人は[優しい]と認識しがちですが、
コレ、特に私のようなアドバイスのプロから言わせて貰えば、天下のイカサマに引っかかった依存族の心境にしか見えません。


医療にもアドバイスにもセカンドオピニオンは必要だとは思いますが、
クランケ或いはクライアントはそれを果たして上手く使い分けられるんでしょうか?

医師AとBの意見が食い違った時、
多くのクランケはA医師には[B医師がこう言った。]と言い、
B医師には[A医師にあぁ言われた。]と言い、
医師AとBを互いに敵対させるような発言を自ら発しておきながら、最後には被害者面するのが関の山です(笑;)。


私はこの類いのクライアントの相談は、基本的にはプロとして受けない事に決めています。
このクライアントは双方(複数)のカウンセラーの見解の相違を抜き出し
それを自己逃避の材料にしたがるだけで、真摯に自分自身とは向き合う気が最初から無いからです。



人ひとりのモチベーションを回復・修正させるのには、カウンセラーもそれ相応の努力が強いられます。
よって、そのカウンセラーにアドバイスを求めるならば、アドバイスには絶対であるべきです。

それがいかに自分にとって気の遠くなるようなアドバイスであったとしても、
改善の近道を探す為にセカンドオピニオンにその方法を尋ねるような事を、私は一切許しません。

何故ならばその依頼者に、早くモチベーションを回復させ根本的に立ち直って欲しいからです。

 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月15日 17時57分

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内側に入る


10代の頃、暇さえあれば泳ぐか、球を追い掛けるか、
それとも意味なくひたすら歩いていた私。

20代には暇さえあればちょっと足を延ばして、郊外に出向いては食べ歩きをしていた私…。


30代はそれが映画鑑賞にすり替わり、
40代の今は暇さえあれば自分の内側に入ったまま出て来ない…(笑;)。


今日はまさにそんな一日で、
朝っぱら天気の良さに軽くサイクリングに出掛けた後は、直ぐに帰宅して石弄りをしていたらあっという間に夜になっていた。



幼少の頃、“貴女には絵の才能はないわね。”と言った母の一言が、
今でも胸に突き刺さったまま、そこに在る。

その一言があったから色を扱う道には進まなかった…と言えば、何かがどこか違う気もする。



誰に
何を言われようと、人生は全て自分が決めて行くのだ。

それは本能と直感が突き抜ける小さな点、

その点を、自分の意思で決めて行くから自分の人生になるのだと思う。




実は私にも、迷っている事がある。

長年続けて来たサイクルとリズムをここで止める事に対する、それはちょっとした恐怖とのささやかな葛藤でもあるが、
それをたった一人で決める恐怖からは少なくとも解放されている。



何をするにも小さな逆境は生まれ、あヽもしかしたらやらなきゃよかったんじゃないか…という、
一時的な後悔に包み込まれる事は、そのサイクルやリズムを変えて行く際には度々訪れると
先日の画家も話していた。


私が一部分的に音の仕事を減らす事に対しても
似たような現象は起きているが、
そう言ってくれる人たちは“忙しい私”の一部分しかきっと知らず、
長年続けて来たサイクルを少しでも乱せば今まで続いて来た幸せにも
支障を来す事になりかねない…という、
習慣認識に囚われているだけではないかと私は思っている。



人生に“勝者”も“負者”も無いが、あえて“勝者とは”…と考えてみる時、
それは
習慣認識に押し流されずその時々に必要な選択肢を
必要なタイミングで選び抜いて来た人も、
その条件(勝者)に当てはまるのではないかとふと、思い立つ月夜の都内。



苦しいぐらいに澄んだ空の下、

私は珍しく気にし続けて来た或る二人の友人たちの事を、考えながら過ごしている。

 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月13日 22時0分

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人生の選択肢


一見、順風満帆に見えていながら実は物凄い棘(いばら)の道を歩き続けている人を、
私は沢山友に持っている。

そして“順風満帆”の裏に潜む突風を、その人なりの方法で切り抜けて来た経験が、
“順風満帆”が決して見せかけだけの緩いものではないのだと、時折の会話の中に垣間見る。



昨日ブログに書いた、離婚カウンセリングの依頼者の体験談を画家本人から
直接聞けやしないだろうかと、極々親しい友人から内々に相談があった。

先方の“依頼者”である画家の男性にその話を何となくしてみたところ、
『他人の苦労と成功例の模倣者に私が会う必要を感じません。』
と言われ、酷く憤慨された。…




友人にはそれをそのまま伝え、
そして私は友人W氏の前途に対する一切から、手を引く事にした。

友人特例で、無料のカウンセリングをして来た事が理由ではない。



彼が、
 偽善者だからだ。



…の為、…が可哀想…等とあれこれ理由や言い訳を並べて、
一度決めた夢から一歩…また一歩と遠ざかる彼を見ていたら、

この人は一体何の為なら無心になれるのだろうか…という、内なる声がした。

内なる声はいつも、理性よりも的確な方角だけを
私に教えてくれる。


そして“理性”を超えられない夢が決して叶えられない事も、この44年間、

その声は実証し続けてくれた。




私の、彼に対する唯一のミスは、
“その気”の持てない彼の人生を知恵と技で修正しようとした事かもしれない。


“その気の無い”人の人生を力ずくで修正したところで、
その先にある孤独と苦痛には勝つ事が出来ない。



偽善者は、
 徹底的な闇にもなれず、
 そして徹底的な光にもなり切れない。

どちらにもなれないのに、どちらか美しい方であろうとするところに、
おそらく致命的な闇があるのだ。



その闇は、本人が自力で走り抜ける事を決意した時に、
時期を決めずにいつの間にか晴れて行くものだ。



昨日の画家と、私の友人…。

どちらも同じ靄を抱えていたように見えるが、
私から見れば境遇が似ているだけでマインドのベーシックが
あまりに違い過ぎていた。



死んだ気になれば、
 人はどんな事でも成し遂げる。


画家は、昨日までの自分を自ら殺し…甦生した、

芯の通った悪人だ。


私はそんな画家の生き方と友人とを見比べ、
新たなカウンセリングの潔さをまた一つ、学んだようだ。
 

作者:mintpiano

更新日:2008年11月12日 10時30分

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